ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

コメントをくれた二人の先輩に

2013-02-12 20:47:27 | 教育
貴重な意見をありがとう。

 お二人の意見の中にはとても大切な話しが幾つもあります。まだコメントを読んでいない人はぜひ読んでください。
ジャージは置農に対する誇りだという指摘、その通りです。置農生はおうおうにして置農生であることを隠したがるのです。その一つのあらわれがあのジャージに対する必要以上の忌避感だと思っています。最近でこそやや和らいできましたが、以前の置農では、自校に対する劣等感は凄まじいまでのものがありました。学力による輪切り教育の弊害です。
タカヒロ君が言うとおり、「さすが置農」、「東北・全国レベル」と自校に自信を持つ、そのためにもジャージをしっかり着ることは大切です。

 それと、ジャージをきちんと着ることが中学生のようで幼稚だと感じる感覚、これもよく見られるところです。この感覚は制服を着崩すのと同じ根っこから発しています。自校ジャージを着ないこと、あるいは他のジャンバーなどを羽織ることで自分が一歩大人びたと感じているのでしょう。この錯覚が私はとても嫌なのです。自分は高校生だし、置農生だという当たり前の現実を隠していったい何が大人なのかと思うのです。すべては、今ある自分を素直に認めるところから始まります。

 人間は自分を見つめることが苦手です。そこには歪んだ劣等感やら言われなき優越感などが常に付きまといます。自分を見失っていれば、自分の先の課題も見えてきません。自分はダメだ!感に沈んだり、自惚れに舞い上がったりして時間を無駄にすべきではありません。まっ、それが高校生なんだってこともわかりますが。そのような色眼鏡を早く外して上げること、これが指導者の一つの任務だと思っています。だから、時には優しく、時にはずばずばと部員達の今を指摘するのです。

 そして、素直に自分を見つめた後は、それでは何が必要なのかを考えることです。その必要なものを手に入れるために何をなすべきかを考えることです。そして、それが見えてきたなら、その行動課題を実践していくことです。だらしない服装や頭髪は、自分のありのままの今を避けていることだと思います。

 最近とても気になっていることに女子生徒の前髪、横髪の問題があります。小顔志向も極端に走り、真っ正面からしか表情が見えない女生徒がほとんどです。これも自分から逃げている姿だと思います。まあ、演劇部員でなければ、苦笑して終わりですが、こんな「顔なし」が置農演劇部にも沢山徘徊しているのです。ダンスや演技の途中でしょっちゅう髪を書き上げたり、横向くとまったく表情が見えないなんて役者は果たして役者と呼べるのでしょうか。もちろん、それを意図した演出ならばべつですが。

 これも自分自身と正面から向き合っていないあり方です。しっかりと髪を上げ、顔をすべてさらして、その上で演技やダンスで勝負!これですよ、大切なことは。

 長くなりました。つまり、服装や装身具、頭髪で自分をごまかすなってことです。そんなことは、社会に出て成長が鈍化してきたら、若さが失われてきたら、考えればいいのです。高校生の今は、ありのままの自分から出発して、精一杯努力を重ねて、自分という中身を豊かにして行くことなのです。目の前の本当の課題を見失わないで欲しいのです。知的能力、感性、人間性、鍛えなくてはならないものはわんさとあります。将来厚化粧で中身の無さを隠さなくても良いように、今こそ自分自身を鍛え充実させていきましょう。それは熟年に達した私にとっても同じ課題です。

コメント
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