セットリストも重要だが、それより更に気になるのは“雰囲気”である。空気とかノリとか言い方は色々あるだろうけれど、それがいちばん重要だと言っても過言ではないのではないか。
ただ雰囲気と言っても掴み所が無いか。では例えば。『真夏の通り雨』のような母への思いがあからさまに出た歌はどう歌うのか。MCを先に入れるのか後に入れるのかそれともただ黙って歌い出して歌い終えて次の曲に行くのか。雰囲気とは演出のベースである。逆から言えば、演出の方針を決めるのが雰囲気だ。ヒカルはこれをどうしたいのか。
歌は歌なので「気にしない」というのもアリだ。一度離婚したあと果たして『光』は歌ってくれるのかとやきもきしたもんだが、『In The Flesh 2010』では『Simple And Clean』を、『WILD LIFE』では『光』を、それぞれ特に何も触れることなくしれっと歌ってくれた。歌詞は歌詞なので元々のモチーフとか心境のシンクロとかそんなに関係ないのよと言われてるみたいに。
しかし一方で『嵐の女神』を歌わなかったのは何故なのか。ただ選曲から外れたのみならず『WILD LIFE』のアウトロで流したお陰で「歌わなかった曲」として記憶に残った。その意図は何だったのか。
今『嵐の女神』と『真夏の通り雨』を連荘で歌って感極まることはないのか。ただの歌として普通に歌えるのか。そういった検証からコンサートの“雰囲気”は決まってくる。どの歌なら歌えて、歌えるとしたらどんな配置・どんな曲順なのか。演出の方針が決まるのだ。
本来なら、その雰囲気を決めるのがツアータイトルだ。ただの名前に過ぎない、と言ってしまえばそれまでだ。『ヒカルの5』にそんな深い意味があったとは思えない。だから『Lsughter in the Dark』もアテにはしていないのだが、だが仮にその名前を利用しようとすれば演出の方針が決められるのも確かなのだ。それが明示的意識的に為されるなら演出方針はコンセプトと呼ばれ始める。
ヒカルはあまりコンセプチュアルな世界観に傾倒しない。統一的であるよりは雑駁で出たとこ勝負なのがお好みだ。唯一、『くまちゃん』だけはその一貫性に基づいて世界観を構築するのをよしとする。その観点に立つと、ツアーグッズはまたもくまちゃんグッズが並ぶ結果となるだろう。コンセプトと、その表現であるアイコンやキャラクターとして何か別のものがあるとは思えない。例えば『Laughter in the Dark』に引っ掛けて黒バックのニコちゃんマークをツアーシンボルに掲げたらそれだけで“雰囲気”が決まってしまう訳だ。本当に注意が必要である。中途半端なことをする位ならくまちゃんに頼り切る方がずっといいだろう。
そのツアータイトルが決まるまで随分掛かった事を思い出せば…いや余計な事を言うのはやめとこ。要はいいコンサートになればいいのである。ちょっと開き直っていこうではないか。
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