無意識日記
宇多田光 word:i_
 



KINRINJIの"Keep Tryin'"は「お茶漬け」。

最初、一挙に4曲が先行配信された時はこのトラックの事が心配で仕方がなかった。というのも、他の3曲が余りにも濃すぎたからだ。井上陽水の"SAKURAドロップス"、椎名林檎の"Letters"、AIの"FINAL DISTANCE"である。いずれも、名だたる個性的なミュージシャンであり、その上、宇多田ヒカルに対するリスペクトも尋常ならざる三者である。それに囲まれたKINRINJIは虎や竜や蛇に囲まれた兎のように、可愛いのだけれど彼らに食われてしまわないかという感じだった。

それが、アルバムのこの位置で聴くと実にいい。ここまで濃厚に次ぐ濃厚ばかりが続いてきた挙げ句に現れる一服の清涼剤。バーベキューのフルコースを食べきった後にすっと差し出されたお茶漬けのようにアルバムを締めてくれる。この軽さすら感じさせる曲調は、元々のキプトラがヒカルの曲の中でも特に"クレイジーな"作詞術が駆使された妖怪のような楽曲である。それをこんなに無邪気に歌ってくれている。ここまでいろんな拘りやアーティストとしての矜持、更にはヒカルへの思い入れをこれでもかとトラックに込めてきたミュージシャンが殆どの中にあってこの力の抜けた感じは…いやはや、何とも、本当にこのトラックの魅力は、アルバムをこの曲順で聴いた時に初めて見いだせる、と言い切ってしまいたい。本来ただのコンピレーションだった筈の本作が「一枚のアルバム」として昇華する為にこのトラックは必要不可欠なのだ。

実際、彼らが今回寄せてくれたコメントは楠均のそれを除き非常に無邪気である。如何にも宇多田ヒカル初心者といった感じだ。「聴いてる時はわからないが歌ってみると難しい」なんて感想は、最初にこの曲を聴いた時に持つ感想というか、そもそも、奇天烈なメロディーラインと歌詞を如何に王道のPop Songとして聴かせるかがこの曲のテーマだった、だからこれは応援歌のパロディたりえて、という所まですぐさま察した楠均は…いやその話は二巡目にまわそうか。

兎に角、無垢である。サラサラであり、スルスルっとした喉越しだ。そうやってヒカルが苦労して作り上げたポップさの上澄みを上手に掬い取って、本当に聴きやすいチューンに仕立て上げている。よくよく聴いてみると結構キテレツな事をやっているパーカッションも、ミックスで音量を抑えられてところどころ何をやっているのかよくわからない。何よりこの清廉な歌声! ヒカルには無いものである。どこまでも本当に聴きやすい。他のアーティストたちと異なり、宇多田ヒカル初心者であったからこそ遠慮なくとれたアプローチといえるだろう。

これが、このアルバムの醍醐味である。ただの、濃いミュージシャンによる濃いトラックの披露に留まらない広がり。宇多田ヒカルという人はこんなにも幅広いスタンスで皆に親しまれ愛されているのですよという事実。それをしれっと取り込んでしまうスタンスこそ、宇多田ヒカルである。この敷居の低さ、間口の広さ。何よりも魅力である。Pop Artistとしては。

最初に触れたように、宇多田ヒカルは近づけば近づく程に遠くに感じ、遠くに仰ぎ見ればまるですぐ傍に居てくれるような身近さを感じられる、そんな宇宙の幾何学をひん曲げる存在であるからして、そのカバーの方法論も、似せれば似せるほど違いが際立ち、遠ざかれば遠ざかるほど本質が露わになっていく、そんな風に思わせてくれる、それだけのバリエーションがこのアルバムには在る。やはり、全編通して聴いた時がいちばん楽しい。キプトラはウタユナのエンディングを飾る曲(そのあとにアンコールはあったけどね)だし、この位置で聴けるというのはファンにとっても馴染みやすいだろう。案外、こういう軽いトラックが最後まで愛されていくのかもしれない。KIRINJI、色んな意味で侮り難しである。

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tofubeats with BONNIE PINKの"time will tell"は「グルーヴ・リミックス」である。

このトラックはLOVE PSYCHEDELICOの"光"と並ぶ今作における「リミックス・タイプのカバートラック」のうちの一つと言っていいだろう。特にこのトラックは、原曲との主従関係がハッキリしている。

その特徴は、大胆に遅くされたテンポとそれに伴う独特のグルーヴだ。まずあの印象的なinstrumentalのメロディーを抜き出して、そのゆったりとした符割のままグルーヴをつけたらどうなるか、というのを試した意欲作だ。

アップ・テンポ/ミッド・テンポの楽曲をスロウにリアレンジした場合、多くが"バラード・ヴァージョン"と呼ばれるようになるが、この曲はそうなっていない。どんなにテンポが遅くともそこには規則正しいグルーヴがあり、脈打つように楽曲全体に張り巡らされている。

その証拠に、と言うのも違うかもしれないが、中の人は執拗に細かい音符の数々を挟み込んでくる。もしこれがベテランだったら「ほら、ここにグルーヴがあるだろう、皆まで言わせるな」とばかりにもっと隙間のある音像に仕上げそうなところを、彼の場合サービス精神旺盛というかやはりPop Musicianなのだろう、わかりやすく噛み砕いて説明する感じにトラックを仕上げている。

「テンポは遅くともグルーヴはシッカリ息づいている」点を、ここで、BONNIE PINKが外さずに押さえているのもポイントが高い。これだけテンポがゆっくりだとどうしてもシンガーはバラードのようにゆったりと歌い上げてしまいそうな所を、どの局面においても拍の強弱に気を遣って、後ろにあるグルーヴを感じ取りながら歌っている。このトラックの成立の為にはそういった歌唱が不可欠だ。彼女は見事にやり遂げたと言っていいだろう。

このトラックのコンセプトは、斯様に明快なものだから、人によっては好き嫌いが別れるかもしれない。特に、メロディー派からは「ダルい」の一言で切られてしまいそうだ。このゆったりとしたグルーヴに"のる"事が出来れば、非常に心地良い世界が待ち受けているのだが。塩分濃度の高い湖でプカプカ浮きながら日光浴をするのってきっとこんな感じなんだろうなぁ、と妄想が捗る。先入観で毛嫌いせずに、まずは彼の力作サウンドに身を委ねる所から始めたい。

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