ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

共感だけが舞台かよ?

2012-10-21 23:09:27 | 演劇
 高校演劇県大会、置農作品『壁20XX』、気持ちいいくらいに相手にされなかった。いいや、やっぱり気持ちは最悪!

 審査委員の評。共感できなかった、感動できなかった。

 そうかい、そうかい。で、芝居ってやつはなにがなんでも、ぐっと来たり、涙がこみ上げたりしないといけないもんなのか?見終わって、なんか居心地悪いとか、腹に消化不良で残ったり、要するに異物を投げ込む、なんてのも芝居の価値の一つなんじゃないのか。

 今回の作品は、今確実に広がりつつある格差社会をそこからはじき出された若者の怒りの視点から描いた。さらに、その対極で見捨てられている年寄りの怨念の言葉もちりばめた。さらには、原発で故郷を追われつつもなお、そこにとどまろうとする人たちについても暗示した。

 どう見ても簡単に共感できたり、感動できたりする内容じゃない。言ってみれば、「おめえら、どうすんだよ、この有様を!」って啖呵切ったような作品なんだ。もちろん、おめえらの中には僕自身も含まれるわけだけど。じわじわと顕在化しつつある現代の病を、突出した形で表現したのが今回の舞台だったと思っている。

 例えば、青春の挫折とか、そこからの立ち直りとか、引きこもりとか、愛のもつれとか、高校演劇にお馴染みの共感装置はどこにもない。若年生白血病で余命数ヶ月なんて”悲劇”もない。そこを突けば、涙腺うるうるなんて勘所はさっぱりだ。
 
 こういった舞台を自分のものとして引き受けるには、感受性よりも知的な現状認識が求められるのじゃないのか。作品にちりばめられたうめき声を、説明的と聞いてしまう人たちは、今をどのように理解しているのだろうか。

 結局、人間は自分の中にため込んだ知識や興味や感受性でしか新たな事態に立ち向かえない。なーんて、難しく言うほどのことじゃない。興味ないことには気が向かないってことだ。そういうとことん有限界で指向性の限定された人間が評価する、演劇の審査、どうころんだって、相性の問題ってことに落ち着くよな。


コメント (2)
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