ツイッターでコメントを貰えたのでホクホクして前回の続きを書こう。(嬉々)
ヒカルがフレディについて歌った歌は『Animato』の他にもうひとつあって、それが『This One (Crying Like A Child)』だ。こんな風に歌われている。
『Who am I trying to fool
Honey, I've been livin' on my own
Like Freddie』
グーグル先生に訳して貰うと
「私は誰をだまそうとしていますか
ハニー、私は一人で生きてきた
フレディのように」
という風になるが、ここで注目すべきは『livin' on my own』というフレーズだ。これは、昔からのファンなら見覚え聞き覚えがあるだろう、ヒカルが2000年(平成12年)の夏に全国を回ったコンサート・ツアー『Bohemian Summer 2000』でカバーした歌のひとつが「Living On My Own」だったのだ。もちろん、そのヒカルが敬愛するフレディ・マーキュリーの楽曲である。
ここらへんなかなか小洒落ているのだが、今この歌を聴き返して私が感じ入るのはその直後のフレーズだ。
『But I'm still a woman,
Baby, tell me how』
「でも私は一人の女でしかない」。これは、本来のこの曲のストーリーを背景にすれば「自分はあなたにとってファンの一人に過ぎない」みたいなことなのだが、今これを聴くと
「フレディ、あなたは性別なんか超越して生きていたけれど、私は女でしか在れないわ。」
と憧れに歎いているように思えてくるのだ。まだこの頃はノンバイナリという言葉も知らなかったからねヒカルは。
いや、そりゃこの解釈は、私の思い込み、しかも今の思い込みでしかないんだけど、こうやって2009年にリリースされた歌を聴いて勝手に再解釈するのもアリだと思うのよ。というのも、ヒカルさん、(御存知の方も多かろうが)2004年にリリースした『Single Collection Vol.1』の表紙詩でこんなことを書いているのだ。
『In awe, I receive messages from the past
--- lyrics that become self-prophesies, ... 』
訳すとこんな感じ。
「畏れを以て過去からのメッセージを受け取る。
それは自己予言を成就させた歌詞。」
これはどういうことかというと、ヒカル自身が過去に何度か語ってきたように、書いた時点ではそのつもりはなかったのに後から振り返ってみると未来の自分のことを予言していたとしか思えない歌詞が幾つもあるのだと。
お母様の藤圭子さんが「演歌ばかり歌ってたら不幸になるから」と頑なにヒカルを演歌から遠ざけたというが、彼女もヒカルのいう「歌詞の自己予言能力」を敏感に察知していたのだろう、不幸な歌詞を歌っていると不幸になるのだと信じて止まなかった。
ここではそのメカニズムに立ち入らない。単なる強い自己暗示なのかもしれない。兎も角、歌詞にはそう受け止めさせるだけの何かがあるのだ歌手にとっては。故に、過去の歌の歌詞を現在の視点で再解釈するのは、宇多田ヒカルの世界観に於いてはとっても「アリなこと」なのだと、改めて強調したい。
だからって、今私が言ってる事が妥当かどうかはまた別の話だけどね! 私は私が言ってる事が正しいと主張しているのではなくて、2022年の今2009年の『This One (Crying Like A Child)』を聴くとそんな風に感じられたという私の心の動きの事実を記したに過ぎないのです。えぇ、なんといってもここは私の日記なのですから。そもそもそういうことを書く場所なのよぅ。
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