今年を振り返った時、最大の衝撃はアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」だったという事になる。4月に当欄でこの作品を取り上げて以来、急に話の枕にアニメの話題を振る事が増えた。それだけ私には影響力の強い作品だったといえる。
何が凄いって、ミステリー的な要素も含むのに、2回目に観た時の方が感動した事だ。ネタバレ云々という前に、全体のストーリーの構造が美しいのである。誇張表現でなく、本編全12回約5時間、ひとつも無駄なシーンがない。ここからダイジェストを作るのは至難の業だろう。要点をかいつまむのが難しい、というより全編要点である。
漫画でもアニメでも小説でも、ストーリーが洗練され研ぎ澄まされ、必要にして十分な所まで磨き上げられた時、その作品には音楽的、或いは絵画的な美が宿る。
音楽的な美とはメロディーに途切れがなく、リズムもしっかりキープされた状態だ。特に、リズムという要素はダンスなどと共に音楽に美しさを与える要点となる。
イントロからアウトロまでリズムがキープされるという事は、その楽曲が演奏されている数分間、一度も途切れない、躓かない、止まらない、という事を意味する。即ち最初から最後までがひとつながりになるのだ。音楽というアートを鑑賞する場合、漫画なんかが何時間でもずっと読んでいられるのに較べ、大抵数分しか持続しないのは、リズムというテンションをキープしなければならないからだ。
まどか☆マギカは、そのストーリーの隙のなさから、まるで全編が一曲の交響曲のように"鑑賞"できる。抽象的なレベルにおいてこのアニメには"音楽的"な魅力が備わっている。
さて、では逆のケースはどうだろうか。今度は音楽の方に、漫画やアニメや小説のような"ストーリー"を付与してみるのは。オペラの昔から、多くの人々がこの試みに挑んできた。先述の通り、なかなかリズムというのは長々と刻めない。工夫としては、間に語りを挟んだり、効果音を入れたり歌い手を変えていってみたりとかなりの工夫が必要になる。
光は、そういうのに興味ないのかな。彼女は基本的に5分のPopSongを書く事に集中してきた。しかし、例えばGBHPVのディレクションを見ればわかるとおり、音楽を中心にしながら、他のメディアの表現を使ってもそのセンスを発揮できる御仁である。まどか☆マギカがアニメーションを新しい時代、新しいステップへと導いているように、光が音楽の可能性を更に押し進めるようなチャレンジをしてみて欲しいなぁとも思うのである。
一方で。逆に保守的に、音楽の最も音楽らしい、歌の最も歌らしい所を極めていってくれるのもいいなぁ、と思ってもみる。CWTCなんかはその極致だろう。この曲には音楽的な目新しさなんか何一つない。歌があって、伴奏のピアノがあるだけだ。耳を引くような斬新なアレンジもないし、メロディーも予想を裏切るような動きはしない。歌詞も、特に突飛な単語は用いていないしお得意の特異な言い回しや語尾なんかもない。至って"普通"である。しかし、この"普通"極まりない曲が、このままいけば私にとって2年連続で「再生回数最多トラック」になるのだ。こういうのが歌の力、宇多田ヒカルの力強さだなぁと改めて噛み締める時、別に新時代の扉を開ける必要もないし、新しいステップに踏み出す事もないか、と思えてくる。何というか、私は既にこの歌によって満たされていて、これ以上はもういい、と思ってる節すらあるのかもしれない。第1期宇多田ヒカルを締めくくるに相応しい楽曲なのだ、うん。
となると、ヒカルにはやっぱり奇を衒わず王道の伝統的な曲づくりを続けて貰って、そのたびごとの"今"に「歌は、いい」と呟かせてほしいな、という風に落ち着いてしまうのです。
でもやっぱり、チャレンジングな姿勢も失わないで欲しいなぁ…。いやぁ、ファンって贅沢ですね。
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