ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

短い芝居の効用『死んだ私の殺し方』

2011-07-11 23:44:52 | 演劇

 菜の花座第24回公演『死んだ私の殺し方』は短い。上演時間1時間30分!多分菜の花座の舞台としては最短記録じゃないだろうか?いつだって長い芝居をやってきた。別に長さにこだわったわけではない。何故か2時間超になってたんだなぁ。高校演劇が1時間って制限されていることの反動かもしれない。役者をたくさん出す所為かもしれない。やっぱ、出せばちょい役にはしたくないから、誰に対してもそこそこに書き込む、となれば長くなる。こんなところかも知れない。

 いつも長い芝居やっているので、今回はどうも物足りない気がしてならなかった。いいのか?こんなシンプルで?あらすじだけになってんじゃないか?人間が書き込めていないんじゃないか?今もって不安は絶えない。なんか、忘れてるものがあるような、書き足りない部分があるような、なんか落ち着かない気分が抜けきれない。

 でも、本番まで一週間を切った今、短くて本当に良かったと感じている。一つのシーンを何度も稽古できるからね。菜の花座の場合、稽古が始まるのはほぼ8時過ぎだ。そこから2時間弱、長い舞台だと、ほんと一部分やってお終いになる。

 ところが、今回みたいに全体で90分となると、2時間あれば通せてしまうわけだよ。まぁ、実際はダメが入るから、最初から終わりまで行くことはないけど、それでも、一回の稽古で半分以上さらえる。これは、魅力だねぇぇ。要するに何回もその場を稽古できるわけだから。

 役者も落ち着いて、自分の演技をチェックし、手直しし、練り上げていけるってもんだ。これまでみたいにせりふが入って本番!なんてことがない。じっくりと各シーンを手直ししていける。これが本当の稽古ってもんかもしれないな。なんて、今頃言ってんなよ!

 ともかく前回の『イーハトーボの劇列車』とは大違いだ。あの時は、本番までにわずか2回しかさらっていないなんてシーンがあったからね。その点では、今回は役者の力量が観客に厳しく評価されることになるに違いない。これだけ稽古して、詰まらない表現してるとしたら、そりゃ演出もそうだが、役者の力不足ってことだから。

 って役者に責任おっかぶせて、演出としては責任回避するわけだが、おっと、役者としての僕がいたわけだった。髪刈ったり、ひげはやしたり、それなりに努力はしてるんだけど、見かけをいくら作ったってダメだ。最後は演技だから。せりふと動きだから。

 せりふがどうやら入り始めて、少しずつ演技の工夫ができるようになってきた。表情とか視線とか、身体のこなしとか、・・・・。こうなってくると、ちょと楽しくなってくる。脇谷っていう、金に目がない薄汚い初老の男を作り上げることに魅力を感じてくる。自分とはまったく別のへんな男をどう演じるか、って考えていたら、ほとんど地のままですよね、って言われてしまった。おいおい、そうなのか?そんな薄汚い爺さんなのか?僕って????

コメント
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