泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

横須賀で和太鼓ライブ

2007-08-26 00:47:35 | 丹下一の泡盛日記
 今日は、朝から腹具合がどうもおかしく元気なし。足裏を冷やしたのが原因か?

 昼間は、雑用ですぎる。午後、ちょっと昼寝。夕方、シャワーを浴びて出陣。かみさんが以前から見たがっていた横須賀のライブハウスで和太鼓チームの公演。
 和太鼓の方のプロデュースだが、太鼓、津軽三味線、琴が各2名のユニット。中東6カ国を巡っての凱旋公演。

 なかなか興奮した。太鼓っていいな。血が燃える。そして和楽器もいいな。
 20年位前に、和楽器を使ってユーミンの曲なんかやると「邪道だ」とか「本質を忘れた」などと安易に非難されていたが、このユニットの音は深い。嬉しかった。中東でも喜ばれたに違いない。

 矢吹紫帆さんが以前京都であるコンサートで伝統音楽の笛の集団と一緒にステージ。リハを終えて本番。笛の集団は、いきなり半音上げて吹き出したとか。ようするに若いシンセサイザー奏者をいじめたのだ。
 終演後、「半音上がってましたよね?」と言っても「そうでしたかあ?」ととぼけたそうだ。

 こういう日本の「伝統」を受け継ぐと称している人たちの態度に強い怒りを覚える。まず、「一緒に舞台を共にする」ことをどう思っているのだろうか。そして、観客をどう思っているのだろうか?
 もし、意地悪された奏者がトチ狂い、全体の出来がひどいものになっても「自分たちはちゃんとやったもん」で済ますのだろうか。
 そんな「伝統」を受け継ぐ者たちの舞台表現など、とっとと滅びてしまえばよい。

 以前、新劇の世界でも似たような話を聞いた。本番中に突然電話が鳴り新人俳優がとらざるを得ないようになる。台本に無い設定である。この話には落ちがあって、これをやられた新人の女優は電話をとり「あら、あなたによ」と先輩の役者に渡したそうだ。こんなことをした人たちは作者や演出に対してどう説明したのだろう?

 日本の伝統芸能の世界にはそんな話が多すぎる。「鍛える」と「いじめ」の区別がつかないレベルでは、その表現もその程度。だから滅びる運命にあるのは当然だ。

 今日の津軽三味線は素敵だった。そして、三味線を「ずっと昔からの」日本固有の楽器だと思っている人がいる。「ずっと昔」は400年位前で、当時、まるで戦後のギターのように日本の人々をとりこにしたこの楽器は琉球王国から伝わった。
 今日のステージで締め太鼓をチャングのように叩いていたが、この奏法もいずれ日本人にもなじんでいくのだろうと思った。伝統は型ではなくスピリットだから。

 箱物行政もそうだし、昨今の某企業の全国の会館運営への進出にも当てはまるのだが、形があっても魂が無ければアートにも伝統芸能にすらならない。芸術家の劇場運営がどんなにひどくても、アートを理解しない人たちの運営に比べたらまだましである。
コメント
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