買ってきて読んだ。
どれくらい細かい感想を書けばいいんだろう・・・まだちょっとわからない。
インタビューの中で幾度となく「自分が好かれる理由」を考えて喋ってる光。
「好きなアーティストランキング第1位」に選ばれての取材だから
当然なんだが、僕にはどれもマトハズレに思える。
なぜなら、たとえどんなことを言おうとしてもマトハズレだからだ。
彼女を好きなのに理由なんてない。(断言)
確かに、何かいうことはできる。
見た目がカワイイ、とか曲が素晴らしいとか歌がうまいとか
メッセの文章が卓越してるとか心が優しいとか大きいとか気配りが効いてるとか
ユーモアのセンスが楽しいとかアタマがイイとか、もう幾らでも並べ立てられる。
しかし、そもそもひとを好きになるときに理由なんて自覚しない。
あとから考え「あ~だからか」となる、、、わけでもないのだ。
最初っから最後まで、徹頭徹尾理由なんてわからない、というのが本当の真実だ。
歌に触れるのでも文章に触れるのでも写真に触れるのでも映像に触れるのでもいい、
しかし、それはどれも「彼女の存在を知ることの手段」に過ぎない。
宇多田ヒカルというひとがそこに居る、という感覚さえ掴めば、
彼女のことを好きにならないはずがない。(はい、極論言ってますよ(笑))
宇多田ヒカルという存在が好きだの恋だの愛だのという言葉を定義する。
ん?私だけの話か??少なくともヒカチュウだけの話か??
いやいや、私は全くそうは思わない。別に生まれてこのかたずっと宇多田ヒカルが
居続けてくれてるわけではないのだから。私は彼女よりずっと年上だ。
だのに「好きということばを集約すると宇多田ヒカルになる」という
感覚に、何の迷いも躊躇いも感じない。
明日東から日が昇る、と呟くのと同じレベルの話に過ぎない。
ただ、だからといって彼女のやることなすこと総てを受け容れるのか、というと
きっとそうでもない。(大抵そうなんだけどね)
今生きてる彼女が宇多田ヒカルでなくなる可能性だってゼロではない。
(もう24年も生きてきた挙句あぁなんだから、殆どゼロだけどね)
彼女が今後の人生で間違った選択をし続ければ何かが壊れることだって有り得る。
しかし、インタビューを読んで、結局今のところその兆候は微塵もないなぁ、と思った。
それは安心を齎すことはなく「今日まで僕は生きてきました。明日以降のことはわかりません」
というのに等しい。でもとりあえず、今生きてることを肯定するように、
今のヒカルを“肯定”することに躊躇いはない。それがわかっただけでも
このインタビューを読んだ価値は十全にあった。
細かい感想は、やっぱりまた後日にね(^^;
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