無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『For You』での『部屋』といえば『散らかった部屋』だ。

『散らかった部屋に帰ると
 君の存在で 自分の孤独確認する』

ここでの『部屋』は「現実に引き戻す作用」を持つ。それまでこの歌の主人公は喧騒に紛れて自分の存在を消していた。

『ヘッドフォンをしてひとごみの中に隠れると
 もう自分は消えてしまったんじゃないかと思うの
 自分の足音さえ消してくれそうな音楽』

ここに『あなた』との対比を見ることができる。『あなた』では『部屋』は現実逃避の比喩であった。その役割を『For You』では『ヘッドフォン』が担っている。しかも、何から逃げているかというと『自分の足音』からだ。リアルな自分自身の存在から逃げている。そして、部屋に帰ったら自分自身の存在を突きつけられる。

『あなた』では『部屋』は一時的な休息地のようなものだ。『戦いに出掛ける前の一休み あなたと過ごしたい(Eternally)』ですね。

ここでの対比は、やはり音である。『あなた』の『部屋』と『For You』の『ヘッドフォン』は、共に足音を消している。他方は『アクティヴィストの足音も』でもう一方は『自分の足音』だが。ヒカルが「認めたくはないが抗いがたい現実」が近づいている感覚を『足音』に込めているのがよくわかる。

つまり、この二つの歌では『部屋』の役割が正反対なのだ。『あなた』ではここでの一息から再び過酷な現実に立ち向かい愛する人を守り抜く決意を感じさせているが、『For You』では自分自身の現実から逃れたいのに逃れきれない、みたいな感覚が支配的。

これは、もうシンプルにその時のヒカルの状況の反映だろう。息子が生まれて母ちゃん頑張るべ、となった最近と、急に売れまくって生活が激変し『宇多田ヒカル』という名前が大きくなり過ぎていた19年前とでは描く心象風景も変わろうというものだ。

だが、その変化をこうやって感じ取れる為には、歌詞にみられる“言葉に対する感覚と感性”が一貫していなければならない。『For You』の『ヘッドフォン』と『Forevermore』の『イヤホン』なんかもそうだろう。二つの風景を重ねられるのは、ヒカルが変わらず歌詞に心を、魂を込めているからだ。表現に対する真摯さが我々の心に響いて十数年という時の隔たりを一瞬にして埋めてくれる。変化は不変な何かを背景とすることで初めて直に感じ取られるのである。
 

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前回スルーしたのが

『何度聞かれようと変わらない答えを聞かせてあげたい』

の一節。次節と同様に『聞く』を重ねて聴覚感を演出しはしてるので同じ文脈で捉えることも可能なのだがそれを置いておいてもセンテンスとして切なく響くのはこちらがヒカルの言葉を知っているからか。


@utadahikaru : 光は天使だ、と言われたり、悪魔の子だ、私の子じゃない、と言われたり、色々大変なこともあったけど、どんな時も私を愛してくれて、良い母親であろうといつも頑張ってくれてたんだなと今になって分かる。今後、精神障害に苦しむ人やその家族のサポートになることを何かしたい。── 2013/9/19 22:31


御覧の通りヒカル自身は母から愛情も憎悪もどちらもたっぷり注がれて育った(圭子さんからすれば愛情表現の葛藤であったとしても)。だから親に愛される強さも知っているし親に愛されない寂しさも知っている。それが歌詞の幅に繋がり普通では考えられない程の広範な支持を得る基盤のひとつになっていると考えられはするのだが、自分の息子と相対したとき、やっぱり愛されてるといつも実感できるのがいいよねと再確認したのではないか。

ヒカルは母と対峙するとき常に「今日のママはどっちのママなんだろう?」と不安に駆られていた─んだとすれば、話し掛けた時にいつも『何度聞かれようと変わらない答え』を返す母親だったらどんなにかいいだろうと常に願っていたとしても不思議ではない。そういう願いをこの歌詞から読み取る事は行き過ぎだろうか。そして視覚への今度は自分のこどもに対しては憎しみを与えないで愛を注ぎ続けていきたい、という願い。そう解釈した時にこの歌で演じられている「母親の理想像」が如何ともし難く切なく感じられて…まぁ、キュンとくるよね。そういう歌。いいよなぁ、『あなた』の歌詞は。



。なんだかまた脱線してますが次回は前回の続きを書く…のかな。その時になって自分自身と対峙してみないとわかんないわ…。

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