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無意識日記
宇多田光 word:i_
 



ふぅ。前回は暴走してしまったから今日は大人しく。

今日6月13日は2月10日と共に「なぜかキングダムハーツの日」なのでもしかしたら公式発表が何かあるかもしれないんだけど今のところ何もなさそう、かな?

それについては去年書いてる。
https://uh19830119.hatenadiary.jp/entry/2024/06/13/081704

(そうそう、この「ブログ内記事リンク」が、そろそろダメになるんだよねはてなでも。goo Blogが終わるもんだから。最初っからミラーリングも併記すべきだったんだな…後悔先に立たず。流石に今までの記事全部掘り起こすのは無理なので「今後は暫定的にはてなブログのミラーリングの方にリンクします」とだけ今は申し添えておきますね。)


この間、偶発的に?「キングダムハーツ4」の制作が進んでいる事が発表された。制作決定からはもう3年経ってるけど、順調ならば有難い事だ。宇多田ヒカルもずっと恩恵を受けていて、当然ながら最長期間のタイアップ相手となっている。

『光』&『Simple And Clean』
『Passion』&『Sanctuary』
『誓い』&『Don’t Think Twice』
『Face My Fears』

とまぁ錚々たるラインナップに、いつの日かまた名曲群が加わるかと思うと堪らない。ヒカルの方も、海外での公演ではこれらの楽曲を重宝するとあって、向こうに宇多田ヒカルの知名度に乗っかられるみたいなアンバランスさもないから、こうやって長続きしているのかもしれないわ。


ただ、私もそうなんだがヒカルもゲームしてないっぽいよね? プロなんだから契約外の事をする必要は全く無いとはいえ、

「宇多田ヒカルがキンハをプレイしてみた」

という実況動画があったらかなりの再生回数は稼ぎそうな気がする。実際にはやらないただろうけど、万が一そんなことされたらゲームで遊ぶのを意図的に封印してる私がハードを何か買ってしまうかもしれないから心境としては自重して欲しい(笑)。いやヒカルがゲームで遊んでるとこ見てみたいけどね。YouTubeやらインスタライブやらで実況されたら食い入るように見つめたい。本人カメラとプレイ画面の二画面でな…そういやインスタライブでゲスト呼んだ時も上下二分割画面でしたね。関係ないけど。

まぁ更にそれが「親子2人プレイ」だったりしたらもうね、、、万が一どころか決してないだろうけど、色んな意味で参らされるのは確実だろうな。

うん、やっぱり主題歌を歌ってゲームファンを引き入れてくるくらいでちょうどいいや。


てことで、今年はなさそうですが、念の為今日一日はキンハ側から新情報がないか確認しながら過ごしますわね。


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MVシャッフル鑑賞したおかげさまで、『Mine or Yours』が「過去の宇多田ヒカルのビデオをよく研究して作られたもの」だということが凄く明確に伝わってくる。

昨日指摘したように、キッチンのシーンなどは『光』や『One Last Kiss』が念頭にあるのだろうし、スタジオで大掛かりな仕掛けを施してくるのは『BADモード』を連想させるし、寝そべってる場面などは『花束を君に』を彷彿とさせてて「よくわかっていらっしゃる」と唸らせてくる。そもそも、髪型をはじめとしたスタイリング全体が1999年頃を思わせるもので、それによって、最初と最後に洗濯機を出してきて例の

「洗濯物を畳みながら『Automatic (2024 Mix)』を聴いてたら涙が出てきた」

というヒカルのエピソードに着地させるなんて本当に如才ない。宇多田ヒカルの古今東西を組み合わせて最新曲を彩るこの手法自体、『Goodbye Happiness』でヒカルが実践していたことで、そこまで研究し尽くしてこのMVを作ったのなら山田智和監督には最早今後一切頭が上がらないです。


にしても、「ヒカルを寝そべらせると画面が映える」というの、よくわかってくれてるよねぇ。その為の理由づけが幾つも仕掛けられてて感心したわ。特に、卵を床に立てようとして寝そべった『何か要るかい?買っていくよ』(2:54)のカットはこのMVのベストショットのひとつだろう。そうやって寝そべらせといて、更に匍匐前進させる為に「そうだ、天井を下げればいいんだ!」と発想して実現させるなどもう完全に狂気の沙汰だ。おかげさまでこのMV、これでもかと「寝そべる宇多田ヒカル」のカットが鑑賞できる。それこそ右から左から前から後ろから上から下から! 素晴らしいったらありゃしない。

その監督の全開の性癖に応えたくなったのかなんなのか、一番サビ終わりの間奏部(1:51)でヒカルがバランスを崩して手をついている。いくらなんでもわざとには見えないので、アクシデントを見事にファインダーに収めた監督がホクホク顔で編集時に採用したのだと思う。何故ってそのあとどんどん床に接近接写していくヒカルの姿勢に説得力が増すからね。ほらさっき床に手をついてたでしょ?だったらそのまま寝そべってもいいじゃない?って雰囲気ができるからねっ。(※実際は2番が始まったら普通に椅子に座り直してます)


寝そべるヒカルを下から撮って何が凄いって、服を着た胸のラインが直線になる事なのですよっ! 嗚呼、そうね、普通は「胸のラインが柔らかな曲線を描いてくれる時」が興奮するポイント、ですよね? 普段はね。重力が垂直方向にはたらいている場合はね。でもね、あのね、

「床に押し付けた時にラインが直線や平面を描く物体」

ってね、

「やわらかい」んですよっ!!!
ここ大事っ! 試験に出ます。

「かたいもの」は床に置いた時、設置面積が小さいままなのよ。椅子の脚とかね。そのまま一点で全重量を支える。しかし、やわらかいものって床に置いたり押し付けたりしたら形が変化して設置面積が大きくなるのよっ! スライムとか想像したらわかると思う。想像上の生物を想像して物理をわかれとかあたしも無茶言ってるけれども。普通に水風船とかでいいかな。

なので、服のラインが胸元に描く直線をみて私はその「やわらかさ」が手に取るようにわかっ(たと幸せに錯覚することができ)て、非常に幸せなのでしたっ! いやほんといいMVだわ。何度も見返しちゃいますね!



、、、、ん? こんな話をしてたら読者が減る? ありそうね(笑)。特に女性読者が激減しそうで困ったなぁ。(もっと真剣に困れや)

ま、きっと歳取るとこういうテンションで文章書けなくなっていくから今のうちに書いとこうと思ってさ⭐︎ いや俺ならジジイでもこのままな気もするな…それはそれで絶句しますねぇ、やれやれ!




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昨日歴代MVをシャッフル再生してみたことで『Mine or Yours』MVの全体の中での立ち位置みたいなものがみえてきた。

まず、近年より目立ってきている「宇多田ヒカル自身のショットをフィーチャーしたスタイル」を踏襲している。これが第一の特徴だろう。『One Last Kiss』MVの大成功(一億回再生突破したのだから誇張ではないだろう)を受けてのもの、という指摘自体は正しいが、源流を辿ればなるほど、『Goodbye Happiness』PVの自撮りっぷりがひとつのマイルストーンにはなっていたのだな。勿論それ以前に『光』PVはあるのだけどあれはこちらに目線をくれないからね。

そして、登場人物はヒカルひとり。これ自体は珍しい事ではないが踏まえておきたい要素の一つだ。例えば『HEART STATION』PVなんかは公共交通機関を利用する映像でありながら生きて映る人間はヒカルひとりだったりと様々なバリエーションがあるが、MorYMVでは普通にヒカルのみ。

撮影場所として想定されてるのは、撮影スタジオでの大掛かりな仕掛けはあるとはいえ、映像として残るのは「終始室内」だ。中国の草原を駆け抜けたり宇宙に旅立ったりとこれまた様々なシチュエーションがあったが、台所のシーンがあることからも、『光』PVやOLKMVの影響もあるかもしれない。

世界観設定としては、幽霊?のくせに車に跳ねられたり宇宙人になってみたりといった現実離れしたところまではいかないものの、日常生活がいきなり天井が降りてくるというありえない展開と地続きになっている「少し不思議な」世界観。まぁ藤子不二雄流SFってやつですね。勉強机の引き出しがタイムトンネルと繋がるみたいな。当然、最後の洗濯機へのダイブもそのオマージュでしょう。くれぐれも、良い子も悪い子も普通の子もみんなみんな、真似しちゃダメだぞ!

そして、ストーリー。ヒカルの曲のランニング・タイムは概ね4分台ということで、まとまったストーリーを展開するにはなかなかに尺が厳しい。『Be My Last』なんかはそれこそイメージカットの連続でなんとか話の概要を伝えようとしてくれてたが未だによくわからん。幽霊じゃなくて生身だったのアレ? だがこのMorYMVは、非常にシンプルな話の筋をゆったりと見せてくれる為そこで何が起こってるかがよくわかって大変よろしい。思い出すのは『Can You Keep A Secret?』MVとかかな。あそこまでインパクトのあるストーリーではないものの、「4分間の間に何がどうなったかを、セリフや字幕なしでも概ね理解できる」路線で映像を構築してストーリーを伝えてくれたという点で非常にわかりやすいMVとなった。


斯様にみていくと、『Mine or Yours』MVに関しては

・宇多田ヒカル本人出演
・宇多田ヒカル単独出演
・舞台は室内でスタジオ撮影
・少し不思議な世界観
・単純明快なストーリー

といった所が、今までのPV/MVとの比較の中で浮かび上がってくる固有の特徴だといえるだろう。



追記:
なお、書き忘れてたけど、PV(プロモーション・ビデオ)とMV(ミュージック・ビデオ)の表記の書き分けね。これは

「発表当時の宇多田公式側の表記」

に合わせたものにしてある。昔は地上波テレビや音楽専門放送チャンネルなどで流してもらう為の「プロモーションの一環としての映像宣材」という役割が強かったのだけど、次第にDVDやBlurayに収録して販売する商品そのものとしての性質が強くなっていった為このような表記の推移があったのだと推測している。実際の所は訊いた事ないからわからんのだけど、どっちの表記であっても「曲を流す映像」のことで中身は変わりないから気にせず読み流しておいて欲しい。


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前回の日記のタイトルは【 シャッフルでMV 】だった。これは「シャッフル・ビートのシングル・ナンバーでミュージック・ビデオを制作した」という意味だったのだがここでふと気がついた。

そういえばMVをシャッフル再生した事ないな?とな。

(…あらまぁ、シャッフル違いですね?)

確かに、普段は宇多田ヒカル関連楽曲を全部放り込んだプレイリストを作ってショートカットボタンでワンタップでシャッフル再生を楽しんでいるが、それは音源トラックのみの話で、そういえばミュージック・ビデオではやったことがなかったなと。

てことで早速Apple MusicでMVのプレイリストを作ってシャッフル再生してみた。UTADA名義の2曲も忘れずに。何故か『You Make Me Want To Be A Man』は宇多田ヒカル名義で並んでた。ほんと何故だ? 合計45曲3時間31分。これくらいの曲数にならないとシャッフルしても面白くないので、ここにきて初めてチャレンジしてよかったのかもしれないな。

そして最初に再生されたのが次の6曲。

『First Love』1999
『Goodbye Happiness』2010
『Forevermore』2017
『SAKURAドロップス』2002
『真夏の通り雨』2016
『Flavor of Life - ballad version -』2007

第一印象は「振り幅が凄い!」でした。ひとつひとつ見ていこう。


・『First Love』1999
王道バラードの王道ビデオ。如何にもカラオケ全盛期の1990年代らしい映像演出だ。ファンとしてはPV前2作がいまいちヒカルさんの美貌を捉えきれていなかった為、こうやって美麗な顔面をドアップで眺め続けることが出来るビデオは至福であった。そしてやはり、曲が抜群にいい。

・『Goodbye Happiness』2010
時代を下って今度は第一期ラストのビデオ。定点カメラでヒカルをワンカットで撮り続けるだけのシンプルな内容だが、ノスタルジーと現在進行形を重ね合わせた小粋な演出の数々は楽曲のコンセプトとばっちりマッチしている。それもその筈、監督が宇多田光氏本人なのだ。いや、本人が本人をこれだけ可愛く撮れるってどれだけ自分を客観視できてるんだか。兎に角ヒカルが可愛い逸品。そしてやはり、曲が抜群にいい。

・『Forevermore』2017
またまた時代が下って7枚目のオリジナル・アルバムからの楽曲のビデオなのだが、全編がヒカルさんによるコンテンポラリー・ダンス! これまたインパクトあったね。こちとら、宇多田ヒカルは歌う専門、踊るのは安室ちゃんに任せておけばいいという時代に育ったからねぇ。とはいえ、キレッキレの運動能力披露路線ではなく、歌詞の意味をジェスチャーで表現した、いわば“身体言語”でのアートということで、アーティストらしいアプローチが大変に良かった。そしてやはり、曲が抜群にいい。

・『SAKURAドロップス』2002
今度は紀里谷和明ワールド全開のビデオ。ヒカルさんが紅白歌合戦の小林幸子状態なのだが顔面の強さがとことんフィーチャーされているので不思議と「豪華な衣装を無理矢理着せられている」感覚は薄い。仏教ベースに近未来的かつディストピアな生物観を表現した作品だが、唯一無二の個性だわな紀里谷和明監督作品は。そしてやはり、曲が抜群にいい。

・『真夏の通り雨』2016
さっきの『Goodbye Happiness』が「宇多田ヒカルがでずっぱり」だったのと対極にこちらはワンカットもヒカルの姿が出てこないいわば“イメージ・ビデオ”タイプの作品。グラドルのIVじゃないぞ? 歌詞とも直接関連は薄いカットが次々と現れては流れていく構成なのだがこれが曲調と凄くマッチしていて名作なのだった。そしてやはり、曲が抜群にいい。

・『Flavor of Life - ballad version -』2007
ここにきてスタジオ・ライブ! ヒカルさんが歌う姿と、オーケストラの皆さんが演奏する様子を渋谷文化村スタジオでそのまま収録しただけの、言ってみればかなり安直な手法で制作されたビデオなのだがたぶんスケジュールの都合上こうするしかなかったんだよね。そしてやはり、曲が抜群にいいので、そんな安直さも曲の魅力を素直に伝える適切なアプローチとなっている。


、、、という感じで、

・王道
・本人常在
・ダンス
・CG満載
・本人不在
・収録風景

と、たった6曲シャッフル再生しただけでこんなにいろんな手法でMVが作られてきたことがわかって大変よかったよ。本人常在MVと本人不在MVがどちらも代表作になってるの、宇多田ヒカルの魅力が如何に多元的かを如実に物語っている。ここに更に、Apple Musicにはなかった『Beautiful World』『Kiss & Cry』『桜流し』などのアニメMV、キングダムハーツシリーズのゲームMVなどが加わるんだからホント凄いよねこの人の映像作品。そして何より、曲が抜群にいい。どの曲もどの曲もな! それが一番デカいよねミュージック・ビデオなんだから。大前提が凄過ぎる人なのでしたとさ。


これらの堂々たるラインナップの中でも今回の『Mine or Yours』MVの私的評価は大変高いのだ。次回こそ、その話に戻りたいぞっ!(寄り道し過ぎな件)


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宇多田史上で『Mine or Yours』の位置付けをみたとき、

「宇多田ヒカルが初めて、
 シャッフル・チューンでMVを作った」

というのが画期的な点かなと思われる。

シャッフルというのはリズム・パターンの名称で、

「タッタタッタ・タッタタッタ」

という区切りで刻まれるリズムを指す。細かく言うと「三連符のひとつめが強拍かつスタッカート、ふたつめが休符、みっつめが弱拍」みたいなことになるかなと思うけど要するに

「浮き立つように軽快なリズム」

のことだと認識してもらえればいい。

シャッフルのリズムで単曲リリースされた曲としては例えば『大空で抱きしめて』や『誓い』などがあるが、前者はサントリー天然水のCM映像が存在するもMVは作られず、後者はキングダムハーツの動画に使われはしたがやはりMVは作られずということで、『Mine or Yours』が初めてとなる。UTADAの“Easy Breezy』については一旦忘れよう。他にも「隠れシャッフルではないか?」という曲があった気もするがそれも一旦置く。

で。MVが作られた事の何が嬉しいって、

「シャッフル・チューンに身を委ね
 リズムに身を任せ口遊む
 宇多田ヒカルの姿がみられる」

これに尽きる。この映像が今まで極めて少なかったのだ。

例えば、

『なにか飲むかい? お湯沸かすよ』

で台所でポットか何かを持ちながらクルクル回る場面。あそこでのリズムの取り方なんかはシャッフル・チューンならではで、長年観てきた身にしたら非常に新鮮なのだ。シャッフル云々が頭になくても「あれ?なんかヒカルさん、いつものMVよりゴキゲンじゃない?」と感じた人はなかなかに鋭い。このようにちゃんと(音楽的な)理由があるのだ。今までこうやってシャッフルの跳ねるリズムにノる姿がなかなかなかったからね。

「THE F1RST TAKE」で歌う姿が笑顔で満ちていたのもそうである。前も書いたように、今SFツアー完遂を経て歌う事自体がこれまででいちばん楽しいと思しきヒカルさんが、心浮き立つシャッフルのリズムの伴奏をヘッドフォンを通して耳にしたらそりゃ自然に笑顔も溢れるというもの。いやはや、27年目にして新しい表情を見せてくれるなんてほんま『Mine or Yours』はぐっちょぶなんですよ!

特にこれくらいにスロウなテンポのシャッフル・チューンというのは、どちらかというとB面曲風情というか、エイトビートや四つ打ちで真っ直ぐ突き刺さってくるアップテンポの曲(『This Is Love』とかね)などに較べると“脇役感”が出る色合いが強いのだが、既述の通り『Mine or Yours』はその立ち位置にも関わらずこうしてCMソングとして採用され単曲リリースされるほどにキャッチーなポップ・ソングに仕上がっている。ここらへん、キャリア上で見た場合の宇多田ヒカルの成長と進化度合いを指し示す一曲となっている。その上こうしてMVも制作されてヒカルの新しい表情まで届けてくれて、こんな孝行娘を愛でない手はないですよ? (私の中では楽曲ってなぜか女性)


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今朝Xでリプライする為に3年前のこの日記を読んだのだけど、やっぱこいつは宇多田ヒカルの話をしてる時がいちばんおもろいなっ!と改めて自覚したので前回からの続きはなるべくサクッと終わらせて元の話の流れに戻したい所存。とはいえこの日記の書き方についての話なので無関係ということでもないのだけどね。


長らくここを読んでる方々なら薄々お気づきかもしれないが、当日記では(特に近年)、「(国名)+人」という表記を殆ど用いていない。日本人とかアメリカ人とかイギリス人とかね。その代わりに多用されてるのは「日本語圏民」「英語圏民」などである。

なぜ「(国名)+人」という表記を用いないかというと、殆ど意味がないからだ。例えば「日本人」という語の定義の一つとして「日本国籍を持つ人」というのがあるが、目の前の人の国籍がどこかなんて知らないし、知ったとして何の情報も得られない。こう言い切るのは、そう、肝心要の宇多田ヒカルさんの現在の国籍がどうなってるのか全くわからない事と、なのにそれが全くわからない事に悩まされた事が一度もない事、その2点があるからだ。

一人の人の話を9000回以上連載してきて、一度として何かの考察に支障が出たことがないというのは、私としては「基本的には意味がない」と言ってしまっていいかなと思う。勿論、「宇多田さんの国籍どこだろね?」みたいな話題として取り上げた事はあるが、そこから先に話が一切広がらない。ただの役所の届出だからね。知らんがな、で終わっちゃうんだよこの話題。

じゃあ例えば「宇多田さんはイギリスでの選挙権とかあるの?」という話題を取り上げたいとして国籍の話は要るかというと別に要らない。ちょっと不思議かもしれないが、細かい話をすっ飛ばしていえば国籍の有無と選挙権の有無はイコールではないからね。最初から選挙権の有無の話をするだけでいいのよ。で、ヒカルさんがその件に関して言及していなければ情報がないのでどうにもならない。合衆国大統領選挙がどうのとか、在外者投票がどうのとか言い始めたらああその国で選挙権があるのだなとわかるが、別に国籍の話を直接する必要はない。巷でも外国人参政権の話が時折話題に上ることがあることからもわかるかと思うが。

同様に、この日記では頻出であるけれども、海外の国での宇多田ヒカル人気の中でどれだけ日本語歌詞の内容などが浸透してるかの興味について語ることなどがある。その場合、日本国籍を持ってる人かどうかを問うのは意味がない。日本国籍を持ってることと日本語を喋るかということはこれまたイコールではない。持っていながら喋らない人もいるし、持ってないけど喋る人もいる。国籍の有無は直接の情報を与えない。だったら最初から日本語圏民という考え方で日本語話者を捉えればいいだけなのだ。つまり、わざわざ間に「あなたは日本人ですか?」なんて風に訊く必要は全く無く、「あなたは日本語を喋りますか?わかりますか?」とだけ訊けばそれで済む。

そんな風に突き詰めていくと、「あなたは(国名)+人ですか?」或いは「あなたは⚪︎⚪︎国の国籍を持っていますか?」という質問が必要不可欠な場面はほぼ皆無だということがわかってくる。なので、私が日本人とかアメリカ人とか書かないのは、どちらかというと禁忌や禁則事項などではなく「不要だから」「文字数の無駄だから」という色合いが強い。

自分も自身の国籍が普段の生活で問題になる事は殆ど無い。敢えて挙げるならパスポートを更新する時くらいだけど、あれも別に「必要な書類を役所から貰ってくれ」と言われて取得してるだけでその国籍がどこなのかというのは別に何もないしなぁ。勿論「日本国籍がなかった」となればパスポートが取得・更新できないという事態になり、この時初めて「私の国籍はどこにあるのだ?」と問題の俎上に載るだろう。逆に言えば、本人であってもこのように極めて限定的な局面でないと国籍は問題にならないのだ。だったら他人の国籍が問題になる場面なんてほぼない。「それで何をする」「何かができる・知れる」というのがないからね。選挙権の話なら選挙権の話を、使う言語の話なら言語の話をすればいい。国籍自体は驚くほど何もしない。それこそ、海外でトラブルに巻き込まれた時に大使館に駆け込んでやっと「ああ、日本国籍持っててよかった」なんてことにはなるだろうが、普段海外を飛び回らない私やその周りの人には流石に無関係なのでござる。てかその場合も大事なのはパスポート、旅券の有無でしかなかったりするからな。まぁそこまで言っちゃうと気の毒だけど。

ヒカルさんは世界中旅してるだろう。もちろんそれに興味を持って語る私にヒカルの国籍の知識は要らない。その知識があった時となかった時で話に出る差が思い浮かばないもん。


てことで、基本無意識日記では「日本人」「アメリカ人」「イギリス人」などの表記は出てきません。ごくたまに、なくはないかなという程度には使ってはきているけどね。試しに、読者の皆さんも自分の言動を振り返ってみて「ここで“日本人”と書いたけど、どういう意味なんだろう?」と立ち止まって考えてみたらいいかなと思いますよっと。


ああ、スポーツで日本代表を応援する時とか? 帰化選手がどうのってやつとか? それについては、また機会があったらね。卓球の歴代日本代表は、常にこの問題と対峙してきたからねぇ、、、取り上げる時は長くなりそうなので、いずれまた、ね。


でも、そうか、ひとつ最近の例を思い出したわ。ここまで国籍に触れることについて「ほぼ無意味」という話をしてきたが、今度は「国籍について触れると話がわかりにくくなるケース」、つまり「国籍について触れるとデメリットが生じた話」を付け加えておこう。


大相撲令和七年五月場所の結果を受けて大関大の里の横綱昇進が決まったニュースを先月ご覧になった方も多いかと思う。その時の記事の見出しは

「稀勢の里以来8年ぶりの日本出身横綱誕生」

であった。記事によるとこれを

「稀勢の里以来8年ぶりの日本人横綱誕生」

と書くと誤りなのだという。どこが違うねん?と一瞬思ってしまうが、なんでも、2023年にモンゴル出身の照ノ富士が横綱に昇進していて、彼は既に日本国籍を取得しているので日本人だから、日本人横綱誕生は2年ぶりなのだ。ややこしいな!

こんなややこしい話になるのも、「日本人」=「日本国籍を持ってる人」という語を使ったからだ。最初っから視聴者や読者が知りたいのは「その人は日本出身なの?モンゴル出身なの?」という、国籍ではなく出身地についての疑問への答えだったのだから、徹頭徹尾「日本出身」という言葉だけを使えばよかった。それだけなのだ。

これは、私が「日本人」ではなく「日本語圏民」みたいな言い回しの方を選ぶのと同じような理由だ。国籍なんていう情報は、大抵の場合無駄で、時には(本当に知りたいことを隠蔽してしまうので)邪魔ですらある。勿論、帰化の話は本人にとっては人生の一大決心・決断なのでそれについては尊重したい所だが、他人からしたら特に何の影響もないイシューだ。宇多田ヒカルさんが今どこの国籍を保持していても何ら影響ないですもん。ヒカルさんから「私、⚪︎⚪︎の国籍を取得しました!」とか話題にしてくれない限りね。話題にしてくれたら乗っかりはするけど、直接話は広がらないだろうなぁ。そこを無理やり広げるのちょっとやってみたいのでそんなことになる日がもし来たらそこで目一杯楽しんでみたいと思います♪ 以上、この件はこんなところかな?


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昨日は林原めぐみのブログが炎上していて…と触れると「飽きるほど見た」から「なんのこと?」までかなり振れ幅のある反応がありそうな令和の世の中でありますが皆さん如何お過ごしでしょうか。(溜息)


林原めぐみといえば「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイ役でも有名な声優さん。「名探偵コナン」の灰原哀も彼女だね(数ある役の中でなぜかこれを付け足さないといけない気がした)。ヒカルさんちのダヌくんも綾波レイがお気に入りだったし、ヒカルさん自身も『Beautiful World』をリリースした時の髪型は恐らく綾波レイを意識したものだったろうし、なんなら歌う時の発声で緒方恵美やこの林原めぐみを参考にしたかもしれないし、直接の繋がりはないにせよそれなりに関係のある人物ではある。

なお彼女のラジオ番組名は「林原めぐみのHeartful Station」だったりしたのだが勿論こちらの方が先なので、ヒカルさん、自分の曲に『HEART STATION』とつけたときは知らなかったのかもしれないし、知ってても構わずつけたのかもしれない。

林原めぐみの炎上内容はきっとデジタルタトゥーとして残っちゃうので省略しとく。今朝は一点だけ。

人の国籍に触れる時は慎重に。

そんだけだね。もう少し踏み込んで言えば、国籍を理由に何かの判断を下すのはほぼ総て間違いなので辞めた方がいいということ。

詳細については省略するが、ヒカルさんは出生時期&出生地的に日本とアメリカの二重国籍でも構わない人なので、昔から「どっち?両方?」というのは一部で関心を持たれていた。結局未だに正確なところはわからないのだけれど、長年みてきてわかったことは、「国籍がわからなくてもなんの影響もなかった」ことよね。宇多田ヒカルがどこ国民であろうが何も関係ないのよさ。大事なのはロンドン在住であることとか、息子と何語で喋っているかとか、そんなことで。まぁそりゃそうよね国籍なんて役所の書類上の話でしかない。

ただ、世界をコンサートツアーでまわるアーティストとしては、VISAの問題はついてまわる。それもどちらかというと当該国での知名度や実績の方がものを言うので、ヒカルの国籍がどこかとかはほぼ関係がない。国籍のある国ならビザの問題は浮上しない、という点は影響が…ああ、ないのよな、問題が浮上しないんだから。


いい機会なので?次回は無意識日記上での国籍表記について注意書きを書いてみるかな? 今まで僅かしか言及してなかったからね。今夜くらいになってたら炎上も忘れ去られていることでしょう。サイクル早いねインターネットの噂話は。


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『First Love - From THE FIRST TAKE』がリリースされたのだから引き続いて『Mine or Yours - From THE FIRST TAKE』も是非!と思うところだが、ここは少し冷静になって状況を整理しておきたい。

『First Love - From THE FIRST TAKE』は、宇多田ヒカルwith 河野圭による、ヴォーカル一本とピアノ一本での完全なるスタジオ・ライヴ一発録りのパフォーマンスだ。配信音源には(現時点で私が聴き取る限りに於いて)特に修正も加工も施されておらず、正真正銘の録って出し音源となっている。

翻って、『Mine or Yours - From THE FIRST TAKE』の方は、有り体に言ってしまえば“カラオケ音源”なのだ。ヒカルのメイン・ヴォーカルこそスタジオ・ライヴでの一発録りだが、バックの演奏は5月2日から配信されている正規音源のものと全く同じである。YouTubeで聴く限りマスタリング違いに聴こえなくもないが誤差の範囲だろう。勿論、バックコーラスもそのまま収録されている。

つまり、『Mine or Yours - From THE FIRST TAKE』を仮にサブスクで配信したら、実質、

「Mine or Yours ( another vocal take version )」

ということになるだろう。こちらとしては「別テイクの歌唱トラックが聴けて嬉しい!」となるのだが、リリースする方としては「それは流石に違いが少な過ぎるのでは?」という感覚を持っても不思議ではない。「そんなこと言わずにリリースしてよ」と迫っても、今までライブ・テイクだって各ツアー基本的に一公演ないし二公演の音源を採用するに留まってきたのだから、そうそうは「歌だけ別テイク」の音源をリリースしてくれるとは思えないわね。(『ヒカルの5』は5日間の映像が使われているが音源はそうではない) ヒカルとスタッフさん達の志向(と算盤勘定)からして、「歌がちょこっと違うくらい」では新音源のプロモーションはしてこないだろう。

3年前の今日にはスタジオ・ライブの『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』が、2年前には『40代はいろいろ - Live from Metropolis Studios -』が昨年は『SCIENCE FICTION TOUR 2024』がそれぞれリリースされていて、近年宇多田公式は着実にライブテイクを音源化してきてくれている。昔の事を考えるとこれはかなりの「軟化傾向」であるといえる。こちらの長年の要望が遂に通った結果なのだ。昔は映像作品のみだったからねコンサート関連となると。思えば遠くへ来たもんだ。

ほいでここまでやってくれてるところに更にわがままと欲張りを重ねるなら、ライブ・テイクも会場ごとのバージョンが欲しいし、今回のようにバックの演奏は変わらなかったとしても「アナザー・ヴォーカル・テイク」の類も隙を見てリリースをしてほしいところなのだ。

昔であればCDシングルのカップリングにデモ・バージョンを収録したりは他アーティストでなら頻繁に見られたが、ヒカルの場合デモ・バージョンを収録したのは『First Love 15th Anniversary Deluxe Edition 』くらいで、なかなか未完成品を世に出すことはしない。当時15000円払ってボックスセット(手にした感触は百科事典)を買ってもいいと思ったようなコアなファンにのみ提供したわけだ。もう11年前っすか。

最近も例の『NINE STORIES』関連で踏み絵状態というか、「君はどこまで支払えるか?」みたいな多様な価格帯の商品をリリースしていたのだし、今度は音源関連でそういうことをしてくれてもいいんでない? デモバージョンやらアナザーテイクやらを収録して是非熱心なファンからぼったくってもらいたい。ホントなら今度出る『Electricity Remixes』でそういうことやってもらいたかったんだけどね。うん。


…あら? 『Mine or Yours』MV配信開始を祝う内容にするつもりが全然違ってしまったな。まぁいいか。書ける時に書いておこうこういう話は。


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本日未明無事『First Live - from THE F1RST TAKE』と『Mine or Yours』MVがリリースされた。こちらも無事この日に辿り着けて至福でございます。

どちらも内容は既発とはいえ、リリース自体が意義深い。スマホ持って外出する人間にとって「オフラインでもいつでもどこでも聴ける/観れる」のは大変便利。こんなに手軽に至高のパフォーマンスを味わえるとはね。まるで自動販売機からフランス料理のフルコース(※昭和生まれにとっての「ごちそう」のイメージ)が出てくるみたいなもんですよ、えぇ。

更に『First Love - from THE FIRST TAKE』に関してはしっかりハイレゾも用意されている! 購入するならレコチョク、ストリーミングならApple Musicだろうか。Apple Music でのファイルサイズは90.8MBだからビットレートは3Mbpsくらいか? CDの約2倍のデータ量?

しかも、今回は編成が歌一本とピアノ一本でバックコーラスの追加もない。ミックスの行程次第でどうとでもなることなのだが敢えて力説強弁してしまうと今回のリリース、

「過去最高音質の宇多田ヒカル」

である可能性が高い。楽器や声部が増えたらその分データ量が割り振られちゃうから一声部あたりの精細さが低下しちゃうもんね。(一概には言えないんだけども)

しかも今回、「THE F1RST TAKE」でのパフォーマンスを、初聴の印象の限りだと、全く加工変更していない。バックコーラスも加えてないし余計なエコーもかけてない。ピッチシフトや修正もみられない。まさに録って出しといいますか、生々しい宇多田ヒカルの歌声が記録されている。

またこの録音がいいんだこれが。まるで、耳元で囁いてくれてるかのようなその生々しさ。極力生の声を記録する事に集中してくれている。バックの演奏もピアノ一本だし。その最高の録音環境の中で過去最高レベルの(って今歌ったら全部そうなるんだけども)パフォーマンスを披露したヒカルに天晴れ幸あれ誉れあれ。そういう状況だったからベストが引き出されたともいえるけど。河野圭さんもそれを邪魔する事が一切無く、主役が誰かを弁えてくれた大人の演奏。言う事なしですわな。

歌う宇多田ヒカルはこれでいいんですよ。どうしても作編曲家としてはドルビー・アトモスのような新しめの録音に興味を惹かれるというのは痛いほどよくわかる。立体音響は編曲術をイロハから書き換える革命をもたらす可能性だってあるんだ。でも、宇多田ヒカルの歌声は、何度も何度も(アンドレカンドレ?)繰り返して主張してきたように、モノラルのマイク一本で最高音質で録音しちゃうのがいちばんいいんですよ。立体感より親近感。すぐそこで、すぐそばで宇多田ヒカルが歌ってくれてる感覚をもたらしてくれるAMSRに立体音響は必要ないですわ。あぁいや、片側に寄せて片側の耳元で囁いてくれるのも勿論嬉しいんだけども、ヒカルの歌は真正面から「相対する」のが基本の接し方なので。それがいい音で混じりっ気なしに提供された。至高よ至高。


…ふぅ。朝から力説してしまったが、環境のある人は是非ハイレゾやらロスレスやらの高音質で聴いてみて欲しい。過去最高にヒカルを身近に感じられるからだ。鍵盤一本ヴォーカル一本のパフォーマンスといえば今までは「I Love you (live 2000)」が印象的だったけど、この『First Live - from THE FIRST TAKE』はまさに決定打。サブスク&デジタルダウンロード販売に載せてくれて心の底から感謝であります!


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『First Love』ばかり注目されて最新曲の『Mine or Yours』が目立ってない!…は若干言い過ぎにしても、確かに幾らか影が薄い気はしてるわね。

だけどそれはこの曲が生得的に持つ特質もあるだろう。歌詞にある通りこの曲はティータイムにほっと一息つけるような、そんな休息用の楽曲である。真正面から王道バラードで涙腺を刺激して感動的に盛り上げてくる『First Love』とは立ち位置からして根本的に異なるのだ。

昔はこういう曲調はシングル曲たりえなかった。よくてカップリング曲というところ。『Keep Trying 』の『WINGS』とかね。アルバム曲なら『日曜の朝』とか。ああいう、華やかな曲に挟まれながらも寛ぐにはちょうどいい、そんな箸休め的な曲調なんですよ『Mine or Yours』は。

寧ろ、この曲調でありながら今の宇多田ヒカルのシングル曲としてリリースできるクォリティを備えてるところがこれまでと違う。だってねぇ、シングル曲に求められるのは「目立つ事」や「押しの強さ」、つまりアピール・パワーであって、ティータイムにそれをやられると「ほっと一息つきたいのになんかおしつけがましいな!」とウザがられること請け合いなのである。『Mine or Yours』は、そういう時でも邪魔にならない上品さを備えながら一度聴いたらすぐ覚えてしまう(「口遊んでしまう」と書こうと思ったけどこれ歌うの難しいからな…)キャッチーさもあるという、なかなかに玄人好みのバランス感覚をキープしているのだ。

そこらへんヒカルはもともと資質はあって、『DISTANCE』や『Easy Breezy』なんかも大変キャッチーでありながら下品にならない、爽やかに翻っていく天使の羽根のような軽さを持っていた。と同時に、アルバムタイトルになったりCMソングになったりに相応しい華やかさもあった。

『Mine or Yours』はもっと大人びた、「引くことの美学」を弁えた曲調になっている。隙間の多いベースラインや、要所を押さえるに留めるギターのリック&オブリガードなんかにもその心意気は表れている。

この渋味(緑茶だけにね)に通じる、過去曲で近いものといえば『HEART STATION』かな。淡々と明確なメロディを哀感を伴ったまま綴り続ける同曲は単曲ヘヴィ・ローテーションにうってつけだった。どれだけ聴いても聴き疲れない。2008年当時の配信日は10回リピートしたもんな。

『Mine or Yours』も私最近やたらと単曲リピートしてしまう。そこまで極端に曲調が盛り上がったりしないので、イントロからアウトロまで一定のテンションをキープしてくれるからどれだけ聴き続けてても違和感が無く疲弊しない。サウンドも歌唱も押し付けがましさとは全く無縁で鳴っているだけで心地よい。ウォームなベースサウンド、優しいタッチのドラミングも吉だ。やはりストリングスの音は軽いが、これ確かにオーケストラの荘重な雰囲気とか出されても余計だったろうから意図的な軽さだったのかもしれないな…音作りの意図を的確に汲むのもなかなか難しいもんだね。

こうなってくると、正直公式からちゃんとカラオケバージョンかテストヴォーカル・ミックスを出して欲しいなぁとなる。あ、どっちも歌無しインストって意味で同じです。かつて『大空で抱きしめて』のインストバージョンがヴォーグ・ジャパンYouTube動画でのみ1分間だけ披露されていて「フルコーラスでくれ!」と噛み付いていたものだが、あれと同じ衝動を『Mine or Yours』にも感じている。歌ありと歌無し交互に聴きたいなぁ。

毎日聴いても、何度聴いても飽きないのよね。リリースから1ヶ月経っても未だに単曲リピートで1日に2回3回と聴いてしまう。過去26年間でもこんな曲は記憶にないなぁ。毎日は聴いても1日に続けて何度もは大変珍しいのです。

これあれだ、若いリスナーとファンの皆さんは、是非10年後とかにまた聴き直してみてほしいかな。雰囲気がのんびりしてて地味で刺激が足りないという感想を現在持っていたとしても、人生に疲れれば疲れるほどこの曲の持つ本質的な滋味と渋味が沁み沁みと効いてくるからさ。現時点ではこれを読んでピンと来てなくても、今夜の日記を頭の片隅に置いておいてくれたら嬉しいな。そんな私も10年経ったらまた新しい感想をこの曲に懐いているかもわかりませんが。ホントに懐の深い曲ですわ『Mine or Yours』は。流石にどうやらこのまま私的年間再生回数ナンバーワン曲に収まりそうです。(…フラグ??)


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政治ネタ解禁したのでこれについても触れとくか。去年で終わったかと思ってた「新サイバー犯罪条約」の件、今秋の国会でまた取り沙汰される可能性があるとか。

「新サイバー犯罪条約」、中身は色々あるけれど、ここで問題にしたいのは「架空の物語であっても、児童を性的搾取する表現物は映像や画像はおろか、音声や文字でも取り締まる」という点だ。

これを過去の表現物にまで遡及して適応されちゃうと、そう、15歳で『First Love』を作って歌った宇多田ヒカルは摘発されちゃうのよね。『最後のキスはタバコのflavor がした』ですもん。大人の男が15歳の女性を性的搾取しましたハイ犯罪です、になってしまう。或いは、未成年喫煙した彼氏との不純異性交遊だからダメとかね。何をそんな馬鹿なと言われるかもしれないけれど、よその国ではこの条約が批准されて発効してる所もあるとかで、全く他人事ではないのですよ。それらの国でのリリース、まだ何も起こってないだろうな?

本来なら26年前の歌に難癖付けるようなことなんかそうそうはない。歌った本人も今や40代で一児の母だしな。しかし折しも、今年は『First Love (2022 Mix)』がゴールド認定され、ご覧の通り「THE F1RST TAKE」でのパフォーマンスが大絶賛され、各国のチャートでも元気に上位進出していて同曲が思いっ切り注目されてるのだこの2025年は。また今日SFツアー動画がアップされて加速されとるしな。槍玉に上げるのにちょうどいい。

それに加えて例の夫婦別姓騒動よ。表現規制派の皆さんは党派問わず至る所にいらっしゃるけど、宇多田ヒカルを政敵認定しやすい空気感は醸成されてしまった。これはかなりヤバい。

これはもう、意地でも「新サイバー犯罪条約」に関しては留保規定を死守してもらわねば(詳しくは検索して自分で学んでね⭐︎ザ・無責任な私⭐︎)、おちおち昔の歌も歌ってられない。もちろんこれは宇多田ヒカルに限ったことではなく、若年アーティスト&アイドル皆さんに降りかかるかもしれない事態だ。恐らく、実際の摘発はそんなにはないかもしれないが、見せしめとしては宇多田ヒカルの知名度の高さと政敵認定は有効物件過ぎてなぁ。新サイバー犯罪条約を日本語圏に知らしめるにはちょうどいいんですよ。

これまたいつもの私の過ぎた杞憂に終わってくれる事を願ってやまないのだけど、表現規制問題はどこまでも追い掛けてくるわね。ヒカルさんに日本での活動を諦めてもらわない為にも、しっかりとNO!を突き付けてやりたい気分ですわ。


※ これ政治ネタ解禁と鼻息荒くしてみたけど、表現の自由ネタだから前々から書いてたわ…まぁどちらでもいいんですけどっ!


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うぉいっ! いきなり『First Love』関連で新情報2連発ですか!


まず一発目。え、もうこのあと0時からプレミア公開なの!?

Hikaru Utada

First Love

HIKARU UTADA SCIENCE FICTION TOUR 2024

00:00 (JST) Premiere on YouTube

https://x.com/hikki_staff/status/1930556397219143964?s=46


へぇぇ、SFツアーの『First Love (Live 2024)』がYouTubeで単曲で聴ける&観れるようになるのね! これはいい。キーは半音下げだっけ? まともに気にした事ない(※一音くらい下げられても気づけない)のでどちらでもいいんだけど、スタジオバージョンと聴き比べしてくれる人が増えたらいいな。SFツアーからは既に『traveling (Live 2024)』があるのにここで単曲配信してくるってことは、ここからU-NEXTでのSF全編再配信とかNetflixでの配信開始とかあるのかな? 自分としてはYouTubeで有料でトラックごとに切ってプレイリスト作って広告なしでコンサート全編観れるのやって欲しいんだけど、無理かなー。このまま他の曲も順次単曲配信していけばゆくゆくは…!?(無茶を仰る)


そしてそして! その情報を同じ日に出してくる?? 混乱して勘違いする人続出にならない??

宇多田ヒカル

First Love / THE FIRST TAKE

youtu.be/iBUV7dxGhno?si…

Download & Streaming
umj.lnk.to/First_Love

https://x.com/hikki_staff/status/1922642060508639262?s=46


えぇそう、
『First Love /THE F1RST TAKE 』、
サブスクで配信決定!
もちろん、iTunes Storeでも売ってくれるよ!

なんともこれまた嬉しい! 当方映像を観るより音だけを聴く方が何倍も時間を使う生活をしてるので、音源で聴けるのは本当に有難い! これは聴く頻度が更に増えるなぁ。YouTubeってピクチャーインピクチャーできなくない? サブスクならBGMにしまくれるので大変便利。素晴らしい。英断に拍手!

となると、当然『Mine or Yours / THE F1RST TAKE 』の配信も期待しちゃうのだけど予定はないですかそうですか。こちらだって既に400万回再生されてるし、音源配信も結構な収益を上げてくれそうだけどね? あたしはダウンロードでも買うけどね? ところで『Mine or Yours』MVのiTunes Store配信販売はまだですか?


てことで、降って湧いたような『First Love』情報2連発。まぁそうよね、この10年のヒカルの歌唱力を知らないと、いきなりスタジオ・バージョンからSFツアーバージョンやらTHE F1RST TAKEバージョンに飛んだらインパクトが凄いか。これでまた新しく『First Love』関連のトラックがゴールドやプラチナに認定される未来が来るかと思うとやはり長生きは欠かせませんね。こういう一曲を持ってると、強いねぇ。もう一回くらい紅白のトリでこれ歌ってあげてもいいのでは? ああいや、ファンとしては、年越し単独コンサートやってくれた方がずっと嬉しいけども。それは世迷言としても、あれですよ、梶さん御自身への誕生日プレゼントお見事であります!(笑)


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さて前回もしらばっくれてたのだけど、その『Mine or Yours』の最後のパートの歌詞、音だと

「じゆうになれればなれるほど」

のところ、サブスクの歌詞表示だと

『自由に慣れれば慣れるほど』

なのよね。最初まず歌詞を目で読まずに耳で音だけ聴いた際、私は全く疑わずに

「自由に成れれば成れるほど」

なんだと思い込んでた。五段活用動詞「成る」、“be”の“可能”で「成れる」、”can be”だね。ところが実際の歌詞は下一段活用動詞「慣れる」、”get used to”だったんだ。後から歌詞表示を目で見てビックリしたよ。

でもこれ、ヒカルさん、ある程度わかってやってるんじゃないかな? つまり、歌詞はあクマで耳に入ってくる歌に付随するものであって、目で見て読める歌詞文字表記は補助でしかないというか。自分の意図は「慣れる」だけれど、「成れる」で解釈してもらっても大丈夫、と踏んでる気がする。

前回の日記などはそれに甘えて「成れる」の解釈で話をしてたんですけどね。つい漢字で「慣れる」の方を使っちゃったから幾らか違和感があったかもしれない。ごめんなさい。


それに関連して思い当たるのが、プータローさん @BU19244800 が指摘していた

『令和何年になったらこの国で
 夫婦別姓OKされるんだろう』

の部分が

『令和何年になったらこの国で
 夫婦別姓を消されるんだろう』

に聞こえる問題ね。確かに、ここのメロディ運びをそのままイントネーションとして捉えると、「OKされる」よりも「を消される」の方が日本語として自然なのよさ。一方で、『OK』の部分を「オーケー」ではなく「オーケイ」と注意深く発音してる事からも、「を消される」ではないことは控えめに主張されてはいる。

でもこれも、「どちらに聞こえても大丈夫」と思ってんじゃないかな? 確かに歌詞文字表記では『OKされる』なんだけど、「を消される」で解釈されても構わない、と。まぁやや意味が通じる解釈にささやかな強引さも付き纏うけれど。

どうしてもSNSで話題になるとなると、歌詞を文字で、視覚的な認識で語る人ばかりになりがちなんだけど、メロディや歌い方などとも関連させて言葉を選んで歌っているシンガーソングライターのヒカルからすれば、実際の歌を音で聴いてもらって初めて本来の意図やニュアンスが伝わるのにという忸怩たる思いもまた抱えているのではないかと愚考する。それがどこまで“憤懣やる方ない”事態なのかはわからないが、ここに来てその状況を利用するというか、面白がるしたたかさも見せてきてるのかもしれないなと思えた次第。今後の歌詞の在り方なんかも見ながら、ここらへんの妄想は検証されていくべきでしょうね。

にしても、連日多角的に『Mine or Yours』の構造を検証してるのだけど、どこから切り込んでも最終的に「あなたの感じ方次第で変わるのよ」と言われてる感触に辿り着く構造になってるのは、宇多田ヒカルの魅力の真骨頂の醍醐味の一つだろうね。まったく、よく出来てるわ!


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※ 科学実験について興味のない人は「⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎」の所まで飛ばしてね。



二重スリット実験については出来れば予めWikipediaを読んでうただいて。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E5%AE%9F%E9%A8%93

一応掻い摘んでどんな実験かをここでも解説しておくと。

① 電子銃で電子を打つ
② 電子を壁に空けたスリット(隙間)に通す
③ 電子をスクリーンに着弾させる

という結構シンプルな実験。電子銃でスクリーンに電子を打つんだけど、間に壁があって素直には届いてくれない。なんとか壁の一部に空いてる隙間(スリット)を通して電子をスクリーンに当てよう、とそういう実験なのです。

で。スリットが一つの時は電子銃とスリットの直線上ににあたるスクリーンの場所に沢山電子が着弾する。そこから逸れれば逸れるほど着弾する電子数は少なくなる。電子の数を高さで表現すると、高い真ん中から裾野が広がるにつれて低くなる山の形になるわけだ(ここらへんグラフを書くのに慣れてないとピンとこないだろうけど)。

ところが。スリットを2つ空けると奇妙なことが起こる。電子の着弾数を高さで表すと、普通なら山が(スリットの数である)2つの連山の形に落ち着くかと思いきや、山と谷が幾つも繰り返す「干渉縞」と呼ばれる分布を示すのだ。

これの何が奇妙かって、

「二つ目のスリットを空けてスリットが一つの時より明らかに電子の通り道が増えているのに、スリット一つの時には簡単に着弾できていた位置に電子が全く着弾できなくなった」

ケースが生まれる点である。目的地までの道を増やしたのに、さっきまで行けてた場所に行けなくなったのだ。これが、「可能性」同士が物理的実在として相互に影響し合う量子力学の大きな特徴なのである。


⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎


この二重スリット実験は、

「選択肢が増えると選べなくなる未来が生まれる」

という考え方を与えてくれる。
『Mine or Yours』の歌詞の最後、

『自由に慣れれば慣れるほど不自由だって』

の部分、ヒカルはこういった量子力学的特性をイメージして書いた可能性もあるな。選択肢が増えて自由度が増すほど、以前から選べていた何かを選べなくなる未来がやってくるのだ。

わかりやすい?例を即興で考えた。
例えば、

・カツ丼とカレーから選ぶならカツ丼
・カレーとラーメンから選ぶならカレー
・ラーメンとカツ丼から選ぶならラーメン

という趣味嗜好の人が居るとしよう。変な人だけど。この人は、カツ丼とカレーとラーメンのうちどれか二つだけを選択肢として提示された時には自分の食べるメニューを迷わず選ぶことができるが、この三つをいっぺんに選択肢として提示されると、カツ丼もカレーもラーメンも選べなくなってしまう。ジャンケン状態だね。とすると彼女は(女性だったのか)、カツ丼もカレーもラーメンも諦めて何か他の、例えばチョコレートサンデーを選ぶ事になるかもしれない。選択肢が増えたら自由には選べなくなったのだ。これが、自由に慣れたら不自由になる一例である。

(なお、二重スリット実験もこれとよく似てるんですわよ飛ばして読まれた皆さん。)


これ、どうして「選択的夫婦別姓」法案に反対の人は、この理屈を持ち出さないのか? 恐らく、賛成派に対して最も強力な反論を形成できる。姓の選択肢を増やすことで選ばれなくなる選択肢が出てくるかもしれないぞ!というのは、法案を否決するのに非常に強力な論理となりえる。

まぁ、持ち出さない理由は察しがつく。基本的に、前に書いた通り、反対派の主力の皆さんには女性差別が根本にあるので、本気で夫婦の姓や家族の絆について考えてるわけではないのだろう。このように党派性の政争の具に選ばれてしまって、思想や政治と関係なく行政手続き上不利益を被ってる方々は大変な不運だわよね。、、、うむ、余計なこと書いたな。自覚はある。でも消さないぞ。


ということで、先立って触れた『Mine or Yours』の

『どの道を選ぼうと
 選ばなかった道を
 失う寂しさとセット』

の一節に加えて、

『自由に慣れれば慣れるほど
 不自由だって、』

の部分もまた、ヒカルが量子力学的発想を持ち込んで歌詞を書いたのかもしれない、という話でした。だとしたらかなり物理学を学んでいそうだなぁ。CERNに招かれるに相応しい熱心さですね。だとしたら、だけどね⭐︎



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朝から量子論は重いな…と感じたので今朝は別の話題を。

今日から日本国国会で選択的夫婦別姓法案に関する審議が始まる。報道のニュアンスからして可決成立に至る道筋は見当たらなそうな気配だけど、今までのことを考えれば随分前進してるな今年は。

しっかり炎上してくれたおかげさまで「夫婦別姓歌った宇多田」という認知は大分広まったようで。しかし、『Mine or Yours』の歌詞を完成させたのはどんなに遅くても今年2月までの話だろうから、よくもまぁこのタイミングに合わせられたなぁと感心する次第。どこまで目論んでいたのかは推し量るしかないにせよ、しっかりと情勢を見極める目は持っているだろうから、ある程度「機運」は捉えていたのだろうなとは思う。私は捉えてなかったぞ。

ヒカルさんの歌詞に時事ネタ或いは時代の徒花が盛り込まれるのは今に始まった事ではない。今の10代リスナーがPHSやブラックベリーが何の事だかわからなくても何ら不思議ではない。同じように、夫婦別姓のワードも将来振り返った時に「あの頃の話題だなぁ」と感慨深くなる事だろう。当然、楽曲のクォリティには何ら支障は無く、商業音楽として時代毎の刻印と共にあるのは寧ろ誇らしい事だろう。もうちょいヒットしてくれたらねとは思うけどもね。

今朝の【今日は何の日】では、4年前にヒカルが“ブラック・ライヴズ・マター”について語った呟きについて取り上げている。

https://x.com/hikkicom/status/1930019159498469668?s=46

『日本で生まれ育った日本人からすると人種差別っていまいちピンと来ないかもしれないけど、今アメリカで起きていることは未来の世界史に載るような歴史的な局面かもしれない…というかそうであってほしい』
https://x.com/utadahikaru/status/1268542158245634051?s=46

様々な色合いは異なるが、『Mine or Yours』のリリースに際して似たような願いを持っていたのかなとは思わされる。「今日本で起きていることは未来の日本史に載るような歴史的な局面かもしれない」という風なね。流石にブラック・ライヴズ・マターのように直接生命の遣り取りに繋がるような話ではないけれども、日本の性差別的構造がどうなるかの分水嶺と試金石にはなり得るかもしれない。法案審議の続報も、多分取り上げるかなと思います。


いやねー、政治ネタは「表現の自由」に関するもののみ、って言ってたけど禁を破っちゃったわね無意識日記。それも「政治に音楽活動を邪魔されてはたまらない」という意図だったのだけど、今回こうやってヒカルさんが積極的に言葉にしてきた、歌詞にしてきたとなると、そのポリシーは修正をするしかないのかもな。あたしゃ絶対音楽と戯れながら象牙の塔にでも住んでいたい方なんだけどねぇ。やっぱり我が子が居てそれをこれから世に送り出す親としては、世の中によくなって貰いたいんだろうな。と、そう勝手に思っておりますよ。


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