そして本文とタイトルは関係ない。羊頭狗肉(笑)。
でも気分的には関係あるかな。
前回触れた通り、と言っていいのかどうかわからないが、『花束を君に』と『真夏の通り雨』の2曲は、賛否両論というよりかは“聴き手を選ぶ”という言い方が当を得ているかもわからない。
ブランクとしては3年半、或いは5年だ。プロモーションの規模からするとSCv2に新曲が入っていたのを知らない層も居そうなので(でもNEXのCMくらいは目にしてるかな)、ことによると8年ぶりという層も一定数居るかも。なんだこの桃栗柿な感じ。
こうなるといきなり「ファンの世代交代」の話になりそうだ。「やっぱり宇多田は人活前だよな」と人をイラつかせる要素が3つくらい入った一言を書き捨てる年寄り&それを鵜呑みにする若い衆が、このままだと大量に出てくる。正直、新曲が気に入らなくて離れる、或いは一旦距離を置く人が出てくるのはある意味健全でよい事だ。ヒカルの曲調は幅広い。全曲気に入る方が稀である。それは、確かに気に入って貰えなくて残念ではあるものの、次への発憤材料になる"いい残念"だな。
厄介なのは、新しい曲をさほど気に入ってないのに離れない人の方だ。ヒカル自身は厄介だなんて1ブランク長程も思っていない、いつの曲であっても自分の作った曲を気に入って貰えるのは嬉し過ぎるもしできるなら一人々々駆け寄って堅い握手を交わしたいと思っているに違いない、ので、私が代わりに、じゃないな、思ってないんだから代わりじゃない、私が赤の他人として言い添え(てヒカルの機嫌を著しく損ね)ると、つまり、もう“今の”ヒカルに大して興味がないのだけど昔の曲は気に入ってるからとコンサートに彼らがやってきてショウ全体の雰囲気を盛り下げる可能性がある事が、懸念されるのだ。くどいようだが、ヒカルは1ピコプランク時間ほどもそんな事は思っていない。あクマで私が言ってる話。
チケットが余るようなコンサートならまだいい。客は1人でも多い方がいいのだから、極一部の昔の曲にだけでも興味を示してくれるなら。しかしソールドアウト公演となると話は違う。“今の”ヒカルが大好きなファンを蹴落として古参の、「大昔の曲以外はずっと地蔵」なファンがチケットをゲットする可能性が出てくる。いやさそういう人たちの方がチケットの取り方を知っている分、"可能性が高い"と言ってしまった方がいいかな。
どうにも、世代交代とはそういう悩みの種を運んでくる。解決法は二つ。昔からかのファンに気に入って貰える曲も(今)書くか、チケットをソールドアウトにしない事だ。結構単純。需要と供給の話だったな。
桜流しに3年半満足を与えられ続けた身としては新曲2曲はまさしく「その続きの足音」であり、沁み沁みとした感動が拭えないので、正直、離れていくファンとはリアルには共感できなくても納得はできる。反して、気に入らなくて「昔の方がよかった」と言い続けてる人に対しては遣る瀬無さと同情を禁じ得ない。もしかしたら、いつか自分もその立場になるかもしれないからね。次にヒカルが書く曲を“気に入れる”保証はどこにもない。その時潔く“一時離脱”を宣言出来ていなかったら、どうかどなたかこのエントリーを引っ張り出して私に見せてくださいな。厚かましいお願いです。
幸い、というべきか、今の私は今の新曲2曲への興味に飽き足らず、来るべき次の新曲、更にはそれらの集大成たるニューアルバムに対する期待で胸が胸がだ(なんだその表現)。桜流しから引いた延長戦がまるで万華鏡のようなカラフルさで辺りを満たしていく夢想に浸っている。気に入ってくれなかった人の相手をする暇も気もない。でもヒカルは、きっちりそこまで考えてくれてるから胸一杯にご安心を。
でもいちばんの僥倖は、今のところその「昔はよかった」と愚痴り続けて居座り続けるファンが1人もまだ視界に入っていない事、かな。そう、今回のエントリーの"主役の人(々)"は、私の妄想による全く架空の人物達なのでした。これからも現れない事を祈る。
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