2日目は遼寧省博物館、瀋陽故宮博物院、張氏帥府博物館の順番で回ることにして9時前に博物館へと向かいますが、まだ開館時間前だというのに既に長蛇の列が出来ています。どうやらこの日だけ入場料が無料だと言うので観光客が殺到しているようです。
メインの「遼河文明展」では新石器時代から清代までの遼寧近辺の文物を展示していましたが、紅山文化など新石器時代の各文化圏を三皇五帝の伝説と結びつけたり、扶余や高句麗を中国の少数民族と表記していたりと、かなりアチャーな展示が目につきました…… ここでは圉簋や燕侯盂、燕王職戈など周代の燕関係の青銅器をしっかりと鑑賞。
館内で写真を撮ってたら警備員に注意されましたが、よくよく話を聞くとフラッシュをたかなければOKということみたいです(^^;)
博物館から瀋陽故宮までタクシーで移動しましたが、途中で人通り・車通りの多い繁華街に行き当たり、タクシーの運ちゃんから「これ以上は車では進めない。ここからまっすぐ歩いて行きゃ故宮に着くからここで下りてくれ。」と強制下車を言い渡されました……
気を取り直して瀋陽故宮へと入場。ここでは東路・中路・西路の三区に分かれて宮殿が建ち並んでますが、見所は何と言っても東路の十王亭です。
東西にそれぞれ八旗とそれを半分ずつ統括する左翼王・右翼王のための建物が並び、一番奥の中央部に皇帝のための大政殿が鎮座しています。
ただ写真では分かりにくいと思いますが、宮殿の背後に高層ビルが並んでいるのは何とかならんもんでしょうか……
もう1つの見所は西路の文溯閣。
ここは『四庫全書』のうちの1部が収められていた場所です。『四庫全書』というのは正本が全部で7部作られ、現北京故宮の文淵閣やこの文溯閣に収められていたんですね。詳細はWikipediaの『四庫全書』の項目を参照してください。
建物の中の机には下の写真のように4色の表紙の書籍が置かれ、奥の方に書棚が設置されてそれらしい書帙が配架されていますが、『文溯閣四庫全書』の原本は現在遥か遠くの甘粛省図書館に収蔵されているということなので、ここにあるのはおそらく複製なんでしょう。
文溯閣本が甘粛に渡った事情については中文版Wikipediaの『四庫全書』の項目に説明がありますね。
その他はホンタイジの孝荘皇后、すなわち順治帝の母后でドルゴンと不倫したという伝説のある人物の宮殿である永福宮なども見ました。この辺は明末清初を舞台にした歴史ドラマでは必ず出て来る所ですね。日本の大河ドラマのようにこの手のドラマもある程度観光地の人集めに貢献しているのかもしれません。
東路・中路・西路と一通り見て回ったつもりでしたが、後で館内で買ったマップを確認すると入り口付近にある太廟に行き忘れたことに気付きました(;´д⊂)
長くなったので2日目の話についてはここで一旦区切ります。
メインの「遼河文明展」では新石器時代から清代までの遼寧近辺の文物を展示していましたが、紅山文化など新石器時代の各文化圏を三皇五帝の伝説と結びつけたり、扶余や高句麗を中国の少数民族と表記していたりと、かなりアチャーな展示が目につきました…… ここでは圉簋や燕侯盂、燕王職戈など周代の燕関係の青銅器をしっかりと鑑賞。
館内で写真を撮ってたら警備員に注意されましたが、よくよく話を聞くとフラッシュをたかなければOKということみたいです(^^;)
博物館から瀋陽故宮までタクシーで移動しましたが、途中で人通り・車通りの多い繁華街に行き当たり、タクシーの運ちゃんから「これ以上は車では進めない。ここからまっすぐ歩いて行きゃ故宮に着くからここで下りてくれ。」と強制下車を言い渡されました……
気を取り直して瀋陽故宮へと入場。ここでは東路・中路・西路の三区に分かれて宮殿が建ち並んでますが、見所は何と言っても東路の十王亭です。
東西にそれぞれ八旗とそれを半分ずつ統括する左翼王・右翼王のための建物が並び、一番奥の中央部に皇帝のための大政殿が鎮座しています。
ただ写真では分かりにくいと思いますが、宮殿の背後に高層ビルが並んでいるのは何とかならんもんでしょうか……
もう1つの見所は西路の文溯閣。
ここは『四庫全書』のうちの1部が収められていた場所です。『四庫全書』というのは正本が全部で7部作られ、現北京故宮の文淵閣やこの文溯閣に収められていたんですね。詳細はWikipediaの『四庫全書』の項目を参照してください。
建物の中の机には下の写真のように4色の表紙の書籍が置かれ、奥の方に書棚が設置されてそれらしい書帙が配架されていますが、『文溯閣四庫全書』の原本は現在遥か遠くの甘粛省図書館に収蔵されているということなので、ここにあるのはおそらく複製なんでしょう。
文溯閣本が甘粛に渡った事情については中文版Wikipediaの『四庫全書』の項目に説明がありますね。
その他はホンタイジの孝荘皇后、すなわち順治帝の母后でドルゴンと不倫したという伝説のある人物の宮殿である永福宮なども見ました。この辺は明末清初を舞台にした歴史ドラマでは必ず出て来る所ですね。日本の大河ドラマのようにこの手のドラマもある程度観光地の人集めに貢献しているのかもしれません。
東路・中路・西路と一通り見て回ったつもりでしたが、後で館内で買ったマップを確認すると入り口付近にある太廟に行き忘れたことに気付きました(;´д⊂)
長くなったので2日目の話についてはここで一旦区切ります。