泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

くじゅう連山の思い出

2014-06-30 07:34:50 | 丹下一の泡盛日記
今日から東北・石巻へプレイバッカーズのかよさん(宗像佳代)とくみちゃん(佐藤久美子)のお供で。
ミュージシャン担当なのでスーツケース1個は楽器で埋まっている。
2泊するので結局スーツケース2個ひきずって行きます。

目覚ましよりも1時間早く目覚める。
いつも通りにお弁当つくる。
高校生の頃にこんなだったらよかったのに。。。
朝ご飯食べながらテレビで録画しておいた「くじゅうさん」をみる。
高校1年生の春休み、16歳のときに一人ででかい荷物をかついであえぎながら凍った山道を歩いた。
山小屋で一泊した翌朝、雪と氷に覆われた三俣山山頂には誰もいなかった。
そこからたどり着いた久住山から南へ下りようとしたのだけど、どうしても道がわからずに、別方向と知りながら谷沿いに下る道をとった。
テレビでその谷の映像がちらりと映り、一気にあの時の気持ちが蘇った。
けっこう急な斜面を用心しながら下り、予定とは違う道だったので地図できちんと確認しながら歩いた。
火山らしい大胆な削られ方をした別世界のような景色の中。
誰とも会わなかった。
あの日、あの道を歩いたのはもしかしたら自分だけだったかもしれない。
小さな冒険に孤独とわくわく感が同居していた。
ようやくバス道に出て、予定した最終バスには間に合わないだろう野宿かな、と思っているところになんとタクシーがふらっと現れた。
思わず手をあげてしまったのは、もしかすると人恋しかったからかもしれない。
おかげで予定通りに町まで出ることができたのだけど、貧乏旅の予算を大きくオーバーしたスタートになった。
そして、そこから、阿蘇、霧島と超えて鹿児島の開聞岳まで行ったのだった。
初めての長い山旅。
今もあの「旅」は続いているような気がする。

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イーウーマン「講演者養成講座」最終スピーチの日

2014-06-29 21:21:22 | 丹下一の泡盛日記

3日続けてがっちり飲んじまったので朝ご飯は中華粥。
干蝦、干貝柱、ショウガ、ネギにザーサイがいい出しを。
ごま油たらしてキムチと辣腐乳、塩揉みした大根葉。
こういう朝定食出してくれる店を国内では寡聞にして知らない。
近くにあったら嬉しいなあ。

今日はイーウーマン講演者養成講座の卒業スピーチ。
代表の佐々木かをりさんがオバマ大統領と懇談する5人の日本女性の一人に選ばれて渡米していた。
帰国便の予定がずれて時間変更。
早めに向かったのに自分の日頃の行いが悪かったせいか、人身事故や突然の豪雨で20分以上駅から動けずちょっと遅刻。
3ヶ月の苦しい季節をくぐり抜けた受講生たちが「別人」になっている。
みんな素敵なエネルギーで、これに立ち会う時間が本当に幸せだ。
終了後のパーティー、今回は少人数だったので、みんなで輪になってじっくりとそれぞれの話を聴く。
終盤、成田空港から直行した佐々木さんの話が面白くて多いに盛り上がった。
今回みたミュージカル「キンキーブーツ」の出演者のおっさん姿と足の美しさのギャップにまいった、などという話から、
本来の訪問の日程のあれこれなど。
(これはきっと彼女がネット上などで色々と語ってくれるに違いない)
もちろん一緒に渡米した韓国からの5人の女性たちとの話も楽しく聞いた。

それにしても自分も以前から書いていることなのだけど、コロンビア大学など米の主要大学に日本人の留学生が数えるほどしかいないのが残念だ。
韓国の留学生たちは人口5千万人の小さな祖国の限界を理解している。
だから世界に出て、大学でたくさんの体験をし友人をつくる。
若い頃から体験した世界の広がりと地球レベルの友人たち。
もちろん韓国だって訳のわかんないことはたくさんあるんだけど。
「金目」などと日本語もまともに使えないような人材が大臣になる日本とは20年後に大きな差が出てくるだろう。
こういうギャップは「炭坑のカナリヤ」である(べき)自分が1990年に初めて訪韓した後に、飲み屋などでわあわあと訴えたのだけど、それこそ一笑にふされたのだった。
こういう話題を「演劇村」でも共有したいなあ。
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シアターχで「古事記」をみる

2014-06-29 14:30:01 | 丹下一の泡盛日記



ゲストが来たのでランチを。
キャベツトースト。マッシュルームのオムレツのチリソース。
なんか気合い入りすぎてしまった(^o^;;;
冷蔵庫を開けてその場にあったもので、こういうランチを作って出すのは楽しい。
小学校の図工の時間と全く同じ気分。
商売間違えたかなあ。。。。

午後はシアターχで笠井賢一さん演出の「古事記」をみる。
すずしろの坪井美香ちゃんや戸室加寿子さんもご一緒に。
「水のをとめ」の平辰彦さんや茂木くんにもお会いした。
「古事記」、笠井さんはよくまとめたなあ。
チームはシアターχの「能塾」なのでプロと素人の混成。
「死者の書」でご一緒した宇佐美雅司くんがぐいぐいと場を引っ張っていく。
楽師の二人(橘政愛さんと設楽瞬山さん)も別格の水準のおと♪

ただ、終演後のアフタートークで「古事記」に関しては観客の認識はまだまだこんなものなんだ、とちょっと驚いた。
1300年前に成立した「作り話」。
もちろんそのストーリーは、その背景を伝えるための「作り話」だ。
その大きな世界観よりも自分の背丈に近づけたところから始めるしかないのだろうか。

今朝、トラキア発掘のドキュメンタリーを見た。
ブルガリアのあたりに4500年ほど前に栄華を誇った帝国。
ケルト人にも学びを与えたという彼らの聖地は水と岩がポイント。
そこには正七角形の紋章が残されている。
後にアラブ人が来てその岩の上に聖堂を建てたのだけど、なぜか岩の一部だけは露出させていて、
今でもその上に寝るとエネルギーがもらえると言われているそうな。
またトラキアの王の墳墓の壁画には、王よりも豪華な椅子に座る王妃/女性の姿が描かれている。
自分が追いかけている水の神話と絡んでいるような気がする。
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平らな海をみた

2014-06-29 00:27:58 | 丹下一の泡盛日記
昨日は、夕方から三浦半島某所で晩ご飯。
旧知の店で本当に美味しい。
お酒も入って幸せ♪
話題は例の都議会の「セクハラ」発言に。
複数の発言があったはずなのに、一人だけ名乗り出て。
まるで因果を含めての人身御供。
そして、世の中はあっという間にこの話題から遠ざかっていく。
どうしてこんなに忘れやすいんだろう、日本人!?
その他の発言者はこれで逃げ切っちゃうのだろうか?
海外のメディアでの「これが英国だったら政党が崩壊」とか、
そもそも女性の政治への参加度合いがアフリカ諸国並み(アフリカの方ごめんなさい)、
という外国メディアの報道はどれくらい国内の届いているんだろう。
ほんと、景気悪いから戦争でもするか、てのやめていただきたい。


湾だからかなあ。
こんなに波のない海は初めて見た。
自分の家の周囲にも木が植えてあったりする。
なんかかわいそうな気がしていた。
鉢植えは、自然とはちと違う。
この渚にいて海や周囲の山を感じると、都会の造られた仕込まれた緑とのエネルギーの違いがよくわかる。
植えられた樹がかわいそうになる。
こういう「場」を必要とするのは人間として自然なことなんだろうけど、
では、なぜ自分は都会の劇場で舞台を創るのだろうねえ?
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30年後の「桜の森の満開の下」

2014-06-27 01:06:04 | 丹下一の泡盛日記
今夜は、駒場アゴラ劇場に千賀ゆう子企画の「桜の森の満開の下」を見に行く。
故岸田理生さんを祈念してのリオフェス。
千賀さんとは1979年の夏に薄井幸雄さんのプロデュース、渡辺守章さん演出の舞台で出会った。
1983年10月に迦樓羅舎の最初の公演としてこの「桜の森の満開の下」を中野で上演した。
理生さんにも何の謝礼もできないひどい制作者だったわし。。。
もちろん千賀さんのギャラもなかった。
ただし、赤字はすべて自分が背負った。
その年の12月にも都内で上演し、翌1984年には仙台で公演した。
この時から演出が笠井賢一さんになり、楽師で橘政愛さんが参加。
山伏神楽が大好きな自分にとって東北は特別で、どうしてもやってみたかった。
もちろん大赤字で楽師の橘さんにも大変なご迷惑をかけた。
そして、演出の笠井さんも含めてみんな若かった。
その後、ありがたいことにあちらこちらで上演する機会に恵まれた。
1999年には、迦樓羅舎の公演としてポーランドとルーマニアにもでかけた。
2000年のストライプハウス美術館での公演を最後に自分はチームから離れた。
そして、1984年の仙台公演から30年が経った。
客席には懐かしい顔がたくさん。
会えてよかった。
自分がやった役を旧知の渡部ギュウさんが演じている。
マイナスワンで舞台を見ることができるなんて不思議な体験。
あまりに冷静に見てしまう自分がちょっと面白かった。
ギュウにはただただ感謝だなあ。
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「大本営発表」のはじまりか?

2014-06-25 23:11:41 | 丹下一の泡盛日記

帰宅途中にスーパーに寄ったら、売れ残ったマイワシ3匹を150円で叩き売り。
特に必要なかったのだけど、昨日秀さんに教わったイワシの刺身を試したくて購入。
もちろん刺身では無理な鮮度なので叩きにした。
2匹が叩きで1匹がつみれになったのだけど、なんと火を通したつみれよりも叩きの方が旨かった。
これからは生きのいいイワシ見たら即買いしそうでヤバい♪

秀さんからはアイヌの話をたくさん聞いた。
神話や民話、そして松前藩、江戸幕府、そして明治政府による侵略の歴史。
そして、「旧土人保護法」というふざけた名前の法律の話も。
同化政策は功を奏していて、江戸時代の末には「アイヌをやめて」倭人風の名前を名乗るものが出て来たのだという。

日本は様々なルーツを持つ人々が共存すべき多民族国家であると思っている。
徐福の一族や百済、新羅、そして高句麗からの移民がこの国の元をつくった。
加えて北海道や北方四島、国後のアイヌ、琉球王国の人々。
だからもちろん、複数の言語を有する国であることも認識している。
ユネスコによると世界には現在約8000の言語があり、その半数は消滅の危機にあるのだという。
その地図には「極めて深刻」としてアイヌ語があり、その他に消滅の危機にある日本の言語として八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語の計8言語があげられ、現在の日本では通常「方言」として扱われているこれらのことばも、国際的な標準から見て「独立した言語」として表記されている。
戦前の日本政府はアイヌの「同化」があまりにも成功したので朝鮮半島や台湾でもそのまま通用すると思ったのだろうか。

大分以前の話だが、ある白人が帰化しようとして役所に行った。
西欧の名前を漢字表記にして提出したら窓口で拒否。
担当の役人が「この名前は日本人と思われないから」と言ったそうな。
これには二つの疑問がある。
自分がアメリカ合衆国で国籍を取得しようとするときには多分、自分の名前を英語表記するだけですむ。
もちろん英語で表記された名前には違和感がある。
(自分の名前は漢字表記が基本だと思っている)
欧州風の名前に改名することはないだろう。
そして、「何が日本風であるか」を窓口の担当者個人の判断で決めらることに抵抗がある。
彼個人が「日本政府」なのか? そうなのだろう。
以前、自分の身内の「きょうこ」ちゃんがパスポートの英語表記を「KYOHKO」とHを入れるように指導されたことがあった。
中学生だったきょうこちゃんは、泣きながら抗議したけど「認められない」と言われたそうだ。
担当者を捜し出そうかと思った、まじで(怒)
全国の「きょうこ」さん、H入れないと思いっきり説教されますよ、神奈川県横浜市では!
もちろん「違反だ」と口頭で強く指導(命令)されます。
(何の違反なんだ!?)
そして、彼の担当以外はもちろんKYOKOで問題ないのだった。
他の担当者への「指導」が行き渡ってないのだろうな、この国は。
(詳細は省くが、おかげで自分は何万円も払うことになった。金返せ~~~!)

自分なんか「一(いち)」と書いて「まこと」と読みます、といつも説明している。
外見があきらかに「日本人」ではなかったり、国籍が日本以外だったら、
この担当者には「そんな読み方は日本語にはありません」と説教されるに違いない。
この担当者の男や、帰化しようとする人の名前が日本的かどうかを判断している人は、
今の子どもたちの名前をチェックしてみてほしい。
そして、誇りを持って「日本人の名前ではないので拒否」していただきたい。

話は飛ぶが、Wカップが始まる前に「一番勝てる可能性がある」と報道されていたギリシャが初戦リーグを突破している。
日本は結局一勝もできなかった。
随分と話が違うじゃねーか!?
これってまさか「大本営発表」の始まりじゃないだろうなあ。。。。







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2冊目の「ノスタルギガンテス」

2014-06-25 17:02:03 | 丹下一の泡盛日記

朝ご飯。
大工仕事のおかげで身体が心地よく疲れている。
なんだかんだと動かし続けることにならしていかないといかん。


寮美千子さんの「ノスタルギガンテス」が届いた。
2冊目。
昨年の10月にヒグマ春夫さんのインスタレーションとのコラボ企画でソロパフォーマンスをやり、今年の1月に「ハムレット」の台詞と組み合わせてやってみた。
今秋、10月にキッド・アイラック・アートホールでProjectR のvol.3として上演する。
その他にも奈良での「少年少女」でも使ったりして過去の書き込みがたくさん。
コピーなんかも挟んであって、ほとんど小道具と化した初代はお休みいただくことにした。
今回は、ゲストを3人お招きする。
初めてご一緒する女優と20年ぶりに共演させていただくあのお方♪
ミュージシャンは交渉中なんだけど、ご多忙な方をぜひと思っている。
可能性は10%くらいなんだけど、とにかく手紙を出してみた。
固まったら早速にお知らせ致します。

今夜は、そのヒグマさんのビデオインスタレーションとパフォーマンスのコラボレーションに出かける。
週末まで連日誰かの舞台に立ち会う日々が続く。
来週は、プレイバッカーズのメンバーと久しぶりの東北へ。
部屋も鞄の中も本だらけ。
ああ、どうして読むのにこんなに時間がかかるようになっちまったのか。。。。
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大工仕事は楽しい♪

2014-06-24 19:12:58 | 丹下一の泡盛日記
前夜仕込んだアンチョビとトマトのソースを抱えてバスに乗る。
アイヌの木彫家・秀さんのお手伝い。
大工仕事は楽しい♪


地組は出来上がっていて。
昼前から取りかかったのだが、現場合わせもたくさん(^o^;;;
それでも以前、舞台装置はこんな「叩き仕事」で組み上げていった。
この頃は釘を使うことは無くなり、ねじ釘ばかりなのはどこも同じ。
お昼は持参したトマトソースでペンネを和えた。



午後もしっかり作業。
秀さんちの猫・コロたんが戻って来ていた。
なんかモテているらしい♪


日暮れとともに作業終了。
晩ご飯は秀さんの漁師料理。
いわしの刺身が旨い!
貝を茹でてポテトサラダに載せるのは初めて見た。
どれも美味しい!
もちろん深夜まで延々とアイヌ話を聴く。


8時には起きたのだけど、さすがに目がしょぼしょぼ。
空は晴れてる。大工日和だぜ!
赤塚不二夫との出会いが秀さんに大きな変化をもたらした。
そんな話をたくさん聞く。
そして、琉球の人たちは曲がりなりにも「生き残って」いるのに、アイヌの場合は?
と思う。


若い頃の秀さん。
一緒に作業して飲むうちにイメージが沸いてくる。
来年には形にしたいと思ってます♪
まだまだ勉強せんとね!
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神話という「作り話」に見る「実は」の思想

2014-06-23 07:35:47 | 丹下一の泡盛日記
先日、シアターχでのシンポジウムは「つくり話」が本来のテーマであった。
「神話という作り話」という自分にとって実に身近なテーマだったのだけど、その本題に入る前に時間が来てしまったようで残念だった。
四方田犬彦さんの、カントルは「芝居/演劇」ということばを拒否していたという指摘がその本質に近づいた瞬間だったかもしれない。
そして、観客から「カントルの(芝居の)テーマは鎮魂だったのか?」という的外れな質問が出て、時間が逆行した。
カントルは自分自身を「作品」にした。
彼は自分自身を「鎮魂する」存在とすることによって、内に詰まっている「歴史」を鎮魂しようとしていた。
四方田さんが話してくれたように、彼が生まれたのは第一次世界大戦が始まった年であり、それに続くナチスの進攻とユダヤ人の虐殺。
ソ連軍の侵攻と共産主義の支配の(それは反ユダヤでもあった)歴史の中で生き続けた(生き残った)ユダヤ人表現者の周囲は常に「死」に満ちていた。
彼の相手は巨大でゴールも回答も見えないのだけど、向かいざるを得なかった。
カントルという存在が、大きな「作り話」だったのかもしれない。
「作り話」は「虚構」ではない。
切り取られた一つの地平に立つことによって成り立つ「意思」だ。

その文脈でシンポジウムに最初に登場した平辰彦さんはシェイクスピアを語らなければならなかったのだけど、その前に能の話を出したのはいいチャンスだった。
歌舞伎には「実は」の仕掛けがある。
いわゆる町の乱暴者が実は高貴な誰それの息子で敵を捜していた。
「***、実はなんちゃら五郎だあ! 父の仇、覚悟しろい!」などと名乗りをあげる。
物語は前半の謎が解けるとともに新たな局面が展開される。
能でも、前半に旅の僧が出会った女が、後半で「実は」だれそれの亡霊で、自身の物語を聞かせて菩提を弔ってほしいと頼む、という複式無限能の構図が多い。
そして、日本に仏教がやって来てから元々あった「神道」と混ざりあい神仏混淆が進む中「本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)」なるものが生まれた。
これは日本の古来の神様は実は仏の化身であった、というもので、天照大神は「実は」大日如来の化身であった、という、実に都合のいい、というか必死につじつまを合わせた説で。
これは逆から見るべきだ。
大日如来、「実は」天照大神だった、と。
本地垂迹説は突然登場したのではない。
元々この発想/仕掛けは古来からあった。
「古事記」に登場する大国主が多くのキャラクターを統合したものであることは知られている。
アシハラノシコヲが大国主なのではなく、ある話では大国主「実は」アシハラノシコヲ。
「古事記」に登場する神々には、その文脈で読み解かれなければならない神がいくつも存在していることを忘れてはならない。
そこに、例えば長部日出雄が「古事記は小説である」と説く理由がある。
そして、そこには明らかに誰かの「意思」が存在したのだ。
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イワシがうまい!

2014-06-22 22:09:39 | 丹下一の泡盛日記
この頃、イワシや鯵など魚を食べることが多い。
どれも好きなんだけど特にイワシのつみれが美味い。
さばくのも簡単で骨が柔らかいから包丁で叩いちまうと気にならない。
大分以前につみれ汁をつくったら生臭くて食べられなかったが、本を読んだらよほど新鮮なものでない限り団子を茹でた汁は捨てて別に仕立てたスープに入れるべし、とのこと。
なんだそうだったのか。。。


昨夜ペンネ用にアラビアータのソースを仕込み、ズッキーニと茄子を加えておいた。
朝、お弁当用にペンネをあえて、ちょっと味見したら止まらなくなってしまった。
お弁当も完食。
そして、晩ご飯も具と唐辛子も加えて。
これにスーパーで4匹298円のイワシをさばいて叩いて団子にして、一度油で炒めたものを加えた。
油は拭き取って捨てた。
今日は3食これだけど、身体喜ぶ、幸せ♪
アサリも167円と安かったので、カリフラワーと一緒に土鍋で炊き込んでリゾットに。
ソースはちゃんと残してある。
明日はこのソースを抱えて東京湾渡るんだもんね。
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