泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

劇的空間としての神社

2013-02-11 13:37:49 | 丹下一の泡盛日記
このところ機会があると各地の神社を訪問している。
気がつけば「古事記」を元に台本を書くようになって10年。それなりにテーマがあって訪れているのだが通りすがりに「カン」がはたらいて、呼ばれるように立ち寄り「おお!」というものに出会うこともある。
例えば瀬戸内海の小さな島の八幡宮。なんだか呼ばれたような気がして車を止めて立ち寄った。何気なく本殿の戸を開けてみたら、こんなものが天井からたくさん吊るされていた。


それほど信仰が深いわけではない。まあ普通に手を合わせて二礼二拍手(または四拍手)一礼、くらいはする。
人々の祈りがその場にどれくらい降り積もっているのかを感じることがテーマの一つ。
これはバリ島のウブドに2回滞在して、より深く考えるようになった。
そして、そのための空間構成=劇的空間としての演出/たくらみを体験することだ。

大きな神社には大抵、神楽殿が併設されている。
その場所がそれぞれで面白い。
早池峰神楽が演じられる神楽殿は、神域にはあるが本殿・拝殿を囲む塀の外に設置されていて、この神楽の性格と位置を表している。
鎌倉の鶴岡八幡宮の神楽殿は本殿/拝殿の正面だが、階段の下、見下ろされる位置にある。
京都の八坂神社の神楽殿は拝殿目の前の正面に。
そして、今回訪れた宗像大社には神楽殿が無い。
無いというと語弊がある。
神社本殿/拝殿の中に取り込まれているのだ。


船で渡った大島の中津宮もこれに準じている。ちなみに拝殿の脇には土俵があった。


ちなみに、Tama+ のあかるちゃんはここで舞を正式奉納したことがある。
この構造は、韓国の海印寺の本堂でみた仏像を取り囲むように描かれた楽人と舞人たちの天井画を思いだす。
専門家ではないので断定的なことは言えないが「道教と仏教が交じった」と解説にあったこの空間は、自分には修験道を思いださせるに充分だった。
音楽や舞は神に直結する道でもある。
ある大先輩の舞踊家は「舞台は神にむかって演じる場所」と話してくれた。「まず神に向かって演じなさい。観客はその行為に立ち会うもの」と。

そして、今回衝撃的だったのは、宗像大社の「奥宮」である高宮だ。


社は無い。
ただ石で囲まれた空間があるだけ。
なんというエネルギーに満ちた空間だろう。
そして、人間に対してなんらかの「行動」を促している「何も無い空間」。
もちろん沖縄の「ウタキ」を思いださずにはいられない。
劇場空間というよりも劇的な「場」が仕組まれている。
自分にとって理想の空間の一つをみた。
その場から目が、身体が離せなくて、気がついたら写真は1枚しか撮っていなかった。
秋にはここで巫女舞が奉納されるという。なんとか立ち会いたいものだ。
コメント
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