泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

雨音はやさしい

2011-08-31 14:26:44 | 丹下一の泡盛日記
昨日、夜三浦半島は久しぶりの雨。
夜、ベッドの中で静かな雨音を聞きながら眠りにおちていくのと幸せを感じるのはなぜだろう。
高校生の頃、ツェルトという小さなテントを担いで山の中を歩いた。
ひ弱な自分は他人のペースについていけず、一人で歩くことが多かった。
雨に泣かされることも多かったがそれでも雨の音を聞きながらシェラフにもぐり込んでいるのは好きだった。

新しい首相が誕生したが、ここまで安直にそして国民不在の首相誕生の例を知らない。
三流政治も極まれり、そしてその先が恐ろしい。
そして何よりも大方が震災はおろか現在進行中の原発災害のことを忘れてしまったかのようだ。
ドイツのテレビ局のドキュメンタリー(日本語の字幕付き)を見たが、原発から80キロ離れた畑の持ち主が野菜を民間の機関に持ち込んで(公的機関は検査してくれないので)チェックしたら、汚染がひどくて「放射性廃棄物」と呼ぶしかありません、との回答だった。
お百姓さんが魂込めて手入れした土が大変なことになっている。
そういう現実に触れた「候補者」は一人もいなかった。
みんな「もう見たくない」ならまだいい。
刺激的な映像に「飽きて」、「忘れてしまった」のではないのか。

昨日、雨が降り出す前は涼しくて過ごしやすかった。
この夏、暑い日でも仕事部屋のエアコンを入れたのは本当に数えるほどだった。
大量の紙(書類)を扱うので汗がだらだらでは話にならず、そして今年の夏はそういう仕事が全然なかった(T.T)ためでもある。
結果、エアコンがなくても何ら問題ないことがわかった。
電車のエアコンもいらない、またはうんと温度を下げてほしい。
そしてこの国の夏にスーツはおろかネクタイ、なんて風習を徹底的に排除すべし。
北国のまねはいらない。

夏が終わろうとしている。
やっぱりせつないなあ。
そして今日から西東京市こもれびホールのミュージカルワークショップがスタートする。
4年目、第4期。
素敵な仲間が結集する。
オノ・ヨーコさんが言っていた。
「政治家の悪口言うのはもうやめて。無駄だから。小さくても自分でできることから始めましょう」。
その通りだ。
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娘2と軽く一杯♪

2011-08-30 14:09:24 | 丹下一の泡盛日記
昨日、五反田でちょっとお仕事の後、おそばたぐってから下北沢へ。
娘2と合流しスズナリで少年王者館「超コンデンス」。
井村さん、なんかセリフがいつもより多くないか?
舞台を見ながらもどうしても来年のオペラに向けてのイメージが頭をよぎる。
やな商売だね、演出って。

おなじみの天野ワールドを楽しんで、娘2と軽く一杯。
この店は旨い。
まあ、たまにはいいだろう。
娘2、そのまま逗子に。
小腹がすいた自分は、冷やし中華つくる。
刻んだキュウリ、ちくわ、カイワレ、うちのデッキでとれたピーマンのベジな冷やし中華に舌鼓。

今朝、大学に出勤するかみさんを駅まで送り、そのままパソ立ちあげてお仕事。
ひと段落して、洗濯機を回す間の一瞬、横になる。
睡眠不足が身体の奥にたまってる感じがしていかん。

今日は事務仕事の日。
もろもろたまっているのを片づけてゆく。
仕事部屋に娘2も入り込み、彼女が今立ち上げている写真展の作業。
この手紙の文章、ほとんどわしが書いてるぞ(-_-;;;

明日は、こもれびホールのミュージカルワークショップの初日。
こちらも来年の年明けまで突っ走っていく。
楽しみだ♪
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ご褒美のラーメン

2011-08-29 12:47:01 | 丹下一の泡盛日記
昨日は、やはり早朝目覚まし前に目が覚めてしまう。
幸せな満足感。そして頭の中では子どもたちの声が反復。
そして、「帰らなければいけない」という祭りの後のさみしさ。
妙に空腹。
小松空港でうどん食べたのに羽田でラーメン屋に。
一度は入ってみたかった店。
割高なのは知っているが、自分へのご褒美。
「自分へのご褒美」が空港の割高なラーメンというのも、ちょっと寂しいと見えるかもしれない。
だが、自分には今一番ほしいものなのだからこれでいい。

昔のバイト先の社員食堂のラーメンが好きだった。
シンプルな東京ラーメン。
主食というより、軽食。小腹がすいたときやお腹がもたれているからお昼を軽くしたい時にぴったりの。
実は、昨今、これがなかなか見つからない。

ラーメンはおいしかったけど、860円はちょっと高いなあ。。。
もう入らないだろう。
ラーメンってそんな大それたものじゃないと思っている。
自分はラーメンのために並びたいとは思わない。
社員食堂の260円のラーメンが懐かしいなあ。。。

おかげさまで中間発表会への嬉しいフィードバックをたくさんトスしていただいた。
こういうことが次へのエネルギーになる。

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無事終了!

2011-08-27 18:40:45 | 丹下一の泡盛日記
金沢ジュニアオペラスクールの中間発表会「ラジオスターレストランへの道」は無事終了。
なんといっても満席っていいもんだ。
そして立見席までずらっとお客様が。
もちろん子どもたちは絶好調。
そして客席の反応も最高だった。
ここまでやるとは思ってなかったのではないか。。。

拍手も熱かったし、掛け声、手拍子も。
「ブラボー」まで飛び出して、谷川さん「まさかと思った」。
とにかく講師陣は全員うるうる状態で終了。

その後、かわいらしく芸術村のレストランでジュースで乾杯。
一人ひとりが立って語ったコメントがその成長を物語っていて、うれしい。
なんて幸せなんだろう、と思っていたらちゃんと別のお仕事のメールが。。。
この頃、神様が「気を緩めるな」と。
ま、仕方ない。こそっとホテルで仕事して、これから大人打ち上げに。
明日朝の便で戻ります。

打ち上げから戻ったので書き足します。
パソではなくプロバイダの具合がおかしいようでメールを送信できるのに受信できない。
大事なメールを待っているんだが困る。

打ち上げではたくさんのうれしいコメントをいただいた。
その中で「稽古の途中の発表会見せられてもなあ」と言っていた方が見に来て下さり、何も言わずに帰っていったとか。
まさかこんな「中間発表」だとは思わなかったのだろう。
台本/楽譜が決まっていて、演出ではなく「振付」も決まっていて、それを2年間「練習」して発表する企画だと思っていたらしい。

このメンバーがそんなことするわけない♪
そして、この仕事は金沢芸術創造財団からいただいている。
芸術「継承」財団ではない。
「創造」だ。
だから末席を汚している僕なんかにもお声がけいただいていると認識している。
この月曜日から土曜日まで、子どもたちも毎日の変化に驚いただろう。
本番ではもっともっと変えていくからね♪

みんなでいくつかの曲を選んでグループ分けして歌ってもらった。
2人しか選ばなかった曲に自分が振りをつけたら、その後大人気になって「私もああいうのやりたい!」と。
みんな裏でその曲を「練習」してる。。。。自分の曲を「稽古」せんかい!

作家の寮美知子さんは舞台に付き合って下さった後、「台本を根本から書き直す!」と宣言してくれた。
うれしい。
「継承」も大事だけど、自分の仕事は「創造」だもの。
小さくてもなんでも「創造」。
だって「継承」できるようなものなんにも持ってない。

だから保護者の方たちも含めお客様たちはある種の驚きもあり、感動して下さったようだ。
泣いている方がたくさんいたと聞き、自分も泣きそうになった。
この幸せに浸りたいが、ああ、このメールトラブルでそんなわけにもいかないようだ。。。



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いよいよ本番へ

2011-08-27 08:13:38 | 丹下一の泡盛日記
昨日、中間発表会のゲネプロは無事終了。
「舞台では何が起こるかわからない。何が起こってもつないでください」。
と伝えて始めたら、自分の場面で「起こった」。
とっさに対応できてよかった。
全体は、いい感じで流れた。
そして休憩時間に走り回って遊ぶ子どもたち。

昨夜の音楽チームのお疲れ様会。
音楽監督の谷川賢作さんは殺人的なスケジュールで動いている。
土曜日の午後の本番を終えると夜の便で東京に戻り、日曜日の午後には静岡県の三島で演奏。
奇遇だが、自分が先日「古事記」で能舞台に立たせていただいた企画のシリーズ最終回。
自分は初回に参加。彼は締めに参加。

オペラスクールの中間発表会についての新聞記事が次々と出て、会場の金沢芸術村には問い合わせが殺到しているとかで財団スタッフはうれしそう。
残念なことにチケットはすでに立見席も含めて完売。
昨夜の宴会でも、では2回公演にすればよかった、と幸せな振り返り。

昨夜、宴席でようやく金沢の美味しい刺身や干物とご対面♪
野菜のてんぷらも旨い。
だが日本酒ではなくなぜか焼酎お湯割りで。

みんなで居酒屋に繰り出すなんてめったにない。
たまにはいいもんだ♪

そして「大人」のわしらはさっと切り上げて解散。
自分も24時前にベッドにもぐりこむ。
さすがに疲れはたまっている。

今日はいよいよ本番。
きっと泣くんだろうなあ。。。。
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金沢5日目―お部屋で晩ご飯♪

2011-08-26 07:21:40 | 丹下一の泡盛日記
昨日も午前中から劇場へ入る。
繰り返すが、こんな贅沢なことはほかでは知らない。

今回の中間発表会は、芝居仕立てになっている。
プロデューサーでスクール校長の村井さんが台本を書いた。
来年上演されるオペラがどうやって立ち上がりどんな稽古をしているのかに触れながら、いくつかの小グループに分かれたり、全員だったりが歌を披露していく。
もちろん来年のオペラのためのうたも何曲か出来上がっている。
音楽監督の谷川賢作さんや歌唱指導の石川公美さんの努力のたまもので、それらの歌が自分の心をつかんで離さない♪

今回の演出の作業の半分以上は「交通整理」。
まあ、とにかく全員が舞台に上がるだけでなく動き回るんだもんね。
そして日ごとに子どもたちのエネルギーが上がってくる。

昨日は雨で外の広大な芝生に大きな水たまりがいくつもできていた。
休み時間にその中を靴を脱いではだしになった子ども3人が走り回って遊んでる。
休み時間は「休む」のではなく「遊ぶ」時間なのね。。。

夜の会議前の夕食は、部屋でご飯炊く。
音楽監督の谷川さんが焼き魚や蒸し野菜を抱えて来てくれて一緒に。
内緒だが、谷川さん、会議前なのに小瓶も持ってきている♪

通しけいこでは2回しかとめなかった。
もう一歩のところまで来ている。
今日は午前中にちょっとテコ入れして午後はゲネプロだ。
外は雨だが、明日には晴れるだろう。
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金沢4日目の朝

2011-08-25 09:39:19 | 丹下一の泡盛日記
というわけで金沢での3日間がすぎた。
昨日からは照明も入る。贅沢だよなあ。
本番の劇場・舞台で照明チェックしてる。本番3日前から。
そして、ここからいくつも要素が加わっていく。
「練習」してきたことをそのままやればいい、なんて考えは演出の自分にも音楽監督の谷川賢作さんにもないのだ♪
「稽古」してもらわないとね。

昨日、来年の本編の台本担当の寮美知子さんが奈良から到着。
寮さんも一場面出演していただく。

休憩時間に中学生2人が「質問が。。。」。
「あそこの場面のこと?」(この2人には結構大事なセリフをふってある)
「ええと、あの、ハングルで。。。」。
韓流にはまっている2人からハングル文字の表記についての質問だった(^^;;;
それでも1年前に遠巻きにしてちらみぐらいしかしてくれなかった子たちが、休憩時間になるとわいわい囲んでくれる。
幸せだ♪

まあ朝から夕方まで劇場にいて、夜はバーで打ち合わせ、なので世間のことがわからない。
カダフィさんちに反政府勢力が突入、とか伸介引退とか、アメリカで地震とか、全部ネットで知った。

カダフィの独裁は相当にひどいものだった。ただ保守的なイスラムで女性が外に出ることを好まない社会で女性に社会進出の機会を提供したのはカダフィだった。
欧米からは「中東の暴れん坊」と呼ばれていたが、中東を植民地支配しにむちゃくちゃな国境線を引いていまだに混乱させ続けているのは、英国を中心とした欧米諸国だ。
その支配の歴史は、圧政なんてもんじゃなかった。
今回欧米諸国による空爆や海上封鎖がカダフィ政権にとどめを刺した。
新勢力の方が利用しやすいということなのだろう、と解釈している。

そしてこの3日間、自分は着実に太り続けている。
自分のセリフなんてぜんぜん稽古してないもんな。
さて4日目。
今日も思いっきり遊んできます!
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金沢3日目の朝

2011-08-24 09:11:26 | 丹下一の泡盛日記
1997年、蓮如上人500遠忌の企画で「れんにょさん」という芝居に主演させていただいた。
その前年、今回のオペラ中間発表会の会場でもある金沢芸術村がオープン。開場記念公演のシリーズに東京人なのに参加させていただき、地元の演劇人で僧侶でもあるN和尚と出会った。
ある日和尚から新宿の自分に電話。
「芝居やるんだが、ちょこっと助けてくれんか?」。
「もちろん了解です。ありがとうございます!」。
で、とりあえず金沢に。
地元のペンションでの3カ月に近い生活がスタート。
その夜、渡されていた台本を前に飲みながら「で、どの役なんですか?」。
「何いっとる。主役の蓮如上人にきまっとるだろうが!」。
聞いてないぞ、そんなこと。。。
「だって聞いとったら断ったかもしれんじゃろ?」と和尚はにっと笑ったのだった。

それからの3ヶ月間、東京と金沢を基本的に週1回往復。
たくさんの航空券を持っていて、なんかトランプのカードみたいだと笑ったこともある。
稽古は楽しく、夜は和尚に連れられて街を飲み歩き、ひたすら仏教談義。
なんせ台本には初めて目にする仏教用語がずらずらと並んでいる。

そしてペンションの朝の「和定」、それはとても美味しかったのだけど、毎日続くとちょっと重すぎた。
あっという間に太りだし、対策として炊飯器を持ち込んで自炊した。
スーパーの安いコメと部屋の水で炊いたご飯は新宿の自宅よりも美味しくて、水がいかに大事か気付かされた。
その後、新宿ではミネラルウォーターで米を炊くようになった。

それから5年間、和尚との付き合いは濃くて深かった。
2002年には天女座での舞台「じょふくさん」の主演に招いた。
自分なりの返礼のつもりだったが、この頃には大分身体の具合も悪かったようだ。

突然の知らせを受けた日は、なぜか予定が全くない日で、自分はそのまま空港に向かった。
大阪出張を終えたかみさんと金沢駅で合流し、彼の寺に向かった。
倒れて救急車で運ばれる時、突然、経を唱えだしたのだという。
本当に眠っているような和尚の顔をご家族と眺めていた。

そして和尚がかみさんに降りてきた。
かみさんが「何か言ってるよ」と言い出して、自分に向かって言った言葉は和尚と自分の間だけの特別なフレーズで誰も知らないことだった。
その後、彼は奥様にいくつかの指示を出した。
不思議な体験だったが、その時はとても自然に受け入れられたし、今でも自然な気持ちでいる。
なので時折、和尚がそばにいるように感じる事があるが、きっとそうなのだろうとも思う。
酒飲みのご多分にもれず寂しがりだったものねえ。

昨夜久しぶりにお会いした当時の事務局のKさんと延々と話し続けていた。昔のこともだが、それよりも今のこと、そしてこれからのことを話し自分はこぷこぷとお湯割りを飲んでいた。
Kさんにいいエネルギーをいただいた。
今日は稽古3日目。
奈良から作家の寮美知子さんが合流する。
今日も一日精一杯ですごします♪
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金沢から

2011-08-23 16:52:19 | 丹下一の泡盛日記
金沢にいます。
いよいよオペラスクールの中間発表会。
昨年9月のスタートから1年たったのだ。
昨年8月の後半、同志社大学の授業で琵琶湖にいた。
こい3日間を過ごした後、9月の頭には金沢で記者会見。
繰り返しになるが、なんて深くて濃い1年だったんだろう。
なのでものすごく長く感じられる。
あの8月が遠い昔のことのようだ。

谷川賢作さんも同じ便で合流。
一緒にラーメン屋でランチ後、会場の芸術村パフォーマンス・スペースへ。
仕込みもほぼ終わり、本番通りの会場で稽古、しかも作曲家本人が稽古でがんがん弾いてくれるという贅沢な時間が始まった。

もちろん「初日」なので、ちょいと繰り出す♪
財団の方が中華料理屋に。
その後はもちろん犀せいでがっちり飲んで、ホテルに戻りベッドに倒れる。
多方面にご迷惑、ご心配をかけながら生きているというのに、この幸せ。

今朝、事前にセットしてあったので炊飯器がご飯を炊いてくれる。
朝は納豆の茶漬け。茶葉はもちろん、海苔もわさびも持ち込んだ♪
ついでにかみさんの梅干しでおにぎりも。
(迎えの車の中で食べてしまった)
ぬか床も持ってきたかったが、さすがにホテルに遠慮した。
もってくりゃあよかったなあ。

50歳を過ぎて、自分の心の中の闇や傷にようやく気がつき始めている。
本当にのろまな自分。
一生懸命歌う子どもたちをみていると、自然に涙が出てくる。
うつくしい、そして、いとおしい、と思う。

金沢の街を歩いていると自然に「れんにょさん」をはじめ昔の舞台のことが思い出されてくる。
今夜は、その「れんにょさん」の事務局に会いに行きます。
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立ってるだけなら。。。

2011-08-21 13:26:06 | 丹下一の泡盛日記
先日小田原駅で、改札前に直立不動で立つ警官。
JR前にも私鉄前にも。
横浜駅でもみかけるようになった。
あれはいったい何のためなのかわからない。
夕方(小学生の登下校時)だけでなく昼だというのに、サイレンは鳴らさず赤色灯を点灯、回転させてパトカーが走り回っている。
何か事件でも起きているのか?
これは「治安維持」のための行動なのだろうか?
どちらかというと自己存在を強調するのための行動にみえる。
ヤクザが縄張り内を歩き回って「ここはうちのシマだからね」と示威行動をとるように。
そして自分は同じような高圧的なエネルギーを感じてしまい不愉快だ。

自分の家の車庫で車が2回被害に遭っている。
もちろん警察に通報した。担当のおまわりさんにはとてもお世話になり今でも感謝している。
そして、回覧板によればすぐ近くでまた空き巣被害があったという。
それどころか歩いて3分の散歩コースにある家で起こった殺人事件は未解決のままだ。
駅前に立っていればそういう事件が少なくなるとでも思っているのだろうか?
どちらかというと被害者になる側の人々を威圧しているだけではないのか?

以前、購入したばかりの車を駐車場で当て逃げされた。
後部が大破するほどの衝撃でぶつけられていて、加害者の車も当然修理に出さなければならないはずと思われた(というか警察にそう言われた)。
ものの本によると加害の車には肉眼で見えないくらいの塗料も付着し、ぞうきんで拭き取った程度ではプロがチェックすればあっという間に動かぬ証拠になるのだとか。
駅前で一日中立っているおまわりさんが一人、うちのために動いてくれたら,犯人はすぐに見つかるんじゃないかなあ。
その時の修理代は額面で50万円を軽く超えていた。
保険のおかげで助かったが、かなりの金額を支払った。
駅前に立っているよりよっぽど具体的なんじゃないか?

大阪では愛国心は法律で強制しないといけなくて、誰も持っていないので明文化しないといけないらしい。
誰も持っていないなんて自分には信じられない。
自分は神奈川県民だが自分を含め愛国心を持っていると自覚している人たちに実に失礼な話だ。
昔、ちょっと右側の人に新撰組の関連写真集を見せられながら「日本はいい国だ。まず国土が美しい」と言われた。
相づちをうち「本当にその通りだと思います」と応え「残念ながらこの国の政府を美しいと思ったことは一度も無いんですよね」と続けたら殴られそうになったことがある。
自分はこの国の美しい国土や人々を守りたいとは思うが、国家権力を守りたいと思ったことは一度も無い。
愛国心の「国」は何を意味するんだろう。「国体」と「国」の区別をはっきりさせてもらいたい。
そして民自公の大連立ってことは大政翼賛会の誕生だ。
どうしてこう繰り返すのだろうか?

太平洋戦争海鮮の段階で、すでに世界の趨勢は航空母艦+航空機の時代に入っていた。
山本五十六将軍が、真珠湾攻撃で一番破壊したかったのは米海軍の空母だった。
(そしてなぜかその日、真珠湾に空母は一隻もいなかった。米国も「繰り返す」のが好きなようだ)
なぜ日本軍は戦艦をやめて空母の建造にシフトしなかったのか?
できなかったのだ。
黒船ショックから100年以上経っているのに、巨大軍艦の時代を信じていたからではない。
軍艦建造の利権構造が出来上がっていて、誰もがそれにしがみついて動かなかったからなのだ。

原発の利権構造にしがみつき「反対派」の声を封じ込めているうちに、船が丸ごと沈んでしまうのではないかと心配だ。
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