マル鉄・鉄道写真館

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485系:特急「いなほ」(非貫通型)

2011-10-10 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
485系:特急「いなほ」(非貫通型)


「いなほ」は、上野~秋田を上越・羽越本線経由で結んでいた特急列車です。
誕生当初は羽越本線に非電化区間が残っていたため、「つばさ」のキハ181系化により押し出しとなったキハ81系が使用されていました。
昭和47年に羽越本線が全線電化となり、これに合わせて青森運転所の485系が使用されるようになります。また、上野~青森間を結ぶ1往復が増発され、2往復体制となりました。
今回は485系300番代及び1000番代非貫通型の写真を並べます。



昭和51年 大宮駅にて

オートハーフでの写真なのでブレてしまっています。
まだ駅撮り写真も駆け出しの頃、良い写真があまり残っていません。



昭和52年頃 上野駅にて

一眼レフを手に入れた頃で、やや構図に安定感が出てきました。
17番線と18番線の間には大きな荷役ホームがありました。私的には、一番昭和の上野駅らしいシーンだとおもいます。



昭和54年頃 蕨~南浦和間にて

53・10改正からイラストマーク化されました。このころから自分で現像するようになったため、モノクロ写真が多くなります。



昭和55年頃 川口駅にて

趣味誌に掲載する写真の撮影を依頼され、苦し紛れで沢山撮りました。しかし、結果はみんなボツ。確かにこんな映りじゃ・・・。





昭和56年頃 蕨~西川口間にて

全く似たような写真ですが、撮影した日が違うようです。
編成がキレイに整っていることから、両方とも秋田区の1000番代ではないかと思われます。
当時は1日2往復の「いなほ」が設定され、秋田行きは秋田車、青森行きは青森所の編成が運用され、秋田区は食堂車を除き全て1000番代に統一されていました。



昭和56年5月 蕨~南浦和間にて

またまたこちらは南浦和間ですが、カラーで撮っています。
併走する京浜東北線のスカイブルーも今となっては懐かしいですね。



昭和56年5月 東北本線 西川口~蕨間にて



昭和57年1月 東北本線 西川口~蕨間にて

また全く同じような構図ですが、撮影した日がかなり違うようです。
上の写真はイマイチ判別が利きませんが、下の写真は後部の方にAU12(キノコ型クーラー)を積んだユニットが連結されていますので、青森所の300番代のようです。




昭和57年6月 東北本線 赤羽駅にて

高架化前の赤羽駅大宮方の跨線橋から撮った写真。当時は京浜東北線だけが土盛り高架で、ホームの切れた直ぐのところに大踏切がありました。
このホームは傾斜が付いて踏み切りにすり合わせしてあり、3・4番線ホームの名物であったミルクスタンドに運ぶ牛乳をリヤカーいっぱいに積載して上り下りしていたものです。



昭和57年11月6日 上越線 湯檜曽~水上間にて

1週間後に上越新幹線の開業、さらには「いなほ」の上越区間の廃止を目前にした日に撮影に行きました。あまり良く憶えていないのですが、非常に天気が悪かったようで、大変写りの悪い写真になってしまいました。



昭和61年9月9日 奥羽本線 鷹ノ巣に近いところ(多分)

新幹線アクセス特急転身後の姿です。
今となっては貴重な、前後にクハ481-1500番代を連結した編成。この頃の運用は良く分かりませんが、新潟・秋田・青森の車両が入り乱れて運用されていたのではないかと思います。JRになってからは、「つばさ」にも1500番代が運用されていましたので、どの時点で何処に1500番代が居たのか良く分かりません。

現在も「いなほ」は運転されており、今後の新幹線網の影響も最も受けづらい区間だと思います。ただし、常磐線における新車の投入に伴い、E653系の影響が一番ありそうな予感がします。


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