話が隘路に紛れ込んできたので海路の話でもするか。寒さが込んできて懐炉が恋しくなる季節でもあるし。って安直な思考回路だなぁ私。
カイロといえばエジプトの首都だが、EXODUS/エキソドスとは御存知の通り旧約聖書の創世記に続く2番目の書「出エジプト記」の事を指す。宇多田ヒカルの最初の3枚が創世記にあたるなら、UtaDAでのデビューはそれに続く第2章にあたる訳だ。
内容は、映画「十戒」でも有名な、モーゼがユダヤ人を率いて新天地を求めエジプトを脱出する物語である。当時の光の状況はこのエピソードになぞらえて「日本を脱出して新天地アメリカに旅立った」とも捉えられた。というより、そう思われているだろうなと考えながら光は名付けたのだろうと思われる。日本で待つファンの事を放っておく事への気遣いだ。まぁ実際はしっかり(?)日本でもプロモーションしてくれたのでそんなでもなかったが、自虐の手前までくる光らしい表現ではあったかもしれない。
そのタイトルトラック、EXODUS'04には『The waves have parted』という歌詞が出てくる。その映画「十戒」の名シーン、モーゼが海を渡る時に海が割れたシーンが下敷きになっているのだろう。「道は開かれた」、その時光はそう思っていたに違いない。
しかし、結果はさほど芳しくなかった。チャート成績がどうのというよりレコード会社とのコミュニケーションがうまく行っていなかった事が大きかった。とりあえず予定通りなのか何なのか、エキソドス1枚で宇多田ヒカルは帰って来て新曲を順調に発表、2006年にアルバム「ULTRA BLUE」を発表する。
その作品において制作最終盤に登場したのが「海路」である。今思うと、この曲冒頭の『船が一隻黒い波を打つ』という一節は象徴的だ。エキソドスの頃は海を割ってでも前に進もうとしていたのが、この時に至っては船に乗って海の道を進んでいる。世間の荒波にさらされて海を渡る方法として無茶なやり方をするのではなく、潮の流れをみながら帆を張って船で前に進もう、という所なのだろうか。それを挫折ととると安直に過ぎると思うが、この曲に漂う諦観というか、運命論的な雰囲気は少し考えさせられる。しかし、それも今は昔。日本昔話のように僕らにとっては教訓となる寓話でしかないのかもしれない。まだまだ未来への海路を我々は航行中なのであるから。今は途中の無人島で小休止といったところかな。
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