生きくらげ、美味しい!
ビートルズ来日50周年だとかで特集番組がいくつも流れている。
やはりついつい観てしまう。
ジョン・レノンの「イマジン」の歌詞の深さを思う。
ベトナム戦争の末期のある日、母親が新聞を見て声をあげた。
「どうしたの?」と小学生だった自分が聞くと「ベトナム戦争が終わるかもしれない」と真剣に記事を読んでいた。
そんな時代にシカゴは「殺したくない。死にたくない」と歌っていた。
ジョンデンバーは「カントリーロード」を歌ったが、その自分の街に向かうその道を歩いているのはベトナム帰還兵だとみんな知っていた。
数年前、ライブハウスで歌っていた若い子が「そんな直接的に歌うのは古い。メッセージは秘めた方が」と言っていた。
どこのライブハウスのおっさんがそんなことを吹き込んだんだろう。
それは「メッセージを隠さないと売れない」からか。
それとも人間の「想像力」を信じているからか。
だとすれば、現在ではそれは「過信」だろう。
プリンスの「ラズベリーベレー」のPVで歌い出す前に「こほんこほん」と咳をする。
その腹の座ったしゃれっけ、の領域は遠い。
日本ではそうやって「隠し」ているうちに「見て見ぬ振り」をするようになり、本気で避けるようになったのだろうか。
ロックは「うた」で「訴える」ものだと信じている。
ロックの振りをしたポップス歌手(ポップスはポップスで嫌いではない)を「アーティスト」と呼ぶのも悲しくなるが、ポップス歌手が参加するロックフェスティバルがあってもいい。
ただしあくまでも本道は「ロック」であるべきだ。
俳優をはじめ「演劇人は政治に首を突っ込むな」という声を聞いたことがある。
お座敷の芸者のような技芸者、猿楽をはじめとする芸能者は権力者に支えられているものだという認識だろうか。
たしかに「芸人」は政治と距離を置くべきだという声には、うなづける部分もある。
そして、明治維新を陰で支えた技芸の女性たちのことを思う。