泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

お仕事も再開

2023-04-14 22:58:17 | 丹下一の泡盛日記

帰国してから雑事ばかり。
3ヶ月ぶりに母親にも会ったり。
とにかく東京は温かい。
昨夜は未来への話。
そして、まだ時差ぼけに苦しんでいる。
睡眠時間がめちゃくちゃで、いつ寝るかもめちゃくちゃだった頃には平気だったのになあ。
金曜日からはお仕事も再開。
入り時間が遅くなったと朝連絡が来た。
持って出るはずだったお弁当は、お昼ご飯に。

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無事帰国

2023-04-14 15:30:26 | 丹下一の泡盛日記
日曜日の夕方、ヘルシンキ空港から離陸。
ロシア領空を避けて飛行するため、
スカンジナビア半島を北西へ横切り、グリーンランド、カナダ北部を通り
ベーリング海峡を「斜め上」から通過した。
以前10時間の所要時間が14時間に。
以前のコースを明示しながら、どんどんそれから離れていく。
ここからいきなり右旋回するわけではない。
来る時も同じコースだったのだけどあっという間に暗くなってしまったのでよくわからなかった。
帰路はずっと昼間のエリアを飛んでいたので、窓から外を見続けていたかったのだけど、
以前のような「窓カバー」はなく、窓そのものの明度が変化する787で。

グリーンランド上空から。
北極上空は後部の窓に行ってCAさんと話しながら撮影した。
北極付近はどうしても揺れて、座席に戻らざるを得なかったのが残念。
というのも1995年に初めてのニューヨークから戻る時、
ベーリング海峡を通過していく航路の機内から晴れ渡った北側をずっと眺めていて
山並みが北へと連なっているのを見た。
今回、現在位置が地図とともに表示されるので、この遠くの「山並み」を左側から右に向かって見ていたことになる。
もう一度見る機会があるとは夢にも思わなかった。
そして、無事帰国。
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ヘルシンキから

2023-04-11 06:41:56 | 丹下一の泡盛日記
元々トランジットの予定だったヘルシンキで宿泊することにしたのは、
初めての町だったからで。
基本的な予備知識ぐらいしかなくて空港から市内中心部までの移動も
空港についてから調べたくらい。
そして、トラムの初乗り約450円という物価に参りながらも
存分に町を味わった。
南北に長い国土を持ちつつも北極圏に近く現実的に生活できるエリアが南部になってしまう。
そして今も公用語はフィンランド語に加えてスェーデン語、という歴史。
もちろん隣はロシアでフィンランド湾の海底が旧ソ連のキャタピラ型潜水艇の跡だらけになっていたという、緊張を強いられる立場。
スェーデンとロシア帝国の間で絶妙なバランスをとりながら
独立を果たした経緯からは、今の日本が学ぶことはたくさんあるだろう。
日本のテレビでも紹介されたことがある岩をくり抜いて造られた教会。
世界中どこに行っても「祈りの場」に居ると心が洗われる。
ヘルシンキに来て、急に日本人を見かける回数が増えた。
あちらこちらで厳しい自然の中で暮らしてきた動物としての謙虚さが感じられる。
日本人にも親しみやすいのだろう。
連れ合いは「ムーミン!」で大騒ぎ。
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ヘルシンキに着いた

2023-04-09 13:22:13 | 丹下一の泡盛日記

プラハからヘルシンキに。
最初はトランジットだけの予定だったけど、ミッションが生まれて途中下車。
ここも初めての国、初めての町。
空港から電車で市内に入る。
池がまだ凍っている。雪もたくさん。
ヘルシンキ駅。
プラハも寒かったけど、東京から北海道に移動した時みたいな寒さ。
ヘルシンキは港町。
肉ばかりが並ぶホテルの朝食で困っていたので、サーモンだらけが嬉しい。

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プラハDAY4

2023-04-09 13:15:28 | 丹下一の泡盛日記
プラハのアールデコカフェ。
全面タイル張り。
古代エジプトなんだかローマ帝国なんだかわからない彫像に囲まれてコーヒー。
戦前からの建物が残っているのは、プラハがナチスと手を結び、破壊されていないから。
ワルシャワは徹底的に破壊されて瓦礫の山になった。
天井のタイル、日本だったら地震でばらばらと崩れ落ちてくるに違いない。
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プラハDAY3

2023-04-07 05:43:10 | 丹下一の泡盛日記
プラハは寒い。
ワルシャワもクラコフも寒かったけど、なんか底冷えがする。
昨夜は冷えた体で歩き回ったのがいけなかったのか、
「寒」が入り、あまり飲まずに眠った。
旅の疲れもあるのだろう。
根底には、勝手な想像だけどウクライナの戦争があるような気がしている。
ワルシャワでは現在ウクライナ難民40万人が生活しているという。
「トラムの中とかでよくウクライナ語を聞くようになりました」と聞いた。
クラコフ駅でもユニセフのマークを掲げた「売店」ができていて。

今日=4月6日(木)に出かけたBOX(=プラハのアートセンター)の展覧が
「歴史から学んでいないことを歴史から学ぶ」というタイトルのもと、
ゴヤのスペイン戦争やリヒターの作品、キャパの写真、
そして現代のチェコの作家たちの「ウクライナの今」に向き合った作品群で。
特に、チェコの作家たちの、短い時間の中で「練り上げられた」作品たちの「現在性」が身体に伝わってくる。
それと常設展示なのだけど、履きふるした靴で形作られた十字架のキリスト像などは、もちろんオフシエンチム=アウシュビッツをイメージしているのだけど、なぜかウクライナも連想してしまう。
ふと気がついたのだけど、現代美術が工芸品と一線を画していることに。
この「古い靴のキリスト像」(かなり巨大だ)を買おうと思う人はあまりいないのではないか。
そして、素晴らしい美術作品として掲げられている。
そんなことを考えつつトラムに乗って「次」へ。
駅を降りたら、ケプラーの像が。
一応、お役で演じたことがあります。。。。
修道院の哲学の間、と神学の間を見学。
時空を超えて静かな時間が流れている。
こういう空間があることが素敵。
100年以上誰にも読まれないかもしれないけど、ここにしかない本たちが静かに誰かとの出会いを待っている。
人気投票とか売れている本、とは全く無縁な世界。
そこに品格があることも素晴らしい。


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プラハから

2023-04-07 01:55:35 | 丹下一の泡盛日記
プラハ2日目は、普通に観光。
だって初めて来たのだもの。
まずはトラムで坂道を登り王宮へ。
ここの大聖堂がすごい。
あちらこちらで石の大建築の聖堂を見てきたけど、これほどのものは初めてかも。
ステンドグラスの美しさに驚く。
そして、カトリックでは、光そのものが「神」なのかもしれないと考えた。
広い城内の端っこには小さな家がたくさん連なっていて、
「城」が街だったことを思い出させてくれる。
占いや予言をした女性の自宅やカフカの仕事場だった小さな家、
アマチュアの映画愛好家など、こんな家で生活していたんだ、と親近感が湧く。
夜は国民劇場で「美女と野獣」を観る。
とにかく「野獣」の解釈が新鮮で。
ディズニーは絶対にこんなのやらないだろうという
ラムシュタイン的インダストリアル・パンクな野獣なのだった。
野獣は七人の黒衣を引き連れていて、最初に幕が上がり静止している彼らを見たときに、一瞬7人の黒衣が人間なのか、人形なのか不明だった。
それくらい体の動きが達者で面白い。
どんな戯曲でも新鮮な解釈はいくらでも可能なのだと再認識したのだった。

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プラハに着いた

2023-04-04 23:19:53 | 丹下一の泡盛日記
月曜日、クラクフを離れる日。
バベル城の聖堂にお参りした後、再びユダヤ人街へ。
素敵なイラストレーターの店を見つけ、展示されていた作品は全てチェック。
その後、おしゃれで美味しいレストランを見つけて、ホットワイン。
なんかニューヨークのようだけどポーランドの良さも溢れている。
地元にいたら通っちまうぞ、ここ。
クラコフ駅から夜汽車に。
寝台車で初めての国に移動するのは30歳の時にマレーシアからタイに入った時以来。
目が覚めたら夜明け。
先日カトビッツェやビトムでしばしば耳にした「シレジア国」という言葉が浮かんでくる。
今回はパスポートチェックもなく、あっさりとプラハ駅に到着。
地図もガイドブックも持たずに、トラムに乗りたくて。
「どこでチケットを買えますか?」と駅の長距離チケット売り場で聞いたら、
おばちゃんが「ローカルチケット、ノー=そんなもんは(ここには)ない」と1980年代を想像させる回答で。
そういえば1995年のモスクワもこんな感じだったなあ。
カウンターのお姉さんたちが、ものすごい美人ばかりで、驚いて。
「あれはロシアの戦略だ」という陰口を聞いたものだった。
それでも無事ホテルに荷卸して、即座に旧ユダヤ人街へ。
6件の施設を見て回り、どうやら今回の旅の副産物は東欧ユダヤ人の歴史になりそうなのだった。
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旧ユダヤ人地区へ

2023-04-03 05:32:01 | 丹下一の泡盛日記
日曜日はクラコフの旧ユダヤ人地区へ。
1996年にこのあたりに国立の俳優学校があり、
ワークショップをやらせてもらった。
今はそれがどこだったかもわからない、おしゃれな街に。
クラクフ中心部が恐ろしいほどに「俗化」して、
以前のクラクフの「おしゃれ」な感じがこちらに移ってきたのは
ニューヨークのソーホーと似ているのかもしれない。
この旧ユダヤ人地区を密かに「クラクフのブルックリン」と呼んでいる。
この広場に人々は集められ、そして帰ってこなかった。
その後、クリコット2の博物館へ。
以前、連れてきたもらった時は、まだ劇団事務所で。
舞台で使った装置を並べて置いてある部屋に連れて行ってもらったりした。
今は素晴らしい建物が建てられて、素敵な展示でイメージが蘇っている。
4階のカフェの前に「死の教室」のポスターがある。
1983年に東京で観た後、同じポスターがアパートのドアに長い間あった。
夜は教会のホールの真下、
カトリックの教会の床は十字架の形をしていて、その中央で行われたコンサートへ。
聞き慣れた曲だけどアレンジや演奏が素敵で。
「おと」に浸る時間に。
ポーランドは本当に演劇だけでなくアートな刺激に満ちている。
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カトビッツェで会合

2023-04-02 14:38:08 | 丹下一の泡盛日記
クラコフの古い建物には間違いなく地下室があり、
それぞれに動物の名前で呼ばれる、と最初に来た時に聞いた。
それはカントルのクリコット2が「水鶏」を上演した地下室に案内してもらったからで。
雑誌に掲載された白黒の写真1枚しか情報がないような時代で、
写真と同じ地下室に立った時には感動した。

こんな空間で自分の舞台作品を上演したいなあ。
この日、連れ合いはオフシエンチム(アウシュビッツ)へ。
2回体験している自分は今回の「お仕事」の一つ、カトビッツェへ。
クラコフ駅から乗った電車は古いタイプで懐かしい。
座席指定のスタイルが最初わからなかったのだけど、
思い出した!
60分でカトビッツェ駅に。初めての街。
この近くのビトムを拠点にする演劇人と初会合。
まあみんな大変だなあ。。。
その後「どうしたい? 市内観光でも?」と聞くので、
「あなたたちの劇場が見たい」と応える。
当然のプライオリティだ。観光は二の次。
若い劇団員二人が案内してくれることになった。
車で30分ほどの、かつて炭鉱で栄え、今は衰退してしまった街の炭鉱施設後を劇場に改装している。
想像以上に素晴らしい大きなプロジェクトで。
12年前に始めたのだそうだけど、さすがに驚いた。
YouTubeの映像で見た劇場は不思議な既知感があるのだけど、
その規模に圧倒された。
観客動員が問題だそうだけど、様々な形で街と共存しようとしている。
何よりも行政の支援が欠かせない。
行政の担当者が「ウクライナ支援の演劇なんかよりも、同じ料金払うなら自分はスタジアムに野球を見にいく」という国から来ている身では、いつものことながらため息が出る。
二人が劇場内の稽古場や子供向けワークショップの部屋など、施設を次々に案内してくれる。
その後、街中を案内しながら街の歴史を説明。
この街の歴史と今置かれている問題などがよく理解できた。
彼は30歳で地元の演劇学校を卒業しているという。
演劇の話だけでなく、彼の子ども時代(1990年代後半)、いかに日本のアニメがポーランドの子どもたちの心を掴んだか、などの話も興味深く聞いた。
やっぱりポーランドは、エネルギーをくれる。
クラクフに戻りハンガリー料理でズブロッカ(^o^)/
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