ステージおきたま

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公演終了!菜の花座第24回公演『死んだ私の殺し方』

2011-07-18 16:26:39 | 演劇

 終わった。苦しい公演だった。いつものことだけど。

 当て書きした役の一つで、見込んだ人が引っ越し、あちらこちらと声を掛けたが次から次と断られて、結局僕が演じるってことになった。これが何よりの困難。演出と役者の二足のわらじ、これは苦しかった。初めてのことではないのだが、前は演劇の初心者、怖い者知らずのがむしゃらと図々しさで乗り切れた。でも、もう15年選手だろ、沢山の舞台作って、数限りなくダメだししてきてるわけだし、演劇部の部員達も見に来ているわけだから、こりゃ迂闊なことはできない。僕が下手じゃ示しつかんでしょ。

 さらに二人の役者が多忙を理由に役を降りたいって話し。なんとか拝み倒して出てもらったものの、十分な稽古にはほど遠かった。それでも少ない日数で一気に追いついてくれたHさんの実力には改めて感服だった。

 3週間前にあった置農定期公演もつらかった。とんでもなく大きくて難しい芝居をやってしまったから、こちらに突っ込んだ分、菜の花座は手抜きになったよな、どうしても。

 仕事の忙しさも半端じゃなかった。舞台監督のNも担任と学科長の掛け持ちで仕事に追い回され、僕の方も「ごはんDE笑顔プロジェクト選手権」やら農業クラブ東北大会の練習会でてんてこ舞い。紅大豆ワッフルやソイばぁ売りにお祭りを駆け回ったりもしてたもの。

 ても、一番辛かったのは、高校演劇大会作品の準備作業だ。今年は久しぶりにミュージカルで行くことにしたのだけど、その作曲の関係上どうしても歌詞とあらすじを仕上げなくてはならなかったことだ。公演2週間前から始まった集中稽古、帰れば遅くまで作詞とせりふ覚え、連日深夜までの作業が続いて、こりゃ身体もたんかも、って思ったほどだった。

 で、当然のこと無農薬米作りの除草作業もあった。

 まっ、こんながんじがらめの状態の中での稽古だった。それでも、幾多の困難を乗り切ってどうにか本番は無事やり遂げることができた。特に昼の部は心配、不安でいっぱいのスタートだったが、まずまずの仕上がりだった。あっ、もちろん、せりふ飛んだりってこともあったけど、まっ、許容範囲でしょ。夜の部はちょっと油断が出て、パソコンのトラブルと一部役者の立ち往生が発生してしまったのが残念だった。

 作品の評価については、稽古不足という手厳しいおしかりもあったものの、おおむね良好だったかな。感激した、涙流れた、久しぶりに良い舞台を見たって長々と感想を伝えてくれた人もいたし、テーマの現代性、身につまされるものがあるとのご意見もいただいた。日頃辛口のうちのかみさんからも、もったいないね、もう一度上演したらって言ってもらった。他に台本がよかったって感想も数名あった。僕は、役者も良くやったと思ってるけどね。特に老婆役のミホさん、あの長せりふをしっかりと客席に届けてくれた。男優陣も力を見せつけた。あと、スタッフがしっかりしてたことも絶対褒めて良い。

 苦しい公演だったけど、若手の加入やベテランの頑張り、など次につながる大きなプラスポイントを得ることができた。まずは装置かな。見事な舞台装置をほとんど一人で作り上げてくれたオカダは、今回の殊勲賞だ。その功を評価して舞台挨拶を代表でやってもらった。それから、若手でスタッフを誠実にこなしてくれる連中がごそっと加わったことが大きい。スタッフながら連日稽古に参加し代役やらプロンプやら務めてくれた。こういう真面目な取り組みが、菜の花座の日常となってくるような気がしてとても心強く感じている。若い奴らにはもっともっと全身投げ込んでもらいたいんだよな。若さにおじさん達が煽られるそんな雰囲気ができてくると、これは期待できるんだよ。

 あと、観客の少なさ、これはいつもの課題だけど、考えなくっちゃなんない。って言ってもどうすりゃいいの??

コメント
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