無意識日記
宇多田光 word:i_
 



この間のチック・コリアの"Sometime Ago"にしろCaravanの"狩りに行こう"にしろSteamhammerの"Penumbra"にしろ、要はベースラインが全体を引っ張る楽曲が好きなんだな私は。スタンリー・クラークがベースリフをチェンジするとチックのプレイが明らかに変化する。これがインスパイアというヤツか。醍醐味である。

ベースさえクールであればあとは自然とついてくる。TM NETWORKの"Get Wild"から(1987年の曲だからもう25年も経つのか!! 当時5歳だった光が30歳になる訳だ。四半世紀だよ)、いや、ドリフのヒゲのテーマ(出典はテディ・ペンダグラスの"Do Me")の頃から私に染み付いている哲学である。だからロックもソウルもPopsも分け隔てなく聴けるのだ。エレクトリックギターが咽び泣いていなくとも、大抵の音楽にはベースが入っている。クラシックだってチェロとコントラバスがある。通奏低音だな。ベースから入れば、歌モノもインストも洋楽も邦楽も殆ど関係ない。クールなベースラインは、どんな音楽にだって出てくる。ジャンルを超えて様々な音楽を味わうにはとてもいい"とっかかり"である。

ところが! 宇多田ヒカルにはその"ベースラインの美学"というものが殆ど感じられないのだ。最初にヒカルの音楽で魅力的なベースラインは、と思い当たったのがtravelingのオブリガード(歌メロに入る直前に高速で上がって下がるヤツね)だというから心許ない。あれヒカルのアイデアじゃないんじゃない? 次に思い浮かんだのが甘いワナで、なるほどこのベースはなかなかにクールなのだが十中八九ヒカルのアイデアではないと思う。それ以後あんなラインは出てこないんだもん。

当欄でも繰り返し指摘してきたように、リズムセクションに関してはヒカルは徹底的に打楽器重視である。ツアーではツイン・ドラムやドラムス&パーカッションの布陣で臨んでいるし、曲の要はかなりの割合で打ち込みのリズムである。そんな中でベースの役割とはバスドラに合わせてルート音を紡ぎ出すとかしかない。いやこれだって非常に重要で、特にライブではベース&ドラムスがシンクロしたプレイは筆舌に尽くし難いのだが、でもまぁとにかく幅の狭い、限られた役割しか与えられていないように感じられる。

裏を返せば、これからのヒカルが曲作りのバリエーションとしてベースラインからの作曲を取り入れればまた違った新境地が見えてくるかもしれない訳で、これは未来に期待を膨らませられる要素のひとつといえるだろう。楽しみだ。

それにしても、何故ベースに対してこんなに素っ気ないのか。ひとつ考えられるのは、ヒカルがピアニスト脳だという事だ。ピアノという楽器は右手で旋律左手で伴奏を各々弾いてしまえるという最強の楽器(お陰様であんなにToo Expensive)なのだが、そのせいかしばしばベースの役割まで取ってしまう。いや上原ひろみ(ジャズ・ピアニスト。人妻。)だってトリオ編成の時はベーシスト&ドラマーと組むのだから普通はピアノといえどベースが必要なものだが、"なきゃないでなんとかなる"こともまた事実なのだ。なので、ヒカルが鍵盤を弾きながら作曲をするとベースが要らなくなってくるのでは、というのが一点。

もう一つ、思い当たる節があるのだが時間が来てしまったようなのでまた次回。ちゃお~。

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