無意識日記
宇多田光 word:i_
 



あー今頃光はイタリアの空の下で結婚式真っ最中かー


…ってベッタベタな書き出しだけどこれ本当に書けるタイミングって私の一生のうちで本当にこれっきりなのだから本当にこれでいいのだ。バカボンのパパか俺は。

とはいうものの、他人様のプライベートなイベントについてあーだこーだ言うのは気が引ける(さんざ言うてきた癖に今更何を)。いや本当に。特に、スポーツ紙の詳細な記事を読むと「何してんねんあんたら…」という気分になる。何故それだけ街や教会の名前を出しておいてフランチェスコ君だけFなのか。気の使い方が間違っているのやら何か他に理由があるのやら。

いやそんな事はいい。冷めた事を言うようだが&酷い事を言うようだが、確かに、大半の女の子にとって結婚式は"一生のうちで自分がいちばん主役になれる舞台"だからそこに幸せの絶頂期が来ても不自然ではないのだが、その気になればいつでも数万人規模の人間を集めておめでとうだのありがとうだの言って貰える"スーパースター"にとって結婚"式"がどこまで意味のある事かわからない。寧ろ、(何だかいつものように)光の周りに居る人達にとっての特別さの方が大きいような。光は、家族や友人が泣いて喜んで祝福してくれるのを目の当たりにして「あー結婚式やってよかったなー」と思うかもしれない。自分の曲がヒットした時に「周りの人達が喜んでるのを見てあぁヒットしてよかったなーって」思う子なので。流石にそこまでクールじゃないか。でも31だし再婚だしなぁ。

でも、やっぱり結婚って生活の事でしょう。結婚式の事ではない。ならば、これからどう生きていくかが重要であり、式はその日々の中の1日に過ぎずしかし1日であって。よかったかどうかは日々感じながらみていく事であって。

しかし、カトリックか。大丈夫なのかな結婚観。単に式は形式的な事だから、と光がやり過ごすのは何となく違う気がする。一字一句、一所作一動作の意味をちゃんと把握して式に臨むように思うんだがどうするんだ。儀式。光は、自分に馴染まない思想に基づいた言動が取れるだろうか。かたちだけだから、と思っていられるのやら。最後に残るのはそのかたちの方なのだ。結婚そのものである。愛情が残っていようが消えていようが増していようが、結婚という形式、かたちが先に来ていて、そして最後までそれは確実に残る。カトリックなら、神に対して永遠の愛を誓うのだろうか。お互いに対してではなく。

私が今回の結婚も気に入っているのは、キコが2人の共通点として「お互いへの深い愛」があると書いている事だ。これは慧眼であり真実であり、肝心な時にこの一言が書けたコイツは、どんな人間なのか全く知らないが、素晴らしいヤツだと断言出来る。本人は若く、もしかしたらその意味もよくわからず書いているのかもしれないが、残るのはその時のあやふやさではなく、こう書いたという事実の方だ。ズバリ、この2人は結婚に向いている。

そこまで立ち返って考えるのであれば、今日の結婚式は非常に大きな意味を持つ。その意味を光が未来に裏切るのであれば大変危険だが、つまり大丈夫なのだろう。お互いへの愛が2人の共通点であるのなら、総てはここから始まるのだから。

ひかる、結婚おめでとう。影ながら応援していきます_

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