あとはなりくんのデビュー作がヒットすればハッピーなのだが、そこがなんだかいちばん難しそうだよね。
まず、『宇多田ヒカルプロデュース』という割に、ヒカルのファンにアピールする音楽性ではないのが痛い。先行公開中の『Lonely One』も、Pop Musicという枠組みからは程遠い。私の趣味からすれば寧ろ『あなた』よりこちらの方が好みな位なのだが、大衆性という点ではまるで及ばないだろう。「宇多田の歌はやっぱすげーな」と後半突如登場して全部かっさらっていくヒカルのパフォーマンスに惹かれる人なら、それなりに居るだろうけれど。
これが"リーダー・トラック"だというのなら、「宇多田ヒカルプロデュース」の文言は寧ろ足枷にすらなりかねない。ミスマッチを生むかもしれない。ヒカルは自分の作品を芸術だなんておいそれとは言わないし、プロフェッショナルとしての「商品作り」にいつも抜かりない。一方なりくんのソロアルバムの芸風は、詩的なモノローグととっつき難いビデオから察するに「独り善がり」以外有り得ない。この道はまさに隘路になっている、と皮肉を言っておこうか―ってこれ駄洒落なんだけどわかりにくいわな。
一言で言えば既に多くの人がなりくんから「引いて」いるだろうし、一部の人は既に「ドン引き」だろう。如何にもスノッブで"気持ち悪い"。親切さも何もない。ただ在るだけの音楽だ。
私個人はそういう作風が大好きだ。大衆性にこだわるかどうかにもこだわらない。ただそこに在るだけなら正々堂々真正面から存在感だけで勝負してみて欲しい。心底そう思っている。半分は彼のデビューアルバムに期待しているのだ。
もう半分は軽蔑である。彼のラジオでの喋りが圧倒的に退屈だからだ。30分番組だし、選曲はそこそこ悪くないから、ふらっとヒカルの話なんかも出るかもしれないし毎週聴いてみようか「MUSIC HUB」を、と思ったが無理だった。彼の喋りのつまらなさに耐えられなかったのだ。喋りが拙いのならまだいいのだ。口を動かすのが苦手だけど頭の中は凄絶に漲りまくっている、っていうタイプの天才は好きだ。たどたどしい呟きを積極的に拾いもしよう。彼は違う。流暢に話せる癖につまらないのだ。なぜ今回披露したモノローグのように喋らないのだろう? 察しろと? 甘えるねぇ。嫌いじゃない。でも喋りがつまらないという結果が総てを押し流す。なぜなら、書いた事と喋った事のどちらかは必ず嘘だからだ。こんな他者に対する誠意のないミュージシャンは成功しない。だからこそ経営者やプロデューサーには向いているのだろう。悪い事は言わないから、今後も他人を操って甘い汁を吸う人生を過ごして欲しい。
が、ヒカルがもしも、「そこを突破したい」と考えて今回のプロデュースを引き受けたのだとしたら頗る面白い。普通に考えればあと2枚、セカンドアルバムとサードアルバムまで担当して終結だが、1枚で解き放てば未来はおぞましい色に染まるだろう。果たしてどこまで考えているのか。「この先誰が犠牲になる?」―この問いそのものを打ち消さなくてはならない。ともだちだからと引き受けたのなら…嗚呼、既に賽子は投げられたのだな。
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