日曜日、今日もホールでお仕事(^o^)/
誤解してほしくないのだけど。
「今日も」、には喜びがある。
フリーランスにとって、「お仕事いただいて」なんぼ。
今日も仕事で嬉しいな! なので。
今日も仕事だよ、ちぇっ。。。。では決して、ない。
しかも、劇場のお仕事だもの♪
この日は朝一番から夜最後まで、という長丁場の2本回し。
お弁当2個持って小屋入り。
この頃、我が家に花を置いてないなあ。
花の命は短くて。
だから、それを「生ける」行為が成立するような気がしていた。
枯れてゆく時間を切り取って、より美しく(人間にとってだけど)成立させる。
この頃は「木」も「いける」人がいるらしい。
土から引っこ抜かれて、根についた土を洗われた松の木。
その人も「その瞬間に木を殺す」わけです、と語っている。
命をいただいていることはわかっている。
そして、木は、花とは違うような気がする。
何が違うのかなあ。
ある映画に「桜の花を生ける」というお題があって。
桜の花びらを手で一つ一つ水盤に散らしていく行為が忘れられない。
満開の花をわざと散らして花びらでいっぱいになった水盤に、ひと枝の桜の枝が配置されている。
小さな水上に一杯の花びらが(その直前の)無限の満開の桜を想像させてくれる。
忘れられない映像。脳内映像も含めて。
花、を殺して花びらを得て、桜を「生かした」。
「美」とはなんと残酷なものなんだろう、と覚悟を迫られた
以前、組み合わせた流木に花を「生けた」舞台で旅をしていた。
流木は「死体」だ。
その意味では「切り花」も「引っこ抜かれた木」も「まだ」生きている。
あの流木が根ごと引っこ抜かれ「まだ生きている」木だったらどうだったのだろう。
アーティストとして、引き抜かれた(殺された/死にゆく)木と対面してみたい気持ちはわからないでもない。
「ハムレッツ」を前に自問自答中。