http://www.u3music.com/message/index.php?m=1&d=2007070823330j.xml
今年もウィンブルドン男子決勝見てるのか~(シングル“ズ”てwヤンキーズか?www)
相変わらずナダルが好きなのね。
それなら彼の勝つ全仏を見ろよ、といいたいところなんだが(笑)
伊達公子が「小さい頃は4大大会もウィンブルドンしか知らなかった」と
言ってたくらいなんで、ウィンブルドンは特別なんだろうな。
ナダルはクレーに強いタイプで、だからフェデラーの連勝も止められたんだけど、
芝のコートのウィンブルドンはまた別。いや全く別。
ここでフェデラー止められたらたいしたもんだ。
テニス知らない人にどれくらいクレーと芝が違うか、というのを説明するときに
「水泳でバタフライとクロールくらい違う」と言うのが私の常なのじゃが、
これで通じるかな?? フェデラーという選手はいうなれば
平泳ぎと背泳ぎとバタフライと自由形の総てで金メダルをとってしまうスーパースター、
ナダルはバタフライはめっちゃ得意なんだけどクロールはそこまで早くない、みたいな。
やっぱ花形は自由形(クロール)なんで、フェデラーが現時代の“テニスの王子様”に
なっちゃうのは致し方ないところ。
そんな華麗な“プリンス”より、
泥まみれになってボールを追う“野武士”ナダルの方を好むのは実にHikkiらしい。
どんどんと情熱的にボールに喰らいつくナダル、
美しいフォームでエースとサーブ・アンドボレーを次々と決めるフェデラー。
パッショネイトなナダルと、ビューティフルなフェデラー、、、。
Passionのナダルと、Beautyなフェデラー??
そう、今までのHikkiからするとひとの“情熱(Passion)”へはこだわりがあっても
そうそう“美(Beauty)”についてはあんまり語ってこなかったかもしれない。
女子にしろ男子にしろ“カワイイ”という基準はあっても“美しい”というのが
1番手に出てくる事は少なかった。
でも、今回の新曲のタイトルは“Beautiful World”、美しき世界だ。
情熱を好む作曲家が美を正面切ってテーマに据えてきた。
これは本人の変化なのかそれとも映画への敬意の表明なのか?
“美”へのこだわりで思い出す少ない例のひとつが“FINAL DISTANCE”だ。
> みんなはどう思うかまだ分からないけど私には、
> 私が今まで作ったもの中で、
> 幼稚園のお絵描きの時間で初めて描いたクレヨン画も
> 中学校の家庭科で作ったチキングラタンも
> 大学で提出した論文もこれまでのCDも全部含めて、
> 一番美しいものなような気ぃする!
http://www.emimusic.jp/app/scripts/emilog.php?id=hikki&no=336
この曲から6年経つが、未だに僕からしたらこの曲は確かにいちばん“美しい”。
ひとの切実な感情やその来し方行く末を唄ってきた宇多田ヒカルにおいて、
“美”が前面に押し出されたのは、もしかしたらこの曲くらいかもしれない。
(“Kremlin Dusk”は様式美だが、ちょっと意味が違う)
“Beautiful World”については、二つが考えられる。
・人の感情の機微を超越した形而上学的な“美”を追求した。
・美とは醜と表裏一体。世界の美しさの裏の人間の醜さについて描いた。
、、、と思ったが、先日のWEB-ROADのエントリを思い出した。
ちと引用させて貰う。
> 『Beautiful World』、直訳すると『美しき世界』でいいのかな。
> どんな曲になるんだろう。まるで絵画のように美しい光景が歌われるのだろうか、
> それとも人間の一番醜悪な部分が詞に織り交ぜられるのだろうか。
http://blog.goo.ne.jp/hiron323/d/20070704
なるほど、私より先に私と殆ど同じ事を書いているじゃないか。(苦笑)
まぁ、それはいい。重要なのはその次だ。
> ”作品を終わらせる為の作品”というものがあるとしたら、
> きっとこれになるんじゃないだろうか。
どれだけの読者が気付いたかな。これは、ヒカルが17のときに
対談したダニエル・キィス氏のひとことを基にしている。
> これは人々のために書いているわけではない。
> 書けという要求があるわけでもない。
> 自分のためさえでもない。作品を終わらせるためだった……。
前後を省略してしまったのでわかりにくいかもしれないが、
要は彼は、作品を書く動機は、作品そのものの為だと言っているのだ。
あ、直後の一文を引用すればいいか。
> 私は大学で教えながら、五つの出版社に拒否された作品を書き上げて、
> 通りを歩いていた。突然、めまいがして、自分が気を失うのがわかった。
> 心臓発作なのか。死にかけているのか。大地が崩れ落ちる直前に、
> 頭に閃いたことがあった。それは妻でも子どものことでもなく、
> 閃いた一行は「作品を書き上げてよかった」だった。
> そのとき、自分は何よりも書き手だと認識したよ。
こういうのを「作品至上主義」とでもいえばいいかな。
この領域に入った人間は、作品に“美”を宿す事に腐心する。
Hikkiは、時期にもよるが、あまりそこまではいかない事が多い。
彼女は、どれだけ耳を塞ぎたくなるようなことがあっても、
結局最後には人と人が向かい合うことを求める。
そんな中で“FINAL DISNTACE”は、異質な光を放っている。
> なんかね、すごく特別。レコーディングの現場も魔法にかかってるっぽくて、
> 何かを作り出してるというよりも、
> 昔から言い伝えられてる儀式に立ち会ってるようなフッシギィ~な感覚に包まれて
> 一週間過ごした。
http://www.emimusic.jp/app/scripts/emilog.php?id=hikki&no=336
作品自体に存在感がある、生命力が宿っている。
その感覚を持ったときに現われたのが先述の“一番美しいもの”発言だ。
作品至上主義の行き着く先には“美”がある。そう解釈すると、
「新世紀エヴァンゲリオン」という人間の心理の葛藤を描いた“文学作品”に
beautiful worldなんていうことばを投げ掛けてくるとは、
彼女がエヴァに対して“作品”としての存在感を強く認めてることの裏づけではないだろうか。
あ、考えがまとまらないうちに書いちゃった(汗)
まぁ、今後の天啓書いていく中で、少しずつまとめていくかな~
今日はこのままUPだっ。
P.S. なんだかすっとぼけてますが、このエントリは月曜日UPです(泣)。
こうやって毎週“このブログは毎日更新だよ~”という嘘をつき続けることに
私は心底罪悪感を感じません(爆)。 ま、いいじゃないの~かっこつけたいのよ(>∀<;
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