圧巻の『誓い』に引き続いたのは『真夏の通り雨』。『Fantome』以降の宇多田ヒカルを象徴する楽曲である。強烈に“死”を匂い纏わせ刺さる言葉を次々と繰り出してくるその作風は“最初の12年”にはなかったものだ。敢えていうなら『誰かの願いが叶うころ』が近いがその頃より大幅にスケールアップしているのでやはり別もの、新しいエラと捉えるのが感覚に合う。
またこの曲の持つその“死”の匂いが真っ暗な会場にフィットした。最小限の照明の中暗闇に独り浮き上がるヒカルのモノトーンの姿とこの曲の世界観が見事に融合し、なんだろう、声が響くというより、黒い空間に言葉と物語が刻み付けられていくような、そんなピンポイントな強さを感じた。
もしかしたら私の観た横浜2日目だけかもしれないが、この曲でのヒカルの歌唱は、前後の曲たちがスタジオ・バージョンより大幅に力強く歌い上げられていたのに対してやや抑え気味というか、より丁寧に丁寧に言葉を紡いでいた印象がある。初めて聴いた時と同様に「嗚呼、“ぬ”をそういう風に発音するんだな」とか「語尾の歌い切りが昔に較べてずっと丁寧だな」と思わせると同時に、例えば『乱暴に掴んで離さない』の一節などはオリジナルに較べて随分と洗練された歌い方であったような印象だ。
これは、前後の曲とのコントラストをより意識したのかもしれないし、或いはこの曲に内在する激情に対して随分客観的に対処できるようになった所為かもしれない。私に対してはずっと背中を向けていたのでどんな表情で歌っていたかもわからない。そこのところは、円盤を…待ってもわからないかもな。
しかし、だからといってこの曲の存在感が薄められるような事は一切無かった。特にやはり『降り止まぬ』の一言を歌われた時の感慨といったらなかったよ。この5文字を初めて耳にした時の衝撃がありありと甦った。作詞の方法論、歌唱のアプローチ、モータルな世界観。総てが眼前の卓越した表現力によって再度こちらの心に刻み込まれていく。この曲の特別さを再認識せざるを得なかった。
この曲のエンディング、オリジナルのスタジオ・バージョンではフェイド・アウトな為ライブではどうしてくるかと期待していたのだが、『おおーおおー』のコーラスと共にカットアウト。無限の円環からあっさりと脱却した。もしかしたら生演奏ではかなり引っ張ってくるかな?と思っていただけに少し拍子抜けかなと思うか思わないかの所であの曲のイントロが流れ始めたからにはこの流れに文句のつけようもなかった。結局、拍子抜けなんてもの一瞬頭に過る間もなく掻き消された。『真夏の通り雨』がリリースされた頃くどい程「この曲が終わったら次にその曲を聴けば感動倍増だ」と言い続けてきたまさにその曲が程なくして始まったのだ。『真夏の通り雨』からの『花束を君に』。その流れが目の前で成就するのだと気がついた時の私の心のガッツポーズったらなかったね。やってくれるだろうとは思っていたけど本当にやってくれると本当に感動的だった。なんて素晴らしい夜だろうか。もうここらへんから多幸感が増しすぎて記憶があやふやなのだが次回以降も何とか力を入れ過ぎずに私はこれから続きを書きますよ、っと。
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