シンプルな日記を書くのをすっかり忘れていた。『Forevermore』の歌詞の一次解説である。読んだままをただ綴るだけ。いってみよう。
『確かな足取りで家路につく人が
溢れる大通りを避けて』
これは半分は比喩であろう。『確かな足取りで家路につく人』とは「一目散に家に帰ろうとしている人」即ち「帰る場所がある人」の事だ。そういった人々が『溢れる大通り』、それはつまり世間の大多数、全体的な傾向・状況・趨勢として、大体の人には帰る場所があって、そんな彼らが行き交う場所が大通りである。それを避ける主人公。即ち彼(彼女)には今帰るべき場所がない。それをこの1番のAメロの部分は伝えている。歌で伝えたい抽象的な内容を家路とか大通りとか避けるとか具体的な"映像"に託して表現している。基本的な事だが、これがきっちり出来ているか否かは大きい。『Forevermore』の映像監督は、「新しい何かが生まれる時の感情」を表現したくてラストにカメレオンを登場させた。しかし多くの視聴者をキョトンとさせるだけに終わった。それは、具体的な映像に落とし込む際の選択を誤ったからだ。少なくともそれは"唐突なカメレオンの登場"では伝わらなかった。なお私は好きだ。「多分そういう事なんだろうなぁ」
と何となく思っていたから。でもそういう人は少数派だったな。
賑々しい大通りから逸れる主人公を想像したリスナーは次にこの歌詞に出迎えられる。
『壊れたイヤホンで耳を塞ぎながら
あなたの名を呟きかけた』
ここでも具象物の選択がいい。『壊れたイヤホンで耳を塞ぎ』という映像がありありと浮かび、更に"その意味するところ"がするするっと入ってくる。作詞の構成力の賜物だ。
何故主人公は鳴ってもいないイヤホンをつけているのか? 実はこれぼっちには必須の行動なのである。人に話し掛けられるのがイヤな人は実際に鳴ってもいないイヤホンを耳につけて街を歩く。見た人は「あああの人は今音楽聴いたはるんやな話し掛けたら悪いわな」と思う(なんか今の台詞ブラックマヨネーズで再生されたわ…)。そうやって人を避けるのが基本なのだ。
思い出そう。この歌の作詞者は、ロールプレイングゲームに対して「こっちは人と話したくないからゲームやってんのになんでこんなに話さなくちゃいけないのか」とかなんとか愚痴を垂れる人なのだ。他人から話し掛けられるのを避ける為に鳴っていないイヤホンを耳につけるなんざ日常茶飯事、基本スキルだろう。流石に年月を重ねてそこまでぼっち気質を全面に押し出す事はなくなったであろうが(こどもも居るしな)、勿論今でも昔取った杵柄とやらでとっさにこの基本スキルを発動させる事ができるのだろう。全く以て見事に自らの経験を昇華させた歌詞なのだこの『壊れたイヤホンで』という箇所は。
…このペースで歌詞を追い続けたら終わるのいつになるんだろ…一週間くらいかかるんじゃないの…まぁいいか、飽きるところまでやってみますかね。個人的には書き易くて有り難いスタイルだわ。
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