トシの読書日記

読書備忘録

生命(いのち)の重さの測り方

2012-09-03 17:00:50 | あ行の作家
大江健三郎「個人的な体験」読了



これはすごい小説です。「鳥(バード)」と渾名される主人公に子供が生まれるんですが、脳に異常があり、手術をして助かったとしても極端にIQの低い子として育つ可能性があると医者に告げられ、そして主人公はその子を見殺しにしようとするという話です。


聞いた話では、この小説が発表された当初、批判の声がかなりあったそうです。それも無理のない話で、大江健三郎自身の子供が、そういった子として生まれていたわけですから、当然のことだと思います。大江が自分の子に対してそういう思いがあった上で、この作品を執筆したと思われても仕方のないことです。


そのあたり、真偽の程は定かではありませんが、でもまぁよくこんな小説を書いたものだと思います。この小説のテーマになると思われるあたり、引用します。


<火見子はカーラジオのスイッチを押した。ニューズ番組で男のアナウンサーがモスクワの核実験再開のその後の波紋について語っている。(中略)「鳥(バード)、原水協はソヴィエトの核実験に屈服したのね」と切実に興味をひかれているのではない様子で火見子はいった。「ああ、そのようだ」と鳥(バード)はいった。他人どもの共通の世界で、人間一般のためのただひとつの時間が進行し、世界じゅうの人間がおなじひとつの運命と感じる悪しき運命がかたちづくられつつある。しかし鳥(バード)はかれの個人的な運命を支配している赤んぼうの怪物の寝籠にかかりきりだ。>


井上陽水の「傘がない」という曲を思い出します。世界は原爆の実験を中止すべきだとか、推進せよとかかまびすしいのにかかわらず、自分はまったく自分の都合のことしか考えていない。しかし、というか、しかもというか、それは自分の生まれた子を殺すかどうかという問題なのだ。


そして鳥(バード)は、やはり子供に手術を受けさせてその責任を引き受けることを決心します。そのくだり、以下引用します。


<おれは赤んぼうの怪物から、恥しらずなことを無数につみ重ねて逃れながら、いったいなにをまもろうとしたのか?いったいどのようなおれ自身をまもりぬくべく試みたのか?と鳥(バード)は考え、そして不意に愕然としたのだった。答は、ゼロだ。>


夕べ、偶然テレビのニュース番組で、この本のテーマに関連する特集をやっていました。妊娠中の検査で胎児がダウン症であると判明し、それを産むか産まないかの決断を迫られるという夫婦のドキュメントでした。しかし今の法律で産まない(中絶する)ことは可能なんでしょうか。そこはちょっとわかりませんが、五体満足でないと分かっていて子供を産むという親の気持ちには大変なつらさがあると思います。中絶してもたとえそれが違法であったとしても、その気持ちは痛いほどよくわかります。親の子に対する愛情というものを差し引いたとしてもそれは許されることなのではないでしょうか。


ちょっと重い小説を読んでしまいました。次は他の作家で気持ちを落ち着かせることにしましょう。

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