泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

蝦球湯麺に香港を思いだす

2013-02-28 09:30:15 | 丹下一の泡盛日記
昨日は都内でぽんちゃん(水木菜花)と稽古。
このところ続けている本に加えて、いくつかを持ち込んで試してみる。
この頃、ちょっと使っていないと身体のあちこちが緩んでしまう。
自分も長めに声を出してみたら左右の頬、というか口を動かす筋肉のバランスが悪い。
右側の方が緩くなっている。
左右均等に噛んでいない証拠。
なのでしっかりと声を出して色々と試してみる。

ぽんちゃん、実は急な仕事が入って大騒ぎ。
稽古の後、しっかりつき合う。
自分が興味のある分野なので、稽古後、彼女の来客対応中にプラン出来上がっちゃうんだもんね。
お客さまと自分のために晩ご飯まで作ってくれて楽しい食事の後、終電までしっかりお手伝い。
充実した気持ちで帰宅。

冷凍庫に叩いた蝦が入ったままになっていたので思い切って全部団子にする。
今日は早起きだったので遅めの朝ご飯は蝦球湯麺。


香港で朝やランチによく食べていた。
もちろんこれはフェイク。本物はもう少し透明なスープにあのコシがある広東の細麺。
何度も行っているのだけど、夏の香港を知らない。
なので昨日のような寒い朝、コンクリートのフラットからコンクリートに被われた町に出た瞬間に、懐かしく思いだすことがある。
一昨年はShek Kip Meiの劇場に通い、昨年はその劇場の上にあるスペースで自分がファシリテートするワークショップのために通っていた。
4月の香港は昼は充分に暑いのだけど朝晩は結構冷える。
もう自分の町だと思っている油麻地のホテルの朝ご飯もおいしかったが、町の小さな店の座って食べて出るまで10分くらいの湯麺も好きだ。
蝦球(蝦団子)もいいけれどイカにするか魚にするか、いつも迷っていた♪

春は近いというけれど、ここから先もまだまだ寒い日が続くことを知っている。
なのでこの季節になると南の町が恋しくなる。
そして身体が春を感じているためか、戻ったばかりなのに、旅心がふるふると自分を揺さぶるので困るなあ。
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満月の226

2013-02-27 12:31:37 | 丹下一の泡盛日記
昨日は満月。
そして226の日だった。
先日テレビの歴史番組で検証しているものをみた。
「皇道派」と「統制派」の対立を軸に利用されてしまった226という視点での検証。
(事件を引き起こした青年将校たちは「皇道派」に分類されている)
裁判記録によると、中には農村部出身の部下の兵士たちの苦悩を目の当たりに見て給料を分け与え、破産に至った士官もいたという。
番組の中である人が、226が「成功していたらどうなったのか」ではなく「起こらなかったらどうなったのか」を問いかけた。
事件以後、皇道派は排除され統制派のみになった結果、対外戦争にまっしぐら。
歴史に「もし」はないけれど、もし事件が起きずに皇道派が存続したら、彼らは対外戦争には絶対反対であったろう、との見解だった。
「悪い奴らを排除すれば後はいい方に向かう」と皇道派のシンプルな思考にはちょっと二の足を踏んでしまうが、国内をまとめて戦争まっしぐらの統制派も困る。
両者がいてこそのバランス。
そして当時、政界はそのあやういバランスの中での政争に明け暮れ、「最後の身売り」が出た大恐慌にも具体的な対応策をとれなかった。
現代の「統制派」も対外的な緊張が必要なだけでなく「戦争」そのものを目指しているのだとは思いたくない。
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久里浜で神社回り

2013-02-26 15:31:25 | 丹下一の泡盛日記
昨日は終日自分のための「古事記」の資料作成。
昔っからこれ作っておきたかったんだ。
こういう作業は実は大好きでもう夢中になってしまう。
ほじくりかえして読み込むもんだから、新たに気がつくところもたくさん。

高校2年生の国語の教科書は夏目漱石の「こころ」だった。
1冊の本を1年かけて読み込むという授業。試験も「こころ」を持ち込んで答案を書くというもの。
たくさんの本を次々と読んではいたが、1冊の本にこれだけ時間をかけて向き合うのははじめてのことで。
思えば20年近く「古事記」と向き合っていることになる。
いつまでも発見のある面白い本だなあ。

今日は朝から久里浜のクリニックで毎年お願いしている花粉症対策の施術。
久しぶりの久里浜、なつかしい。
商店街の安い八百屋で野菜購入。
地元の野菜が井土ケ谷の半値なんだもん。

そして今まで訪れたことが無かった地元の神社3社をまわってみた。
まず最初に訪ねた八幡様。


養老4(720)年に地元の武人によって創建とある。
いつから「八幡」になったのか。。。
そして、左右に伏見稲荷と豊川稲荷が祀られている。


もうこれだけで妄想が膨らんじゃう♪
紅白の梅が満開でうぐいすのカップルが来て鳴いていた。


川を渡ったところの若宮もふむふむ、だったし。

そして裏にまとめられているこういう小さな「ほこら」たちに興味がある。
一つはかろうじて「**稲荷大明神」と読めた。

それぞれの神社に1959年生まれの人(自分)の今年は「八方ふさがり」とあった。
まあそういう年めぐりとは知っていたが、目の前に書かれているとなんか嫌だなあ。
もちろん全国の何百万という同じ年生まれの人が今年は「八方ふさがり」ということになる。
(だからうちの神社でお払いしましょうね、ということなのだろう)
ちなみにこの前の「八方ふさがり」の年を調べたら、新宿でばりばり舞台をやっている頃で、自分が俳優として大きな学びを得て成長した年だった。
何を持って「ふさがって」いるのか知らんが舞台人としてよければそれでよい♪
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現場の集中ってやっぱりいいな

2013-02-25 12:02:34 | 丹下一の泡盛日記
昨日は「お仕事」の撮影で都内へ。
地下鉄の駅を出るとぴゅーぴゅーと冷たい風が。
こんな風の中東京マラソンをしている人たちもいるのか。
こりゃあ大変だろう、と思いつつ現場へ。

長い台詞が二つある。
基本が状況説明で、かつ使えない単語を言い換えたりしているので、生理的に(自分とは)あわないところがある。
それを無理矢理に押し込んで「入れて」ある。
なので現場で変更があると、しかも「そうだよね。俺だった最初からこの単語抜いとくな」というのだったりすると(にもかかわらず)身体感覚が対応できなかったりする。
いくつかの変更のなかで、語尾の「~さん」の「さん」を無くして呼び捨てに、がなぜか詰まったりする。
情けない。が、よくあることでもある。
などという言い訳は時間いくらで借りているロケ先では、もちろん口にできないし考えているだけで時間の無駄だ。
新しい流れをその場で身体に入れないといけない。
それでも事前にそれなりに叩き込んであったので、先方が用意したプロンプタは一切使わずにやりきった。

無事終了後、メイクを落とした目の回りが黒ずんでいる。
やっぱり現場の集中っていいなあ。
アートとは関係ないけど達成感がある。
役者ってほんと馬鹿な生き物だ♪

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テレビでみる芝居はきつい

2013-02-23 22:54:57 | 丹下一の泡盛日記
エストニアのドキュメンタリーを観た。
バルト3国の一番北で旧ソ連邦に属していた国。
海を隔ててフィンランドと向かい合っている。
ポーランドと縁の深いリトアニア同様、欧州でぜひ行ってみたい国の一つだ。
1990年だったか、壁が崩壊する直前初めてのロックフェスティバルが開かれた。
日本のテレビで紹介されたのを観た。
エストニアの歌手が最後に歌った「God save Estonia/神よ、エストニアをお守り下さい」という歌声が今も耳の底に残っている。
忘れられない叫び。
それをひたすら繰り返し、野外を埋め尽くした観客が唱和していった。
未来が見えない、という季節が本当にあるのだと知った。
その直後、本当にソ連邦は崩壊してしまいエストニアは独立を取り戻した。

実は、大事な友人が留学生と出会い嫁に行ってしまった国でもある。
どうしていることやら。。。
今やIT立国で有名(小学校の宿題もダウンロードして提出するそうな)だが、まだまだ伝統的な習慣を残している地域があり、そのドキュメンタリー。
クリスマスやお葬式などの行事が興味深い。
また首都のタリンはかつて交易の中心だった町で古うレストランなど行ってみたいところばかりだ。
それを観たおかげか、パンとジャガイモが食べたくなった。


これをぱくつきながらテレビ放映された日本の芝居を見る。
ううむ。
大好きな女優で、芝居もいい。
劇場で観ていたらきっと集中していたんだろうけど。
どうもテレビでは限界がある。
やはり、演劇はその場に立ち会わなければならない。
一応、自分の勉強のためなので休み休み観る。
こうなるのでこの頃はドキュメンタリーばかり観ているのだ。
逆に言えばテレビでみてもこれだけのエネルギーを感じるこの女優はやっぱりいいなあ。

「天女神楽」の台本は勝手に進んでいる。
多分、この通りに上演することは無いだろうけど、本当は稽古くらいはしてみたい。
近くにいる人だけでもお願いしてみようかな。。。。

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料理の写真ばかりなんです

2013-02-23 13:09:25 | 丹下一の泡盛日記
昨日、重たい気持ちをひきずったままの朝ご飯は、そば米にした、


聖ちゃんのお通夜でたくさんの「久しぶり」の方たちにお会いしたが、何人かの先輩から「お前のブログとフェイスブックは食い物ばっかりだ」とご指摘が♪
そして皆様一度は新宿の拙宅にお招きしたことがある方たちで(^o^)
お昼ご飯はカレー。
冷凍してあった豆のカレーを解凍したらスープを吸って膨らんでいた。


晩ご飯は、残りご飯と冷蔵庫の残り物のシャケで鮭炒飯。

昔のように大物やお肉ものはつくらなくなったけど、いつかまたお招きできたら嬉しい。

こんなものを食べながら洗濯や片付けをしつつ、台詞を入れる。
小さな仕事でも全力投球。本気で入れて、そして様々なパターンを試してみる。
今まで、どこかいい加減だった、と反省。
喉が弱っている。
しばらく長い語りや台詞の舞台をやっていない。
その代わりに「古事記」の新しい面とたくさん出会っている。
台本作者+演出と俳優のバランスは難しい。

作家の方にまだ出版されていない原稿を送っていただいた。
こちらも印刷して読み込んでいる。
もちろん声に出して。
そのうちに何とはなしに手が動く。
なぜか「天女神楽」の台本を書き始めてしまった。
場面が次々に浮かんでくる。
昨年ご出演いただいたメンバーの皆様、もう台詞ありますから、どうぞよろしく♪

そのことばたちが、ちょっと違う方向へ行ったような気がして手を止める。
やたら野菜が食べたくなって夜中だったけど階下で買い出し。


左はマッシュルームのピエロギ。
なんかやたら美味い。
がつがつ食ってしまった。
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稽古と打ち合わせに集中、の後に

2013-02-22 13:49:57 | 丹下一の泡盛日記
昨日、のそのそと起きる。
固くなっている身体を風呂で「解凍」する。
ぽんちゃん(水木菜花)と稽古なのだ。
火葬場には行けないが、稽古があることを聖ちゃんも喜んでくれるはずだ。

二十四節季を大切にするぽんちゃんの自宅には毎年、おひな様が飾られる。


この中にもたくさんの大切なヒントが隠されているんだよな。


ウォーミングアップ代わりに様々な情報交換をしつつ、いくつかのプランを話す。
こういう時間が栄養をくれる。
稽古初回の前回はざっと全体を流してみた。
今日は前半をちょっとずつあたりを見ながら進める。
楽しい。
実に、楽しい。
Tama+ のもう一人のメンバー、あかるちゃんが一緒でないのが寂しい。
こういう時間を3人で共有できないのが残念だ。
稽古が終わって外を見たら雪がちらついていた。
写真ではわかりづらいと思うけど。


そう。
ぽんちゃんのフラットはとても高いところにあるのだ。

帰宅する途中で電話が鳴る。
戻って即座にパソ立ち上げてスカイプつなげて打ち合わせ。
そのまま一緒に企画書の文言を作り始める。
途中からは向こうはご飯ぱくつきながら。
こちらはお湯割り♪
気がついたら3時間以上が経過。
いい作業ができた。
こういうビジネスのことばから少し遠ざかっていた。
大学の授業の企画書や助成金の申請書のことばは、舞台人の自分からは遠かった。
もちろん「タコ壷」にこもる気はさらさらないので、色々と学んだつもりが、また遠くなっていた。

終日を集中しっぱなしですごし、夜中にスカイプを切った後の静けさ。
じんわりと押し寄せてくる喪失感。
と、そこに香港のVから「聖さんが。。」とチャットが入る。
彼女は昨年のアジアミーツアジアに参加し、聖ちゃんと一緒に舞台に立った。
聖ちゃんはエアチケットを買っていたけれど、体調を考えて東京公演だけで断念。日本に残った。
しばらくやり取りする。
「香港で一人、聖さんのことを思っているあたしにハグを送ってね」
「もちろん。僕にも」と終わる。
こういうことでどんなに救われるか。(お互いにね)



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八重樫聖さんのこと

2013-02-22 00:15:36 | 丹下一の泡盛日記
昨日、八重樫聖さんが亡くなった。
朝、携帯が鳴った時に出られなかった。
コールバックする前に、ちょっとこれすませて、と、また鳴った。
出られずに着信記録を見ると、普段の連絡は無いけれど兄弟のような演劇人二人から立て続けに、だった。
嫌な予感がしつつ留守電を聞いた。

闘病しながら舞台に立ち続けているのは知っていた。
このところ舞台を見ることが多くなっていて、知人の舞台で会うことも。
だからたくさん話をする機会があったのがせめてもの。

30年の付き合いで、一度だけだったけど相手役だったことがある。
しっかりと手を握りあったまま見つめあい動き続けている場面があった。
その後で、観に来てくれた舞台が気に入らなかった時、いたずらっぽく笑いながら「だって今日のは”あたしの丹下さん”じゃなかったもん」と言ってくれた。
まめに舞台を観に来てくれて、そして面倒見のいい人で。
だからお通夜の会場のプロトシアターは、ご親族の方たちが驚くほどのものすごい人、人、人。
アングラから「小劇場」への移行期に活躍した人たちがどっと詰めかけている。
もちろん舞台が終わった後の人、抜け出して来てこれから劇場に戻る人、新幹線で駆けつけた人、人、人、人。
みんな泣いた。
自分も古い友人のあることばで泣いた。
「なんでかわからん。なんでこんな話で泣くんだろう」と泣きながら言っていた。

かつて自分が心酔していた演出家とも、千賀企画での最後の舞台(2000年)の打ち上げ以来、再会。
そんな「再会」ばかり。
そして、みんなお互いの身体にどこかで触れ合っている。
手を握りあったり、肩に触ったり。自分もそうだった。
日本人だからだろう。
欧米だったらみんな苦しくてつらくて、ハグしあって動かなかったかもしれない。
終電を逃したけど、かまわない。
今話すべき人と話しておかないと、という気持ちで飲み、話し、飲み、話し。

聖ちゃんは山伏神楽の土地の出身だった。
30年近く前、岸田事務所+楽天団の打ち上げで飲んだ時に話した。
「へえ、あんなもん勉強している人がいるなんて、なんか不思議」。
ここ2年間のDA.Mでの舞台はからだのエッジが効いていて素敵だった。
病気のことなんか忘れてみていた。
小さな空間で大きなエネルギーを見せてくれた人。
昨夜、あの場にいた全員がいつまでも彼女のことは忘れないだろう。

終電は逃したけど、なぜか上大岡までは到達。
ぱしっと冷えきった中を歩いて帰宅。
あまりに寒くて塩だけして布団にもぐり込む。
こんな夜に一人でいるなんて、なんの修行だろう。
そして、聖ちゃんの「孤独」を思う。

今日は午前中に仕事、午後はぽんこと水木菜花と稽古。
帰宅してそのままスカイプ立ち上げて午前中の仕事の続き。
4時間近くスカイプで話しながら、メールで原稿のやりとり。
ほんと便利な時代になったもんだ。
まだまだやんなきゃねえ♪
聖ちゃんのことは一生忘れないからね!
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新しい出会いに興奮

2013-02-21 12:48:55 | 丹下一の泡盛日記
広州の「家族」の一人、Jからメールが来て、Dが日本に行くから会ってみない? と。
Dはニューヨークで劇団をやっている俳優、演出家で広州で演劇ワークショップをやり、Jと出会ったそいうな。
すごくいい人だよ、と。
もちろんwelcome!!! と返信してあった。
Dはその後、台湾を経て京都、そして東京に。
昨日午後、会った。

近頃はもうフェイスブックで事前にお互いの仕事をチェックしあってるもんだから話がはやい。
なぜ「古事記」をベースにした作品を創り続けているのか,という話や日本人が民俗のアイデンティティを離れようとしていることに対する危機感。
歌舞伎にある「実は」の構造から日本の神々の話へと、こういう出会いは実に楽しい。
彼は一人芝居を用意していて、どこかで上演できないか、というのが最初の話だった。
サイトを見ても「お芝居」だったのだけど、話していくうちにロンドンのシュタイナー学校で教員のトレーニングを受けているくらいなので、即興でセッションした体験の話に。
移動演劇までやっているじゃないの。
なんだ。そんならこんなのどう、とご提案。
彼もすっかりマジな顔になり、そんならこんなプランはどうだ。
こりゃあいずれ二人で何かやるしかないね! と盛り上がって終了。

ちなみに自分が申請書を出した企画を彼は知っていた。
「あれ、それ聞いたことあるような。先週締め切りじゃなかった?」
彼の海外の友人も申し込んだのだそうだ。
お互い採用されて現場で会えたらすごいな♪

自分は資金も劇場もコネクションもないのだけど、こうやって「日本に行ったら彼に会え」と言ってもらえることが嬉しい。
彼の拠点はニューヨークで自宅はその郊外だという。
「モントリオールからなら列車で5時間だよ」。
聞きそびれたが、モントリオール「まで」列車で5時間のところにいて、そこへ帰る親友を見送ったことがある。
もしかしてあの町か!?
だったらなんかすごいご縁だな。


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お仕事は「ダフニスとクロエ」と共に

2013-02-19 19:22:56 | 丹下一の泡盛日記
日曜日、イーウーマンで講演者養成講座。
「表現力を高めるコミュニケーション」というお題で4時間のコースを担当させてもらって、もう何年だろう。
それこそ数百人の受講生と出会ってきたわけで。
そして不思議なことに、その「期」、グループごとになにかしら「色」のようなものがあり、同じ色のグループが2度とないのも不思議だ。
今期も「珍しい」色で楽しく終了。

その後、新宿でプレイバッカーズで宴会。おいしいご飯とはしご酒~~♪
自分がメンバーに会うのは本当に久しぶりなのだ。
自分のなじみの店をはしごでご案内。
ま、10年に一回くらいはいいだろう、こんな夜があっても。

昨日、月曜日はそのメンバーたちと中野の小学校へ。
ここは91年から2年ほど住んだアパートのすぐ近く。
目の前の区民センターの2階は迦樓羅舎の稽古場だった。
中野駅からの行きも東中野駅への帰りも懐かしい道。
氷雨っぽいのに東中野の土手の菜の花がほころび始めていて驚く。
2月もそろそろ終いなんだよな、と気がつく。
帰宅してお仕事。

今朝、ちゃんと起きてクイーン聴きながら活動開始。
昼からは都内の劇場でスタッフの仕事。
子どもの頃たくさん持っていた山のガイドブックの会社のイベント。
かつての山愛好家たちは海外のトレッキングに精を出しているのだった。
フォルクローレバンドもやってきた。
生で聴いたフォルクローレは素敵だった。
南アメリカ、行きたいなあ。なんて単純なんだろう。。。

気がついたら普通にお仕事の日々だが、ジャケットのポケットには本が入っている。
電車の中などで先日出会った方のブログを読み直しつつ、気になるところが出てくると原本で検証。
視点が変わると、20年以上つき合っているこの本が全く違って読み込めるから不思議。
だから古典は面白い。
この頃自宅でパソに向かうときはベルリンフィルの「ダフニスとクロエ」ばかり聴いている。
これ聴きながら日本の古典に向かい合うのもいいもんだ♪

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