トシの読書日記

読書備忘録

魂の中の小さな声

2017-08-01 17:50:24 | か行の作家



レイモンド・カーヴァー著 村上春樹訳「英雄を謳うまい」読了



本書は平成20年に中央公論新社より発刊されたものです。レイモンド・カーヴァーは自分がリスペクトする作家の一人なんですが、本書はずっと手元にあったものの、読まずに今日に至っておりました。


短編集ではなく、詩、評論、書評など、もちろん、ごく初期の短編も収められているんですが、訳者村上春樹が言うように、いわゆる落穂拾い的な性格の本で、未発表の原稿をとにかく寄せ集めたといった体のものになっています。なので、ちょっと手を出しにくい気持ちになっておりました。


でもやっぱり読んでよかったです。初期の短篇は、やはり荒削りで、実験的な要素も多分に含んでいて、これは小説として成り立っているのかと思わせるような作品も散見されましたが、でもやっぱり後年のカーヴァーの世界の片鱗はしっかり見せています。


あと、書評がいくつかあったんですが、カーヴァーの好みが色濃く反映されていて、読み物としてなかなか面白かったです。その書評でカーヴァーが強く推す本がいくつかあったので、それを覚え書きとしてここに記しておきます。


ドナルド・バーセルミ「雪白姫」
ジム・ハリスン「レジェンド・オブ・ザ・フォール」
ウィリアム・キトリッジ「ヴァン・ゴッホ・フィールド」
ヴァンス・ブアジェイリ「男たちのゲーム」
ジョナサン・ヨーント「ハードキャッスル」
リチャード・ブローディガン「アメリカの鱒釣り」
リチャード・フォード「究極の幸運」
リン・シャロン・シュウォーツ「ラフ・ストライフ」

上記の本が果たして日本語訳で手に入るのか、怪しいものですが、とりあえずネットで調べてみることにしてみます。


29年前に50才の若さでなくなったカーヴァーゆえ、新作を望むことはもちろん無理な話なんですが、なんとも残念至極です。

死によって与えられる救済の感覚

2017-07-25 15:32:37 | か行の作家



川上未映子 村上春樹「みみずくは黄昏に飛びたつ」読了


本書は今年4月に新潮社より発刊されたものです。川上未映子による村上春樹へのインタビュー集です。都合4回にわたるインタビューで、345項となかなかのボリュームになっています。


いろいろと考えさせられること、気づかされることがありました。もちろん、村上春樹の小説に対してです。


まず、村上春樹の執筆のスタイルというか、その筆の進め方に驚きましたね。特にプロットも立てず、とにかく筆のおもむくままに書いていくんだと。自分でもこれがどんな話になるのか、書いている時点ではわからないとおっしゃっています。しかし本当かねこれ。なわけないだろう、と突っ込みたくなりますが、真偽のほどは定かではありません。


それから、「文章がすべて」というところ。ちょっと引用します。

<そう、文章。僕にとっては文章がすべてなんです。物語の仕掛けとか登場人物とか構造とか、小説にはもちろんいろいろ要素がありますけど、結局のところ最後は文章に帰結します。文章が変われば、新しくなれば、あるいは進化していけば、たとえ同じことを何度繰り返し書こうが、それは新しい物語になります。文章さえ変わり続けていけば、作家は何も恐れることはない。>


これ、すごいですね。小説のテーマの選び方、また、それをいかに深く掘り下げるか、というのがその小説の重みである、という文学界の暗黙の了解をすっ飛ばして、ただ「文章」と言い切るところ。やっぱりこの作家はただ者ではありません。


また、インタビュアーの川上未映子も、さすが新進気鋭、第一線の作家です。質問が鋭い!村上春樹が巻末の「インタビューを終えて」という章で感想を言ってますが、ここ、ちょっと引用します。

<次々に新鮮な鋭い(ある場合には妙に切実な)質問が飛んできて、思わず冷や汗をかいてしまうこともしばしばだった。読者のみなさんも本書を読んでいてそういう「矢継ぎ早感」をおそらく肌身に感じ取ってくださるのではないかと思う。>

この大作家に冷や汗をかかせる川上未映子もやはりただ者ではありません。


村上春樹の小説(物語)に対する特異な考え方、また、自分を取り巻く世界に対するユニークな捉え方、大変面白く読ませていただきました。





玉石混交

2016-11-22 18:39:47 | か行の作家



北村薫・宮部みゆき編「とっておき名短篇」読了



本書は平成23年にちくま文庫より発刊されたものです。小川洋子の「メロディアスライブラリー」で同じシリーズの「名短篇、ここにあり」を紹介していて、ネットで見てみたら本書の方が面白そうだったので、こちらを買ってみたのでした。



しかし、残念なことにあまり見るべきものはなかったですね。深沢七郎の「絢爛の椅子」、岡田睦(ぼく)の「悪魔」くらいですかね。選者二人が自分の興味とは埒外の作家ゆえ、選ばれた作品に対して惹かれないのかも知れません。


でも深沢七郎はいいですね。まず文体が面白い。以前読んだ「楢山節考」ほか、タイトルは忘れましたが、いくつかの作品でも同じことを感じました。


まぁこんなアンソロジーもあるってことで。

祖国との別離の痛み

2016-11-15 16:06:58 | か行の作家


アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「第三の噓」読了



本書はハヤカワepi文庫より平成14年に発刊されたものです。「悪童日記」シリーズ、いよいよ完結編であります。がしかし、読んでいて「あれ?」と思うところがいくつも、というか、全体に前作からの整合性がなく、非常に戸惑いました。


リュカとクラウスがそれぞれの過去を回想しているんですが、前作のそれとは違う過去を生きてきたことになっているし、登場人物の一人、ぺテールは「ふたりの証拠」に出てくるぺテールとは明らかに別人だし、双子の二人の父と母も「悪童日記」のお父さんとお母さんとはどう考えても違うし…。


これはあれですね、タイトルから考えて「悪童日記」は第一の噓、「ふたりの証拠」は第二の噓ということなんでしょう。要するにこれは一つの物語を主人公達の成長に合わせて三つのバージョンで描いた、と理解する方向が正しいのでは、と思います。


1956年、ハンガリー動乱の折にスイスへ亡命した当時21才のアゴタ・クリストフの心中は、日本に生まれ、日本でしか暮らしたことのない自分にとってなかなか推し量れないものがあります。


最後の最後にちょっと肩すかしを食った感もなくはないですが、この三部作、全体を眺めてみると、祖国、愛、絶望など、深い深いテーマが流れている大作でありました。


感動しました。



ネットで以下の本を注文

北村薫・宮部みゆき選「とっておき名短篇」ちくま文庫
辻原登「籠の鸚鵡(おうむ)」

彷徨する魂

2016-11-08 17:12:27 | か行の作家



アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「ふたりの証拠」読了



本書は平成13年にハヤカワepi文庫より発刊されたものです。「悪童日記」のシリーズ第2弾であります。


「悪童日記」で双子の「ぼくら」は離れ離れになります。それはあまりに唐突で、そのわけも読む者に全く説明がありませんでした。ちなみに双子の名前が本書で明らかにされます。一人はリュカ、もう一人はクラウス。これをハンガリー語にすると「LUCAS」「CLAUS」と、アナグラムになってるんですね。まぁそれはさておき。


リュカが、おばあちゃんの家に残り、クラウスは父親を地雷の犠牲にして、その屍を乗り越えて西側の国へ去ります。本書は国に残ったリュカの物語です。しかしまぁ登場人物が多いですね。そしてそれぞれの人物が大きな問題をかかえていて、それだけで小説が一つづつできそうです。


とにかくいろいろなエピソード盛りだくさんなんですが、最後、ついにクラウスが登場します。この、リュカの残った地へ帰ってくるわけです。がしかし、それと入れ替わるようにリュカは誰にも何も告げずにどこかへ去ってしまいます。


リュカを取り巻く人々、それぞれの孤独、絶望、不毛な愛が、アゴタ・クリストフの独特の文体で精緻に描かれていきます。最後、再開がかなわなかった二人はこのあとどうなるのでしょうか。次、「第三の噓」いきます。

反感傷的小説

2016-11-01 17:12:32 | か行の作家


アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「悪童日記」読了


以前読んだものの再読です。ネットでクッツェーの本を捜しているとき、アゴタ・クリストフの「ふたりの証拠」「第三の嘘」を見つけ、これが「悪童日記」の続編ということで読みたくなり、ならばその大元をもう一度読んでからと思った次第。

やっぱり再読してよかったです。すごい本ですね。


時代、地域は特定されていないんですが、これは第二次世界大戦下のハンガリーの物語と考えるのが妥当なようです。


<大きな町>から<小さな町>に母親に連れられて疎開してきた双子の「ぼくら」。二人はおばあちゃんの家に預けられるのだが、近所の人から「魔女」と呼ばれているおばあちゃんは、二人の面倒を全く見ない。


二人は互いに切磋琢磨しあって強くなっていくわけですが、途中、色々なエピソードが盛り込まれているこの小説は、最後、なんと父親を間接的に殺してしまうところで終わっています。


全体に戦争を通して人間の醜い部分をあぶり出し、非常に強い皮肉を込めた作品になっています。しかし、この双子の「ぼくら」は最後、離れ離れになってしまうんですね。続編の「ふたりの証拠」でどんな展開が待っているのか、今から楽しみです。

暴力とフィクション

2016-11-01 15:24:42 | か行の作家



J・M・クッツェー著 土岐恒二訳「夷狄(いてき)を待ちながら」読了



本書は平成15年に集英社文庫より発刊されたものです。いやぁつらい読書でした。今まで読んできたクッツェーとはかなり毛色の違う作品なんで、読むのに難渋しました。意味のよくわからない展開、ちぐはぐな会話、挫折しそうになりながら持ち前の粘り(?)でなんとか読了しました。

例えばこんなところ

<目が覚めると心があまりにも空白なので恐怖心がこみあげてくる。つとめて努力しないと私は時間と空間の中へ――ベッドの中へ、テントの中へ、世界の中へ、東西を指している肉体の中へ、自分を再挿入できない。(中略)私としては、朝になったらテントをたたんでオアシスへ引き返し、民政官の日当りのいい館でこれからの生涯を、この若い女と暮らし、その横に平静な気持ちで眠って、その子供たちに父親の義務をはたしながら、季節が移ろい巡るのを見守って生きて行くなどという図は、一瞬たりとも脳裏にえがきはしない。>


いつの時代ともどこの国とも特定できないところで、主人公の「私」は民政官を努めています。前半はこの「私」のモノローグとでもいうような心情の吐露がえんえんと続きます。もうここで参りましたね。しかし、中盤あたりから「私」が夷狄の娘をその部族に返すために長い旅に出るあたりからやっと面白くなってきますが、最後の方はまた「私」のモノローグに戻ります。


恥ずかしながら自分にはかなり難解な小説でした。解説の言葉を借りるなら


<外部の者が異民族の土地へと侵入し、暴力によってその内部を破壊する、それが「夷狄を待ちながら」全体の枠組みとなっている。(中略)ジョル大佐の拷問と夷狄の娘の負傷によって、彼は帝国のふるう暴力のなかに引きずり込まれてしまう。彼はいわば暴力の目撃者とされ、目撃者である事実から逃れることができない。さらに言えば、読者もまた、その目撃者の一人となるのである。>


ということなんですが…。やっぱり難しいです。


自分の力が及びませんでした。

介護と愛

2016-10-18 15:25:37 | か行の作家


J・M・クッツェー著 鴻巣友季子訳「遅い男」読了


クッツェーミニフェア開催中であります。本書は平成21年に早川書房より刊行されたものです。


これも傑作でした。まず書き出しがいいですね。主人公のポール・レマンが自転車に乗っていて、いきなり車にはねられるところから始まります。普通の作家だったら、自転車をこいでいるシーンを使って主人公の人となり、どんな仕事をしているのか、仕事はしていないのか、住んでいる場所の環境等、主人公に回想させたりして説明するんですが、そういった文章が一切ありません。ここがいかにもクッツェーですね。つかみはOKというわけです。


で、ポール(60代、仕事は引退していて、かなり裕福)はそのまま病院に運ばれ、片足のひざから下を切断される。ポールは義足を付けることを断固拒み、松葉杖とジマー・フレームという歩行器を使って生活することになる。そこへマリアナ・ヨキッチという介護士が送られてくるんですが、ポールはこのマリアナに惚れてしまうんですね。


仕事熱心で、いわゆる痒い所に手が届くというマリアナの世話を受けるうち、ポールはついに告白(もちろん、大人の遠回しな方法で)してしまいます。マリアナは結婚していて3人の子供がいます。


そこへ現れたのがエリザベス・コステロという、ポールと同年代の女性。突然、家に闖入してきます。これがよく読んでみると作者であるクッツェーの分身なんですね。小説の中に作者本人が登場するという(この場合は姿・形を変えていますが)、これ、たしかメタフィクションとかなんとか言うのではなかったか。


そこで思い出したんですが、たしかそんなようなタイトルの本があったなとちょっと調べてみたら、クッツェーは本書を執筆する2年前に、この女の名前と同じタイトルの「エリザベス・コステロ」という本を書いていました。これは、エリザベス・コステロという架空の女性作家の評伝のようなものです。その女性作家に、クッツェー自身の小説に対する考え方、作家とは、はたまた人間とは、といったテーマを語らせているもののようです。


この本をまず読んでから本書を読めば、もっと理解が深まったのかも知れませんが、いいんです。読まなくてもすごく面白かったので。


マリアナとの一件は、なんとなくうやむやという恰好になってしまうんですが、まぁこれは、まだまだ若いもんには負けんぞという気骨のある頑固じじいの話ですね。そして、介護小説でもあり、一級の恋愛小説でもあると言えると思います。


存分に楽しませてもらいました。



ネットで以下の本を購入

「アンソロジー カレーライス!!」パルコ出版
「アンソロジー そば」パルコ出版

絶望の淵を歩く

2016-10-18 15:01:21 | か行の作家


アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「どちらでもいい」読了



本書は平成20年にハヤカワepi文庫より発刊されたものです。クッツェーの本を何か読もうとネットで調べていたら、たまたまアゴタ・クリストフの「悪童日記」に続く三部作の残りの2冊である「ふたりの証拠」「第三の嘘」を見つけ、それを注文し、本書の、このどうでもいいようなタイトルに惹かれてこれも購入したのでした。最近、ちょっと買いすぎです。読むほうが追いつきません。


アゴタ・クリストフの初期の短編集ということなんですが、ちょっとこれはどうなんですかね。これはこの作品集だけを読んで、評価を下すのではなく、収められている作品が「悪童日記」や「ふたりの証拠」「第三の嘘」等、他の長編につながる習作であることを念頭に置いて読めば、かなり作品価値が高まると、「訳者あとがき」で堀氏が述べておられるが、まさにその通りであると思います。


自分は「悪童日記」もずっと以前に読んだきりでうろ覚えだし、そんな風なので、本書は自分にとっては猫に小判といったところでしょうか。


近いうちに「悪童日記」を再読し、そののち「ふたりの証拠」「第三の嘘」を読むつもりです。



姉から以下の本を借りる 

多和田葉子「聖女伝説」ちくま文庫
エイモス・チュツオーラ作 土屋哲訳「薬草まじない」岩波文庫



大学教授の哀れな末路

2016-10-11 14:07:44 | か行の作家


J・Mクッツェー著 鴻巣友季子訳「恥辱」読了



以前に姉に借りたものです。本書は平成19年にハヤカワepi文庫より発刊されたものです。前に読んだ同作家の「マイケル・K」がめっぽう面白かったので期待して読んだのですが、ほぼ期待通り、かなりの傑作でした。


52才の大学教授がリストラにあい、古典・現代文学部の閉鎖を受けて、コミュニケーション学部の准教授になってしまった男が次から次への艱難辛苦をなんとか乗り越えていく物語です。


大学で女子生徒をナンパしてベッドを共にしたのはいいんですが、その生徒から告発され、大学を追われる羽目になり、娘がやっている農園に転がり込む。これで悠々自適の生活を送れるかと思いきや、その娘との衝突、また、隣に住む男との軋轢。なんだかなぁとと思っているところに、若者3人の押し込み強盗にあい、車は盗まれるわ、娘は強姦されるわで、もう最悪の状態になるわけです。


それでも彼はなんとか踏んばって生きていこうとするんですが、なんと娘が妊娠。しかも娘はそのレイプ男の、子を産むと言い出す。これにはびっくりしましたね。


自分にはちょっとむずかしいんですが、アパルトヘイトが廃止になったあとの南アフリカが舞台になっていて、南アの社会的な問題がそこかしこに噴出しているわけです。教授の娘はもちろん白人なんですが、南アフリカという社会の中で生きていくには、力を持っている黒人に隷従することがいわゆる世渡りであると、あきらめにも似た思いでいるんだと思います。そこが父親にはどうしても理解できないんですね。娘もそこは詳しく説明しません。説明したくないんだと思います。後半の、この父と娘の葛藤が見応えありました。


クッツェー、もっと読みたくなりました。




というわけで、ネットで以下のを注文

J・Mクッツェー著 鴻巣友季子訳「遅い男」早川書房
J・Mクッツェー著 土岐恒二訳「夷秋を待ちながら」集英社文庫
アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「ふたりの証拠」ハヤカワepi文庫
アゴタ・クリストフ著 堀茂樹「第三の嘘」ハヤカワepi文庫
アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳「どちらでもいい」ハヤカワepi文庫


また、ちょっと前に移転して大きくなった丸善へ行き、以下の本を購入


ジュンパ・ラヒリ著 小川高義訳「低地」新潮クレストブックス
イーヴリン・ウォー著 吉田健一訳「ピンフォールドの試練」白水社Uブックス