てことでこの日記もひとやすみモードでまったりいくかなぁ、さて何について書こう?と考えた時に最初に浮かんだのが「量子もつれ(quantum entanglement)の解説」だったんですよね。何考えてんの私ってば。あぁ、うん、「EIGHT-JAM」んときにマイクロキメリズムと一緒にヒカルが出してきたキーワードなんすけども。
まぁ用語の直接の解説はおくとして、『Electricity』の冒頭部の歌詞
『君と僕の間に誰も入れやしない
離れていてもそれは変わらない』
の一節に関しては、確かに「量子もつれ」のイメージが援用されているように感じられた、というのは記しておきたいかな。
「量子もつれ」というのは、量子Aと量子Bが…いやここは別に「君」と「僕」でいいのか、君と僕が、お互いに何光年離れていたとしても関係性が途切れない現象の事を指しているのだけど、この絆を維持する為には、君と僕の間に何も入れちゃいけないのね。外部からの影響を排した状況(専門用語じゃ"コヒーレントな状態"っていうんだけど)を作り上げて初めて、「お互いに何光年も離れていても」の部分が成立する。そして、もしそれが成立しているのなら、何光年離れていても、君が僕の方を向いた瞬間に僕も君の方を見るし、僕が君の方を向いた瞬間に君も僕の方を見るんですよ、えぇ。
…何を言ってるのかわからねーと思うが、科学の実験で実際に検証されてる理屈なのよこれ。(例えばスピンの測定)
単に歌の歌詞としてみた場合、『君と僕の間に誰も入れやしない』っていうフレーズも、『離れていても/変わらない』っていうフレーズも、歌詞としてはありがち。なのだけど、この2つを続けて歌った事がこの歌の、『Electricity』のオリジナリティなのだと思うのだ。
というのも、2人の間に誰も入れない時って、まぁそりゃ常識的に考えて2人が密接にくっついてるんだろうし、一方で「離れていても変わらない」という言い方をする時は、2人の間に時間や空間や人やモノがあれやこれやと挟まってる状態から、どこかで実際に時間と空間を縮めて2人が再会したその瞬間に「昔と全然変わらないね!一瞬であの頃に戻れるね!」みたいに確認できることを指すのが常だ。
ところがこの歌『Electricity』では、「離れたまま」でも2人の間に何も入れないし、「離れたまま」でもその絆を確信できているという、普通の歌詞より更に一歩踏み込んだ…踏み込んでしまったが故に雰囲気がテレパシーっぽくなったというか、超常現象じみてしまってSF風味が醸されてしまった、そんなシチュエーションを歌っているのだと、そう感じられたのでした。そんなことがあり得るのは、マイクロキメリズムとか量子もつれくらいだろうなと。ヒカルがこの二つのキーワードを出してきたのは、そんな背景があったのかなと、わたしは思ったのでありましたとさ。
なお、付言しておくと、この「量子もつれ」現象、『Electricity』の中でも娘への手紙を書いた人として?歌われているアインシュタインさんは、その妥当性について死ぬまで懐疑的だった。あたかも光の速さを超えて声を届け合える様子に、光が世の中でいちばん速いと主張した彼は耐えられなかった模様。それについて100年後の世界で「光」という名の音楽家がこんな歌を歌っているのは、なんとも因果なものだわよね。
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