泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

娘1の笑顔に親馬鹿になる

2009-05-31 13:08:43 | 丹下一の泡盛日記
 金曜日、めったに見ないテレビをつけて、「ミイラ特集」をみる。アンデスの山中で発見された氷の少女とシチリアの教会のミイラたちを中心に番組を構成している。
 この二つのストーリーはすでにナショナル・ジオグラフィック誌の特集で知っていた。というかこの番組企画した人もこの雑誌で知ったんじゃないのだろうか。
 雑誌では見ることができない周辺の風景もみることができて満足。
 ただ、この手の番組の「案内人」の存在にはたいていがっかりする。

 土曜日、結局夜更かししてしまい昼前に起きる。
 実はこの週末に仙台に行くことはできないかと機会をうかがっていたのだが断念。残念だ。
 「生き生きとした舞台に触れてないと窒息死しちまうよお」とかみさんに訴える。
 「6月に何本ステージやるの? (あの、今のところ6本。。。)」
 「石垣から戻ったばかりだけど、7月と8月どれくらい旅に出るの? (ええとタイ1週間と台湾10日間と熊野2回と京都とあのそれから9月にも。。。)」
 すみません。辛抱できないわしがいけないんです。何も言えん(-_-;

 と、そこへ突然山形の那須さんからメール。「今逗子通過中。鎌倉に向かってます」。
 鎌倉で会うことに。1年半ぶり。
 ギタリストの那須さんとは2007年秋の針生琳太郎さん(今は大日琳太郎と改名)の舞台で桐生・有鄰館と仙台の旅をご一緒した。
 そのご縁でなぜか山形タクシーのコマーシャルに出演させていただいたり、妹さんご夫婦の料理屋でめちゃくちゃ美味しい食事をご馳走になったり。
 午後一杯、三浦半島をご案内。立石海岸、佐島漁港、小坪でゆうき食堂で刺身定食、ラ・マーレ・ド・チャヤでコーヒー。
 温厚な人柄の下には若い頃ギターに「狂って」、バークリーまで行ってしまい、そして今でも探し続けているプロの顔がある。いい時間だった。
 仙台を断念したら、代わりに神様がプレゼントをくれた。

 帰宅して犬散歩の後、横浜中華街でかみさんと娘1に合流。
 娘1、久しぶりにかみさんと半日過ごしウインドウ・ショッピング。くねくねとからだをよじらせながら大きな花が開いたような笑顔。
 よほど楽しかったんだろうな♪
 かみさんにおねだりして色々とゲットしたに違いないのだが、この笑顔をみると彼女が幸せならばいいんじゃないの、と親馬鹿になる。
 
 皆が好きなエスニック屋さんで東北タイの民俗音楽のCD購入。娘1に刺繍の入ったお高いインド製Tシャツを貢ぐ。
 今日は幸せな気持ちのままで終わらせたい。

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退治される側

2009-05-28 18:47:42 | 丹下一の泡盛日記
 党首討論、やっぱり物足りない。期待しちゃいかん、とは思いたくない。期待するのが当たり前になってほしい。物足りなかったら選挙で意思表示。
 西松建設問題、民主党側と同時に自民党でも多くの議員の名前が挙がっているが、検察は追求に限界を感じていると一部の報道。
 やっぱり検察も相応の裏取引で動いているんだろうな。

 自民党の中川元幹事長は「次の選挙で民主党政権が誕生するので、解散に追い込んで来年の選挙でひっくり返す」というビジョンを持っているとか。
 もうほとんどゲーム感覚だ。政策のビジョンなんてどこにもない。

 テレビドラマなどで、最後は正義の味方が悪い人をみいんな退治してくれるストーリー。自分もこの爽快感が大好きだ。
 そして、これは見方を変えれば、暴力に訴えて解決するストーリーでもある。
 先日テレビから「この国を守るために、お前らみたいなやつらは許さねえ!」という台詞が聞こえてきた。その後画面には、ばったばったと殴り倒される「悪役」たち。
 なんだかわからないが自分も「国を守るために」「退治される」側のような気がしてしまう。

 20代前半の頃「学生運動なんてやってるのはどうしようもない連中だ。親が必死で稼いだ金で大学にいかせてもらいながら、ろくに勉強もせず悪い思想にかぶれて暴れまわっている。最低だ」という意見の人と延々と話したことがある。
 自分はこの少し年上のWさんの意見に否定的な立場で話していたのだが、彼の意見にも一理あると思っていた。
 当時「運動」に主体的に関わっていた人で今もまっすぐに活動を続けている人はどれほどいるのだろうか。(と当時も思った)
 飲み屋などで「昔も俺は~」という話をさんざん聞かされ見聞きしたが、その程度で終わることだったんだといつも否定的な気持ちになった。
 自分に興味があるのは「今」そして「これから」だ。「昔やってた話」ではなく「これからどうするか」だ。

 Wさんはしきりに「日本は素晴らしい国だ。まず国土が美しい」と訴え、自分は「国土は美しいが、政府がどうも」と応えていた。
 「だからさ俺たち若いもんが一生懸命この国を守んないといけないわけよ」。
 「いや、あの、美しい自然は大事にしたいんですけど、別に政府とかは守りたいと思ってません」「ああ、もうわかんねえやつだなあ!」
 と会話はとめどなく続いた。人間的にはいい人だったんだけどねえ。

 今日は雨。車の中でフィンランドのヘビメタ・バンド、LORDIを聴く。KISSのファンクラブ・フィンランド代表だった人が立ち上げたバンド。
 魔物が異端の少女を救いに来るというストーリーの曲がいい感じ。
 異端の少女や森からやってくる魔物たちが「退治」されない世の中でありますように。
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人参は生が旨い

2009-05-27 23:02:04 | 丹下一の泡盛日記
 娘2は今日から中間試験。せっかくお弁当作ったのに試験を終えたらいったん帰宅、その後塾に行くという。
 前夜仕込んだお弁当は自分のブランチになった。

 数週間前に血液検査を受けてその後なんだかんだでほったらかしになっていたのだが、ようやく病院へ。
 検査結果の数字はどっこも悪いところなし♪ しいていうとガンマちゃんが10代から40代に育ってしまったくらい。
 これも石垣効果か。

 娘2のランチは野菜中心に。美味しい人参があまっているので昨夜は千切りにしてバルサミコで和えたのだがお気に目さなかったらしい。
 そして「いや別に嫌いではないが酢がきつくて」などと言うので、今日のランチにはナムルにして出した。二口食べて後は残した。
 かみさんはどんぶり一杯つくってあったのを「美味しい♪」といってばくばく。
 さて、明日はどんな人参料理をつくろうかな♪
 自分としては塩振って生のままばりばりかじるのが大好き。

 おかげさまでプレイバッカーズの予定がさくさくと入ってくる。んで、天女神楽や同志社やこもれびの日程もバランスとってなんとか調整。
 日程調整しているとネタも断片的なフラッシュバックのように浮かんできたり、音楽が流れ始めたり、お脳がなんだか忙しい。
 それよりもとりあえずタイでのパフォーマンス日程が決まり、そして6月1日のYMCAでの公演が目前だ。
 緊張なんぞ全く無い。ただわくわくしている自分がいる。いまだにタイ語はこころもとないが、この日の為に自分の49年間はあったのだと思っている。請うご期待。
 そして皆さまのお出でを切にお待ちしております。
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八王子を散策

2009-05-27 00:24:59 | 丹下一の泡盛日記
 今日は年末に上演するこもれびホールでの作品のシナハンで作演出の井村昂さんと八王子界隈をうろつく。
 2人して鍵のかかったお堂の格子の隙間から薄暗い中を覗き込んだりしていて、怪しいことこの上ない。
 たくさん収穫を得て、帰り道によさげな蕎麦屋。
 入って座るなり「ビール!」。
 アルコールも入って話(一応打ち合わせ)も盛り上がる。

 それにしてもちょっと歩いただけで、いくつもの史跡跡に出会った。
 お互い好きなもんだから一つひとつチェックしていく。こういうのは楽しいねえ。

 子どもの頃伯父一家が八王子から少し入ったところの田んぼの中に住んでいた。と言っても農家ではなく山林を研究材料にするために、彼とその一家はいつも森や田園地帯に住んでいるのだった。
 同じ施設で羊も飼っていて、自分はその時にはじめて羊に触れた。
 自分にとって八王子はそんな田園風景に近いところという印象があるが、井村さんと二人で歩いているのは「東京」の景色だ。

 帰宅してかみさんと二人で犬散歩。かみさんの服がどうも「島ファッション」だ。心がまだ戻ってきていないのだろう。
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せっかく買ったスーチカーなのに

2009-05-24 23:37:38 | 丹下一の泡盛日記
 午前中、石垣島博物館とマラリア禍の記録をみるために平和祈念館を見学し空港へ。
 無事、帰宅。

 石垣島からの帰途、那覇空港で乗り換えの30分の間、いったん外に出て売店で買い物をしてまたセキュリティチェックを受けて中に戻った。
 スーチカーを買うためである。

 昨年11月、プレイバッカーズの沖縄公演ではまってしまい次のチャンスをうかがっていた。
 同じ店で同じものを3本購入。
 帰宅してうす~くスライスにして食べた。
 「?」
 味が違う。11月に食べたものは塩味もきつかったが、旨みがゆっくりと深いところから沁みだしてくる味わいで、家族全員が「これは美味しい!」と叫んでいた。
 美味しいものがあるはずとやって来た娘1も含めて「これは去年のとは全然違う」。
 空港の中走って買ってきたのに残念。
 少し厚めにスライスしてそのままフライパンで焼いてみた。これならけっこういけるかも。

 プレイバッカーズのえりちゃんのパートナーにも贈ろうと思っていたのだが、これじゃぜんぜん話にならん。
 どうしてこんなに味が違うのか問い合わせてみたいくらいだ。

 心がまだ八重山にあるかみさんは、帰宅すると突然出かけ与那国島で撮影したドラマを見だした。
 その気持ちわからんでもないなあ。。。
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石垣島から2

2009-05-24 00:33:00 | 丹下一の泡盛日記
 昨日、ヤンバルクイナに出会ったと書いたら鳥類観察のプロ、Motoさんから「それはシロハラクイナという鳥です」とご指摘をいただいた。ありがとう、Motoさん。
 彼女はハチクマという鷹の観察で有名で、いつぞや自分のラジオ番組にも出ていただいて渡りをする鷹たちについて話していただいたこともある。
 彼女がこの島にいたら居酒屋なんかには目もくれず、さっさと山に入っていくんだろうな。

 今日は干潮になると現れる「まぼろしの島」に行ってきた。時折、飛行機の窓から見えたりするなんてことない砂洲だが、それがうれしい。
 「男の子って馬鹿だねえ」といかみさんに笑われた。

 半日をボートとシュノーケリングですごしたので日焼け止めを塗っていたにもかかわらず顔は真っ赤。
 かみさんは西洋料理が恋しいらしく晩御飯は二人でイタリアン。
 心が満足できなかったので夜の街をふらついて目について入った地元居酒屋は大当たりだった。

 もうへろへろで帰還。明日、逗子に戻るのが信じられない。那覇空港で必ずスーチカー買って帰るべし。
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石垣島から

2009-05-22 18:34:40 | 丹下一の泡盛日記
 昨日、石垣島に到着。かみさんと二人きりのオフの旅は2005年5月の北京以来だからまる4年ぶり。
 沖縄本島以南に来たことが無かったのでとても楽しみにしていた。

 昨日は川平湾で海中の眺めを楽しんだ。
 今日は高速船で西表島に。

 レンタカーで移動。由布島に水牛車で渡る。
 牛使いのおじさんと話していると、西表島のマラリア渦の話に。この話は自分にも記憶がある。
 200人ほどの島民が大発生したマラリア蚊をさけて由布島に逃げ込んだそうだ。
 昭和44年の台風で高潮のため島全体が潮に覆われて島民は島を捨てることを決意するのだが、その前年に電気が通じたばかりだったという。
 どうしてわしが話すとそういう「まじめ」な話を聞くことになるのだろう。。。

 そしてこの水牛車はなんともいえずにのんびりできる。いい感じ。水牛が好きになった。
 八重山の島々の歴史にはとんとうとい。帰ったらちょっと勉強しないといかん。

 運転していたら道にヤンバルクイナがいてジャングルの中に逃げ込んでいった。かみさんとふたりで「おお!」。はじめてみた(当たり前か)!

 今夜はこれから島唄を聴きに出かける。やっぱり芸能に触れなきゃね!
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行ってきます♪

2009-05-21 05:52:10 | 丹下一の泡盛日記
 いつもの旅のスタートと同じように3時間眠って目覚ましに叩き起こされる。
 大ママはもう起きてお弁当づくり。
 大ママが留守番をしてくれるので娘のことも安心♪ 犬はスタッフが。

 犬たちは気配を察して、すりすりと寄ってくる。ほんと、カンがいいんだよな。
 ごめんね。
 そして、行ってきます♪
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真っ直ぐな視線に囲まれて感動

2009-05-20 23:56:52 | 丹下一の泡盛日記
 昨日は、原宿でタイのエンパワメント・パフォーマンスの第一歩としてのワークショップ+パフォーマンス。
 驚いた。東京で真っ直ぐな視線を持った人たちと出会えるなんて。
 仕事を終えて次々に駆けつけてくる人たちの真剣に向き合おうとする姿勢にこちらの背筋も伸びる。

 こういうエネルギーはかつて演劇人が持つものと思っていた。
 この夜「学生時代にカンボジアの現状を確かめ、それを子どもたちに伝えたいと思ってビデオカメラかついでごみ処理場に行った」という話をはじめ、インドシナ情勢やアジアの人身売買、臓器売買の話をビジネスの世界に身を置く若い人たちとできたのはうれしかった。

 ビジネスの世界にいて、それもキャリアを目指すと自然に国際情勢にじかに触れ、意識するようにならざるを得ない現実があるのかもしれない。
 そして、敬愛する石川裕人大兄のように10年以上も前に「臓器移植」をとりあげて単純に肯定も否定もせずに、静かに深く向かい合う芝居を書いてくれる日本の演劇人はこの頃は稀有だと思っている。
 もちろんビジネスの世界の人たちがみんな意識が高くて、なんていうつもりもない。
 昨夜、真っ直ぐな視線にたくさん出会ったことがとても嬉しかったというだけだ。

 だから終演後、30分しかなかったが原宿で飲んだ♪ 久しぶりにアクターで舞台に立ったからだがクールダウンを求めていたためでもある。

 夜が明けたら羽田に移動。はじめての石垣島だ。楽しみ!!
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裁判員制度

2009-05-19 10:26:04 | 丹下一の泡盛日記
 今朝の毎日新聞によると、21日からスタートする「裁判員制度」に参加することに抵抗がある人が52%の過半数。そして制度に期待する人は45%で「悪くなる」の39%を上回っている。
 自分にはこういう数字が理解できない。
 参加は嫌だが市民参加の制度はよろしい。ではその人は「市民」ではないのだろうか?
 日本の政治が三流と評される根源がここにあるように思う。

 よくある「総論賛成、各論反対」ってやつもよくわからない。法案や企画がちょっとでも自分にマイナスな部分があると騒ぎ立てて(「僕を大事にして!」と叫んで)つぶしてしまう。
 停滞以外の何物でもない。
 そして、外から来る大きな変化に翻弄され対応しきれずに、たとえば全体を覆う「不況」という気分に責任を押し付けているように見える。
 またはその「気分」を大いに利用する。

 先日、インターネットの2チャンネルで「世間を騒がした責任はどうとるつもりなんだ!」という書き込みをみた。
 「世間を騒がす」とは懐かしい表現だ。
 たしかに世間を騒がすことはかつて「よいとはいえないこと」だった。今もそうなのか? 第一、「世間」って今でもあるのだろうか?
 自分は誰かが「世間」とか「世の中」と言ったら、それはその人自身のことだと思っている。
 「世間はこう思うでしょう?」は「私はこう思います」に置き換えて聞いているのだ。
 もちろん「我が国の法律では」とか「うちの会社の規定では」というのとは違う。
 「世間」はもともとあいまいな概念だったのが、今ではすっかりばらばらになってしまった。価値観の多様化。

 女優・沢村貞子さんの自伝で、第2次大戦中に社会主義活動に従事したとされて逮捕された沢村さんをお母さまが警察署にたずねいく場面がある。
 刑事が「貴様の娘はこれだけ世間を騒がしておる。申し訳ないとは思わんのか?」と怒鳴りつけられるのに対し、下町育ちの母上は「世間を騒がしているかもしれないが、うちの娘は罪を犯してなんかいません!」と言い返す(ことばはうろ覚え)。
 こんな凛とした大人になりたいものだ。(わし、もうすぐ生まれて半世紀だというのに)
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