泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

神話という「作り話」に見る「実は」の思想

2014-06-23 07:35:47 | 丹下一の泡盛日記
先日、シアターχでのシンポジウムは「つくり話」が本来のテーマであった。
「神話という作り話」という自分にとって実に身近なテーマだったのだけど、その本題に入る前に時間が来てしまったようで残念だった。
四方田犬彦さんの、カントルは「芝居/演劇」ということばを拒否していたという指摘がその本質に近づいた瞬間だったかもしれない。
そして、観客から「カントルの(芝居の)テーマは鎮魂だったのか?」という的外れな質問が出て、時間が逆行した。
カントルは自分自身を「作品」にした。
彼は自分自身を「鎮魂する」存在とすることによって、内に詰まっている「歴史」を鎮魂しようとしていた。
四方田さんが話してくれたように、彼が生まれたのは第一次世界大戦が始まった年であり、それに続くナチスの進攻とユダヤ人の虐殺。
ソ連軍の侵攻と共産主義の支配の(それは反ユダヤでもあった)歴史の中で生き続けた(生き残った)ユダヤ人表現者の周囲は常に「死」に満ちていた。
彼の相手は巨大でゴールも回答も見えないのだけど、向かいざるを得なかった。
カントルという存在が、大きな「作り話」だったのかもしれない。
「作り話」は「虚構」ではない。
切り取られた一つの地平に立つことによって成り立つ「意思」だ。

その文脈でシンポジウムに最初に登場した平辰彦さんはシェイクスピアを語らなければならなかったのだけど、その前に能の話を出したのはいいチャンスだった。
歌舞伎には「実は」の仕掛けがある。
いわゆる町の乱暴者が実は高貴な誰それの息子で敵を捜していた。
「***、実はなんちゃら五郎だあ! 父の仇、覚悟しろい!」などと名乗りをあげる。
物語は前半の謎が解けるとともに新たな局面が展開される。
能でも、前半に旅の僧が出会った女が、後半で「実は」だれそれの亡霊で、自身の物語を聞かせて菩提を弔ってほしいと頼む、という複式無限能の構図が多い。
そして、日本に仏教がやって来てから元々あった「神道」と混ざりあい神仏混淆が進む中「本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)」なるものが生まれた。
これは日本の古来の神様は実は仏の化身であった、というもので、天照大神は「実は」大日如来の化身であった、という、実に都合のいい、というか必死につじつまを合わせた説で。
これは逆から見るべきだ。
大日如来、「実は」天照大神だった、と。
本地垂迹説は突然登場したのではない。
元々この発想/仕掛けは古来からあった。
「古事記」に登場する大国主が多くのキャラクターを統合したものであることは知られている。
アシハラノシコヲが大国主なのではなく、ある話では大国主「実は」アシハラノシコヲ。
「古事記」に登場する神々には、その文脈で読み解かれなければならない神がいくつも存在していることを忘れてはならない。
そこに、例えば長部日出雄が「古事記は小説である」と説く理由がある。
そして、そこには明らかに誰かの「意思」が存在したのだ。
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