泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

プレイバッカーズ合宿

2024-10-06 21:08:46 | 丹下一の泡盛日記
土曜日はプレイバッカーズの合宿へ。
自分たちのメンテナンスのための合宿は以前は年に一度は行っていたのだけど、ここしばらくは本番日程を優先していて難しかった。
鎌倉へ。
途中、横須賀線から黄色い新幹線を見る。
間近で見たのは初めて。
買い出しチームは鎌倉で集合し食材の仕入れ。もちろん台所は自分が担当。
なんせ舌の肥えたメンバーばかりなので緊張する。
なので調理器具なども我が家から持ち込む。
下ごしらえを済ませお茶を飲んだら、チェックイン。稽古開始。
プレイバッカーズメンバーだけのクローズドな稽古だったので、普段とは少し違うことを。
全員がテラーになり、コンダクターも。コンダクティングをやったのは10年ぶりくらいか。
6本終えて晩御飯の時間に。
肉を食べない自分は、日常的にはシーフードばかりになるのだけど、なんせレディースの多いチームなので、ものすごく久しぶりに鶏肉と豚肉も使った。
メインはパエリャ。
そして「鎌倉」なので「けんちん汁」も。この頃「けんちん汁」とメニューにあり、頼んだら肉が入っていることがある。それは「けんちん」ではない。
久しぶりに24時過ぎまで飲んだのだけど、かなり遅かったメンツもいたそうな。こういうノリも久しぶりだ。
朝ごはんは中華粥を中心に。
そして残りのストーリーをクリア。素敵な時間を無事終了。
鎌倉はかつて「地元」だったこともあり様々な記憶が浮かび上がる。そして、それも今では遠い「過去」として距離を持って見ることができる。
それぞれが語ったストーリーは、もちろん「過去」のものだけど、見ているのは「未来」だ。

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日本人の「移民」の歴史

2024-10-04 06:37:27 | 丹下一の泡盛日記
木曜日はオフ。雨模様で洗濯もできず午前中は事務仕事。
仕上げて横になりながら資料読み。
日本が朝鮮を植民地化する以前の移民の歴史を調べている。台湾も。
明治初年から日本の移民は始まった。子どもの頃読んだ本にはハワイに移民した人たちが騙されて信じられないような苦難の道を歩んだことが書かれていた。
自分の農地が手に入ると思って到着するとそこは溶岩しかない場所で。その溶岩をツルハシで砕いて農地にしていった。
亡くなった方が「死んだら農地に埋めてほしい。畑の滋養の一部になりたい」という話は小学2年生でも強烈な印象として残っている。
今回台湾東部の移民の両親から生まれた方の戦後の聞き書きを読んでいて、台湾のサトウキビがハワイから移入されたものだということも知った。
朝鮮半島の場合、亡くなった方がでて墓を建てようとしたら母親が「いつどうなるかわからないのだから絶対に駄目だ」と拒否。日本に遺骨を持ち帰った話を聞いた。
この違いはどういうことなのか。朝鮮半島を植民地にしてたくさんの日本人が移住したが、その状態が永遠に続くとは信じていない人がいた、ということで。
それぞれのリアルな「ストーリー」が実に興味深い。

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さかえ通りへ

2024-10-03 17:18:32 | 丹下一の泡盛日記
この頃ちょっと飲み過ぎ。
この日も夕方からお出かけ。
懐かしのさかえ通り。
高校生の頃からここで飲んでいる。そのお店で写真家の山口さんと某振付・演出家の方二人とガッツリ。
久しぶりの新しい出会いが楽しい。
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「ベニスの商人」の稽古開始

2024-10-02 11:12:21 | 丹下一の泡盛日記
昨夜のカツオの残りで漬け丼。
火曜日は東京シェイクスピアカンパニーの朗読会の稽古。
シェイクスピア・カフェと名付けられた朗読会は次回、下北沢から神保町に会場を移して行われる。(12月には下北沢で)
久しぶりの「ベニスの商人」。自分は20年くらい前に横浜の山手演劇祭でやって以来か。
4つの役を担当するのだけど、これが結構忙しい。そして、シェイクスピアにありがちなんだけど、突然性格、というか知的レベルが変化してしまう若い男もいて。
終了後、帰宅してプールか、と考えていたら「執事」マストメさんに誘われて新宿で飲む。二人で飲んだの初めてかな。
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爽快な目覚め

2024-09-30 22:40:08 | 丹下一の泡盛日記
なぜだろう。
今朝目覚めた時に、とても爽快。
前日、プレイバッカーズ30周年記念パーティーでは、もちろん飲んだ。
帰宅してからも飲んだ。
そして、爆睡。
なのに、この爽やかな目覚めは何だろう。
パーティーには旧知の人がたくさん。
そして誰と話すのもプレイバックシアターの話。
前日のパフォーマンスの話もあれば、合同稽古のミュージックトレーニングで筋肉痛になんて話も。
延々と本音の舞台の話しかしないのだった。
それが幸せで。
秋の気配濃厚だけど短パンでプールに。70分くらい歩いた。
スーパーに行ったらカツオが安くて、呼んでいて。
血合を軽く焼いて叩くのは、35年くらい前の漫画で知った。
あの頃、飲み屋で舞台はもちろんアート(と酒)の話しかしなかった。
自分は今でもそうだけど。

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プレイバッカーズ30周年記念パーティー

2024-09-30 10:10:06 | 丹下一の泡盛日記
前日の合同公演を無事終えて、プレイバッカーズは再び横浜に集合。
「正装」指令が出されていて、ジーパンもNGとかで。久しぶりにジャケットで出かける。
もちろん運営チームがしっかりしているので自分は指示に従うだけで大丈夫。
この運営能力の高さが30年続けることができた土台だと思う。
残念ながら演劇の世界ではなかなか難しい。もちろん商業演劇は別だけど。
自分が正式に参加したのは25年前。この年月、そのあたりのことも本当に学んできた。
最初の頃、名刺交換のマナーから教えてもらったことは忘れない。
12時30分。北海道から九州から、そして本当に久しぶりの懐かしい顔がたくさん集まってくださる。
こういうパーティーにとにかく来てくださることが、すごい、とも思う。
もちろんチームは走り続けている。しかも高速で。
終了後、一切の食事をとっていなかったレディースといのちゃんでうどん屋に。自分は冷酒とニシンの酢漬け。
小一時間のリセット時間を経て解散。次は週末の合宿だ。
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プレイバッカーズ30周年記念合同公演

2024-09-29 07:53:08 | 丹下一の泡盛日記
土曜日はプレイバッカーズ30周年企画の合同公演。
地方3ヶ所はプレイバッカーズ単体での公演だったけど、こちらは関東を拠点にする4つのカンパニーが午前午後と次々に公演をもち、それぞれにプレイバッカーズのメンバーが客演するというもの。
自分は午前にアクター1本、午後にミュージシャンで1本参加した。
カンパニーでの公演が初めて、という団体もあり、まあ「お祭り」みたいな1日で。
もちろん気合充分で会場入り、設営からウォーミングアップするうちにあっという間に本番スタート。
客席は全国各地から参加してくださった方も含めて満席。
昼食はもちろん持参したお弁当だったのだけど、食べ切ることができないまま午後の部に突入。控え室で弁当箱を抱えたまま歩き回り完食。
無事終了。
その後の打ち合わせを終えて帰宅途中、なぜかものすごい空腹感。そして睡魔。
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早稲田へ

2024-09-26 19:56:09 | 丹下一の泡盛日記
木曜日午後、久しぶりの早稲田へ。
なんせ13歳からは新大久保と高田馬場の間で育っていて。
「地下鉄の駅ができるから便利になりますよ」って言われたアパートで家族と暮らしていたこともあるのだけど、その駅ができたのは、もちろんずっと後になってから。
その駅で降りて、暮らしていたアパートを横目に見ながら、かつて通学していた道を文学部に向かって歩く。稽古が終わった深夜、この道をフラフラと歩いて帰ったものだ。
2011年に卒業証明書をもらいに来て以来かな。香港で仕事をもらったのだけど、大卒履歴に卒業証明書を添えなければならないのだった。
まずは穴八幡様にご挨拶。

もうすっかり別のものになった、かつて早稲田銅鑼魔館があった場所。
大隈講堂を横目に演劇博物館へ。建物の前にある野外劇場で「ペリクリーズ」を見る。
そして、どらま館で演劇公演のビデオ上映会があるというので、初めて中に入る。以前の建物が残されているときに入ればよかった、と後悔しているのでとにかく中に入ってみる。
故郷は遠くにありて思うもの。
本当に別のものになっているのだった。
それでも「この場所」で若い人たちが演劇作業を続けていることに感謝。
「銅鑼魔館さま」と呼ばれていたらしいOさんも、きっと喜んでいることだろう。最近はどうしているのだろうか。
もちろん夕方は「一休」で一杯。こちらも「別物」になっているのだった。。。
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ラーメン屋、まだあった

2024-09-26 12:25:07 | 丹下一の泡盛日記
水曜日は久しぶりに野暮用で表参道に。
目的地前に和風ラーメンの店がまだあった。
1984年から表参道でよく稽古をするようになったのだけど、その頃は静かな住宅街の匂いが残っていて。
稽古を終えた夜、晩御飯を食べることができるのは交差点のスーパーのビルの上にある焼肉屋か、あとからできたこの和風ラーメン屋なのだった。
何度ここで食べたことか。
最初の頃は、女優さんが食べに行きたがるので仕方なくついて行った。だって大貧民だもの。
いつの間にかラーメン屋でビールを頼むようになっていたなあ。
その後、阿佐ヶ谷へ。こちらも懐かしい街。
昭和な飲み屋が並ぶ通りがとても危険。



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4日間を無事終了

2024-09-24 11:31:14 | 丹下一の泡盛日記
というわけで前夜、4日間で7本の舞台をご一緒するお仕事終了。
3日間は昼と夜は別の舞台で、進行だけでなくその立てばらしも担当。
集中だけでなく体力的にもきつかったが、中身が豊富で学ぶことがたくさんあった。
終了後、知らなかったことや刺激された脳が思いついたことをメモし、調べながら翌日の仕事に向かう日々。
来月から始まる「アジアの日々」に備えての東南アジア史の勉強も交えて、脳が活性化する喜び。
それを無事終えて、もちろん昨夜はぐいぐいと「心の栄養剤」。


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