泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

久しぶりに桐生・有隣館

2007-08-31 17:35:44 | 丹下一の泡盛日記
 昨夜は安中のかんぽの宿に泊まったのだが、ここが大正解だった。晩ご飯はもちろん朝食のバイキングもかなり充実。そして働いている人たちがみなとても気持ちいい。パソがつながることもあって、次回の法事の宿もここにしようと早々と決めた。

 真っ直ぐ帰るのももったいないので、ふと思いついて桐生に寄る。途中、農協の直売所があり、かみさんと大ママはお買い物。かぼちゃやごぼう、トマトなんかを買い込んで再び車上に♪

 桐生の有隣館は、酒屋の蔵群だったのを市の教育委員会が現在管理している。千賀企画や前橋のダンスのグループに客演した時など4回ばかり舞台に立っている。なつかしい空間にかみさんと大ママをお連れする。

 10月の演劇祭の「嵐の中の花」に自分も出演する。久しぶりの桐生だ。事務所の方が今日は点検日で閉まっていたのに味噌醤油蔵を開けてくださる。

 辞するとちょうどお昼時、二人を「芭蕉」に連れて行く。古い古いご飯屋、夜は飲み屋。カレーを食べる。久しぶりだが変わっていない味。二人も不思議な空間に興味しんしん。
 
 そして、再び車飛ばして娘1のアパートにお土産の生ブルーベリーやプラムを置いて帰宅。さあもろもろリセットして、明日はNWECで本番だ。
 
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安中で義父の一周忌

2007-08-30 17:40:13 | 丹下一の泡盛日記
 昨夜それほど遅かったわけでもないのだが、なんだかおきるのがきつい。とても珍しいことに朝散歩をかみさんだけで行ってもらった。
 今日は、義父の一周忌の法要で安中まで出かけるのだ。命日は9月11日。さすが、みんなが忘れられない日を選んだものだ。

 車でかみさんの母、大ママを迎えに行き、東名から環八、そして関越自動車道。なつかしいな。関越は玉村の舞台の仕事で通った道だ。途中、SAでパソを開いたら、ああ、いいカンしてた。大ママとかみさん待たせて、そのまま仕事になってしまった。
 そして、BM(昨日、小朝は「ばかむすこ」って訳してた)でぐいぐい走ってたら、法要15時からなのに13時には着いてしまった。べむ子、愛してるよ♪

 安中藩の奉行の家などを見学。今、伊達仙台藩のお家騒動を描いた「樅の木は残った」を読んでいるので参考になる。ま、時代は全然後なんだけどね。

 義父の家は時宗。京都の「建礼門院」の長楽寺が時宗で、縁を感じる。義父は亡くなるまで日本山岳会の会員だったが、今日法事を取り仕切った若い副住職は北アルプスの山小屋で暮らしていた元山男。この頃「縁があるねえ」という話ばかりだ。年取ったってことなのかなあ。。。

 法要は無事終了。義父のファミリーの墓所にはたくさんの墓石が立っている。ここいらの墓は、夫婦一組が入るのが基本だそうで、その分小さいが数は多くなる。その一つ一つに手分けして線香を手向ける。

 寺を後にすると、やっぱり無事終わった安堵感。そして、大ママが予約してくれた宿で、これから温泉♪ ああ、よかった。パソがつながって! だってまだ仕事が残ってるんだもん(T.T)
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小朝をみる

2007-08-30 00:05:50 | 丹下一の泡盛日記
 昨日の職員の発言の件で病院に電話する。主任さんは、自分に権限がないのでかわいそうなくらいの対応。病院の管理責任をどうこうしたのではなく、その方と個人的に話したい旨伝える。
 主任さんから病院の事務長さんに電話が回り、OKがでる。

 午後、会いに行く。無意識にぽろっと出てしまうことがどういうことだか全く理解していない方であった。残念。「悪意があってしたんです」という答のほうがまだましだ。
 アウシュビッツでナチスがユダヤ人をどのように処刑したか。なぜだと思いますか?「人間だと思ってなかったからだと思います」とお答え。それはいつも意識していたことでなく、基本的に人間だと思っていなかったんです。だから無意識に恐ろしいことができた、と話したが通じたかどうか。
 「その瞬間“ああ、悪かった”と思ったんです」ではどうしてすぐにあやまらずに周囲の人と談笑を続けたんですか? 「わかりません」

 そんな砂漠のようなやりとり。ひたすら僕の目をみつめて「申し訳ありませんでした」と言う。それが「誠意」だと思っているんだろう。むしろ攻撃的な気持ちを感じた。病院の患者さんはまっすぐに人の目を見続けられない人もいるからな。
 ただ、患者ではない周囲の者が話をしに行ったことには大きな意味があったようだ。特に被害者の方に。

 夜、関内で小朝の落語をプレイバッカーズのメンバーと観る。すごいスピードだ。とても面白かった。終演後、ビールとワイン。

 さて、これから原稿と雑用。明日は安中に法事に出かけるので、留守を守るスタッフにお願いする仕事を仕込む。
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娘1と晩ご飯

2007-08-29 00:46:23 | 丹下一の泡盛日記
 今日は表参道で打ち合わせの後、日吉へ。秋の「嵐の中の花」の初稽古。こないだ教えてもらったはずなのに、場所がわかんなくなって電話。迎えに来てもらう。ああ、恥ずかしい。。。

 終了後、大船へ。娘1と晩ご飯♪ かみさんも合流する予定だったのだが、ある事件で落ち込み家に。その話を聞いて怒りにからだが震えた。かみさんは直接の被害者ではないが、間接的な被害者だ。即病院に電話する。もちろん夜なので当直の事務の方しかいない。事情を話し、明日電話する旨伝えて切る。

 大船で娘1と合流。かみさんから聞いた話をすると娘1もおおいに怒る。「信じられない! だって病院の職員は患者を守る立場でしょ。それって最低のセクハラじゃん!」

 ご飯食べさせてタクシーでアパートまで送っていく。娘1を下ろした後、運転手さんに「娘だよ」というとやたらとびっくりされた。タクシーの車内の父娘は「くさいからもっと向こうに行って」とか言われているらしい。
 なんだかなあ。悲しいなあ。

 いいニュースも。「嵐の中の花」でもしかすると、仙台の役者と共演できるかもしれない。楽しみ!
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荻原さんを偲ぶ会

2007-08-28 00:20:06 | 丹下一の泡盛日記
 荻原達子さんを偲ぶ会に行ってきた。5月に交通事故で亡くなられた。

 荻原さんは能楽プロデューサー。自分との接点は青山にある銕仙会能楽研修所。1983年に大学を卒業した後、お掃除会社で午前中バイトしながら、午後からは稽古。もちろん食べていけなかった。だから1日2食。
 そんなころ荻原さんが事務所の雑用係に雇ってくれた。週末の能楽堂は、能だけでなくなにかしらイベントが入っていて、場内整理をしたり後片付けをしたり。おかげでかなりの本数の能の上演に立ち会うことができた。

 荻原さんからは、若い世代も含む舞台人に対する大きな深い愛情を強く感じた。自分のような「小僧」にもきちんと応対してくださり、はじめて肯定される感覚を知った。渋谷のジァン・ジァンの舞台も観に来てくださり(もちろん自分のためではなかったろうが)、アドバイスをいただいた。

 あるとき、青山の通りを銕仙会の方向へ歩いていたら、道の反対側から手を振る人がいて荻原さんだった。こちらを覗き込むようにして、驚く自分の顔を確認すると、にっこり笑って手を振った。まるで大学の先輩の女子学生のようだった。
 千賀企画を辞めてからも劇場でお会いすることがあり、いつもの笑顔で近況を聞いてくれた。賀状や移転のお知らせなどには必ず一筆添えてあった。

 都内の会場には、能楽界のお歴々大集合。ものすごい顔ぶれのチームで「鷹姫」が居囃子で上演され、白石加代子さんが漱石の「夢十夜」を朗読した。どちらもすごかった。
 バイトしていたお掃除会社は、現在加代子さんの夫の深尾さん(旧早稲田小劇場で俳優・演出だった)が経営しているもの。深尾さんとも久しぶりにお会いし、長く話した。他にも様々な先輩がたと久しぶりに。

 帰宅途中、飲み屋に寄り一杯だけ静かに飲み、偲ぶ会事務局が配布してくれた冊子を読む。荻原さん、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。
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おこもり面子と飲み会

2007-08-27 15:43:57 | 丹下一の泡盛日記
 日曜日、下北沢で「サロメ」参加の高校生有志と井村昂さん出演の少年王者館公演を観る。今回は、いつもよりもセンチメンタルなイメージが強かったが、それは自分だけではないようで、井村さんによれば涙する観客が多いのだそうだ。
 高校生たちは普段接したことのない劇世界にかなり衝撃を受けたようで、アンケートになにやらせっせと書き込んでいた。

 夜は六本木で大学時代の「おこもり」メンバー何人かと久しぶりに会う。3人の子どもたち、みんな大きくなってびっくり。
 家族を持つことはないだろうと思っていた自分にとって、彼らは「家族」というもののモデルで、そして「堅気の人」のモデルでもあった。結婚して子どもが産まれ、仕事も大きくなっていき、というステップアップのモデルが自分の周りの演劇人にはほとんどなかった。
 今、自分が家族を持つようになって、彼らが当時どんな気持ちだったのか考えるようになった。

 そして、この面子で会うと飲みすぎてしまう。つい学生時代のペースでぐいぐい行っちゃうんだよな♪ へろへろになって帰宅。仕事場で寝ていたらかみさんにたたき起こされて無理やりシャワーを浴びせられてベッドに引きずられていった。。。

 今日は、これから荻原達子さんを偲ぶ会に出かける。
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横須賀で和太鼓ライブ

2007-08-26 00:47:35 | 丹下一の泡盛日記
 今日は、朝から腹具合がどうもおかしく元気なし。足裏を冷やしたのが原因か?

 昼間は、雑用ですぎる。午後、ちょっと昼寝。夕方、シャワーを浴びて出陣。かみさんが以前から見たがっていた横須賀のライブハウスで和太鼓チームの公演。
 和太鼓の方のプロデュースだが、太鼓、津軽三味線、琴が各2名のユニット。中東6カ国を巡っての凱旋公演。

 なかなか興奮した。太鼓っていいな。血が燃える。そして和楽器もいいな。
 20年位前に、和楽器を使ってユーミンの曲なんかやると「邪道だ」とか「本質を忘れた」などと安易に非難されていたが、このユニットの音は深い。嬉しかった。中東でも喜ばれたに違いない。

 矢吹紫帆さんが以前京都であるコンサートで伝統音楽の笛の集団と一緒にステージ。リハを終えて本番。笛の集団は、いきなり半音上げて吹き出したとか。ようするに若いシンセサイザー奏者をいじめたのだ。
 終演後、「半音上がってましたよね?」と言っても「そうでしたかあ?」ととぼけたそうだ。

 こういう日本の「伝統」を受け継ぐと称している人たちの態度に強い怒りを覚える。まず、「一緒に舞台を共にする」ことをどう思っているのだろうか。そして、観客をどう思っているのだろうか?
 もし、意地悪された奏者がトチ狂い、全体の出来がひどいものになっても「自分たちはちゃんとやったもん」で済ますのだろうか。
 そんな「伝統」を受け継ぐ者たちの舞台表現など、とっとと滅びてしまえばよい。

 以前、新劇の世界でも似たような話を聞いた。本番中に突然電話が鳴り新人俳優がとらざるを得ないようになる。台本に無い設定である。この話には落ちがあって、これをやられた新人の女優は電話をとり「あら、あなたによ」と先輩の役者に渡したそうだ。こんなことをした人たちは作者や演出に対してどう説明したのだろう?

 日本の伝統芸能の世界にはそんな話が多すぎる。「鍛える」と「いじめ」の区別がつかないレベルでは、その表現もその程度。だから滅びる運命にあるのは当然だ。

 今日の津軽三味線は素敵だった。そして、三味線を「ずっと昔からの」日本固有の楽器だと思っている人がいる。「ずっと昔」は400年位前で、当時、まるで戦後のギターのように日本の人々をとりこにしたこの楽器は琉球王国から伝わった。
 今日のステージで締め太鼓をチャングのように叩いていたが、この奏法もいずれ日本人にもなじんでいくのだろうと思った。伝統は型ではなくスピリットだから。

 箱物行政もそうだし、昨今の某企業の全国の会館運営への進出にも当てはまるのだが、形があっても魂が無ければアートにも伝統芸能にすらならない。芸術家の劇場運営がどんなにひどくても、アートを理解しない人たちの運営に比べたらまだましである。
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無事帰宅

2007-08-25 00:47:47 | 丹下一の泡盛日記
 昨夜、無事3日間の稽古終了。最後は、グループに別れてそれぞれ小さなパフォーマンスを作ってもらった。それぞれが素敵で、「おお!」と驚く場面がたくさん。

 夜中は、ゆあみガールズがセッション。もんじがドラム、とんちゃんがギターで参加。ねりはジャンベ。延々と続くセッション。とんちゃんがのってる♪

 今朝は9時に出発。みんななごりおしの熊野。すごい体験だったんだろうな。鳥羽からフェリーで伊勢湾を渡っていると、イルカ出現。僕も久しぶりにみた。最後にイルカ付きとはすごいね。

 3人をそれぞれの家におくり、逗子に戻ると23時近くなっていた。さすがに疲れた。シャワーを浴びて、大ママとかみさんとビール♪ つまみはねりのお母さんがくれた明石焼き。

 熊野で食べられなかったタコが、最後に登場した♪

 
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熊野DAY3

2007-08-23 17:21:31 | 丹下一の泡盛日記
 今朝も早起き。とんちゃんと話す。娘2のヴォーカル入りのゆあみかいめんの曲をパソで聴いてもらう。

 晴れなのに雨もぱらつく変な天気。食後はもちろん全員で海へ。久しぶりの波田須の浦。

 セガ、ギアつけて潜るだけあって飛び込んでとっとと泳いでいく。他の2人はとんちゃんがインストラクターになって丁寧に指導後、海へ。夢中になって遊んでる。
 海へはもちろん大ママも一緒。紫帆さんのウエットスーツ着て、シュノーケル初体験。

 カレーライスで遅めのお昼ごはん。紫帆さんの新曲聴かせてもらう。とてもいい♪ 何回か聴いてイメージをもらう。

 食後、ゆあみガールス3人連れて熊野古道へ。天女座からすぐの波田須道を一緒に歩く。これで熊野の川、海、山を制覇したぞ♪

 戻ると義太夫も出来る素潜り名人Iさんがたくさんの魚を持ち帰っていた。まな板からはみ出すサイズの魚にガールズは歓声。
 
 紫帆さん、とんちゃんはスタジオにこもってお仕事。となりの部屋にいたら、ずっと心地よいピアノの音が。
 終了したと思ったら、ガールズがやってきて「音出してもいいですか?」。そしてホールでギグが始まった。セガ、ドラムいけるじゃん♪ 

 さて、今夜は最終稽古。何をしようか思案中。かなりのレベルでもいけそうだから楽しみだ♪
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ゆあみ3名様、天女座ギグ

2007-08-22 23:52:28 | 丹下一の泡盛日記
 9時前に天女座を出発。大ママとゆあみガールスを熊野川を帆舟でクルーズするツアーにご招待。大ママのお母さんの故郷、鵜殿村を越えてゆく。

 三反帆舟を復活させた谷上さん、素敵な波動。舟に乗り込み熊野川を行く。数年前にカヌーではじめて熊野の川を下った時の感動もよみがえる。ガールズも感動♪
 お昼には地元の目張り寿司や鮎、川海老などのランチを飛雪の滝を眺めながらいただく。全員「美味しい!」を連発。
 食後も再び川へ。帆を上げる。風に帆が膨らみ、風だけで川をさかのぼってゆく。音がない時間。すべるように舟は行く。素足を熊野川につけて、最高に気持ちいい時間♪

 天女座に戻り、ちょっとお仕事。ゆあみガールズは今夜の為のリハーサル。聞いていたとんちゃん、マジな顔で「いいねえ」。んで、とんちゃんと二人してガールズのためにサウンド・チェックしたり照明あわせたり。。

 稽古はけっこうはじけた。いい時間♪ ゆあみガールスも「わに~わに~」とわに役で参加。そして、終了後ゆあみかいめん(はなちゃんもいないしリードボーカルもいないけど)登場。最初の曲、ちょっと思い入れ強すぎたかな。だってリード・ボーカルいないからドラムとベースがなんとか歌ったんだもん。よくやったよ。
 2曲目、昨夜満天の星を見てまどpが編曲した「きらきらぼし」。いいじゃんいいじゃん♪ みんな大拍手。

 それから演芸大会がまた始まった。とんちゃんともんじ、そして自分が太鼓を叩き、続けて素潜り名人の池田さんが義太夫。みんな大笑い♪

 その後もガールズはセッションモード。とんちゃん、もんじが参戦。大盛り上がり。ドラムのねり「楽しい! 楽しい!」
 
 がっちり汗をかき、大ママの寒天食べて「♪!」。まだまだ天女座の夜は続く。 
 

 
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