泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

ゆあみかいめん3名様天女座ご案内

2007-08-21 17:01:23 | 丹下一の泡盛日記
 昨夜、ゆあみかいめんのギター、ドラム、キーボード兼ベースが我が家に集合。かみさんの母、大ママも。
 3時に起床。みんなを起こす。3時半に逗子を出発。熊野へ。
 なかなかいいペースで移動でき9:30には伊良湖岬からフェリーに乗っていた♪

 今回いつもより早く出発した理由の一つは、伊勢と熊野の中間にある神宮の別宮に参詣するため。昼ごろ到着。お参り。実に興味深かった。

 そして車飛ばして3時過ぎには天女座に到着。今までの最短記録だな。ガールズは、内部を見てカフェからの景色を見て大感動。ドラムのねり「日常がどうでもよくなってしまった。。。」だとか。

 紫帆さん、新しく作ったチェンバロをちょこっと触ってくれる。ガールズ、また感動。

 今夜はこれから天女神楽の稽古。大ママはせっせと魚をさばいて晩ご飯作り。

 紫帆さん「今夜は参加者少なそう」と言ってたのに蓋をあけると18名。例によってわいわい遊んで終わる。
 最後に紫帆さんの即興の演奏で「とけるエチュード」。4グループに分けて全部即興で弾いてもらった。

 それが引き金だったのか、終了後、紫帆さん「ちょっと大正琴を」ひいてくれて、チェンバロ演奏も。続けてとんちゃんがボイス・パフォーマンス。ゆあみかいめんガールズ「すげえ・・・」。
 そして今回初参加の原さんが紫帆さんのピアノで歌う。即興であわせる。素敵だった。そして、息子のヒロキ君登場。カードマジックを見せてくれてやんやの喝采。
 ゆあみガールズ、圧倒されて陶然♪ だって全部即興なんだもん。

 夜のギグは出来なかったけど、2日目夜は、ミニライブをやることに。「ヴォーカルいないからできません」とか言ってたけど、部屋にこもってアレンジし始めてたよ♪

 天女座はいいねえ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊豆合宿

2007-08-20 11:29:21 | 丹下一の泡盛日記
 土日はプレイバッカーズの年に一度の夏合宿。仕事に子育てに忙しい10人の大人たちが日程をやりくりして1泊2日。稽古もするがとにかく一緒に過ごすことを大事にしている。

 今回は、伊豆のおうちを借りて合宿。集合は伊東駅。なんたって大島での日程を終えて熱海の港から来るメンバーもいて、横浜駅集合なんて最初から無理。
 伊東駅、はじめて下りた。メンバーの高橋えりちゃんの提案で「ほまれ」という割烹で昼食。「団の予算で」と行ったとたんに全員コースを希望(^o^;;;

 そして、ものすごく美味しい料理が次から次へと。突き出し食べた瞬間にレベルの高さは理解できた。もちろんとりあえずビールで乾杯♪ その後、刺身の旨さに思わず「八海山!」と注文。
 城ケ崎海岸のおうちに着く頃には立派な酔っ払いに。そしてこの酔っ払いは、若い衆の運転でスーパーに乗りつけ、買い出し。1件目が気に入らなくて、別の店に。
 家に戻ると晩ご飯の仕込み。1時間ほどレンジの前で汗を流すと酒も抜けた。んでしっかり稽古。

 8月が誕生日のメンバーのストーリーを3本。簡単なウォームアップでかなりのレベルまで行ける。このチームの底力はたいしたもんだ♪ 

 稽古の後はもちろん宴会♪ いつ寝たかよく覚えていないが、自分はいびきという強い主張があるので、個室をもらった。

 翌朝、のんびり起きて朝ご飯。昨日の「ほまれ」でもらってきた刺身の残骸の魚で出しをとる。ねぎと豆腐で味噌汁。
 その出しにカツオだしを足して、温そうめん。たっぷりと小ねぎを散らす。
 昨日のカレーのご飯はイエローライス。みじんの玉ねぎを油でよく炒め、そこにイエローライスを入れて、刻んだブロッコリーの茎も。塩コショウで仕上げる。
 そうめんの残り半分は普通に茹でて、冷たいそうめんで。つゆにすりおろしたカボスの皮。味が引き締まるのよね♪ ミョウガ、三つ葉を薬味に。
 後はオレンジとグレープフルーツ、ぶどう。
 二日酔いの体にやさしい朝ご飯♪

 午前中は、ミーティング。かなり突っ込んだ話し合いに。瞬間風速的には激論も。終わるともうお昼。

 風呂に入り掃除して、海岸へ。山道を1.2キロ、ハイキング。断崖とそれにあたる波が美しい。
 富戸港の脇の磯で海に入る。やっぱりいいね、海は。シュノーケルを借りてみると魚がいっぱい。熊野もいいけど伊豆もいいね♪
 
 すっかり洗い流して、いったん戻りシャワーを浴びて車で伊東駅へ。駅前で運転手のべ(藤得)と飲む。ああ、魚って本当に美味しい。メンバーと合流して電車で戻る。もちろん手にはワンカップ。

 そして大船駅まで娘1が運転してお迎えが♪ 帰宅してかみさんと娘1の3人で飲みなおす。娘1は豊洲でのキッズイベントに参加しての帰り。いい仕事して来たね♪
 実に有意義な週末だった。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横須賀ジャズクラブ

2007-08-17 22:57:59 | 丹下一の泡盛日記
 今日はかみさんの希望で横須賀に。黒生ビールをビヤハウスで飲む。旨い。その後、ジャズのライブハウスへ。
 やっぱり生がいいな♪ しぶい大人のブルースバンド。そこへ突然ゲストのおじさんが。メンバーのギター借りて弾きだしたのだが目が覚めるようなソロだった。

 恐るべし横須賀。車でばかりきてちゃいかんな。これから、もう少し研究しようっと。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裸族

2007-08-16 09:17:58 | 丹下一の泡盛日記
 裸族である。20年くらい前だろうか「寝るときにパンツをはかないと下半身が締め付けられないので、心地よい眠りが得られる」と読み、早速試すとこれが実によい♪(上は着ていた)

 来客の多い家なので毎晩そうもいかなかったが、一人で寝ているときはまあ風通しのよいことこの上ない。夏などは実に快適で、そのまま起きだしてきてシャワーを浴び、全裸のまま朝ご飯をつくり食べていた。(もちろんシーツは毎日取り替えて洗濯していた)
 当時は新宿のアパートで4階。周囲に同じ高さの建物がなく、窓を開け放つと風が通り抜けていき、おかげでエアコンもめったに使わなかった。全身で風を感じる気持ちよさ♪

 逗子に移りかみさんや子どもたちと暮らすようになり、当然このよき習慣は封印された。娘たちのほうが自分の前でジーンズ脱いだり下着姿で歩いたりして自分に怒られていた。

 それが、娘2の渡米で夫婦二人だけとなり復活♪ 朝ご飯をつくりながら「ら、ら、らぞく、らぞくの朝は、ふんふんはやいぞ、み~んな出て来い来い来い♪」としょじょじの替え歌まで出る始末。

 夏は裸族に限るねえ♪ と、娘2の不在で良くなったことを一生懸命数え上げているのだ。

 写真は、今朝の裸族の朝ご飯。チーズトースト・ベーコンエッグ載せ、野菜ジュース、コーヒー。トーストの半分はわんこ行きなので2枚焼く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終戦記念日

2007-08-15 11:21:01 | 丹下一の泡盛日記
 今日は終戦記念日。「敗戦」を「終戦」としたあたりから、もうずれは始まっていたのだろう。「日本と闘ったことがない国」にアメリカをあげる学生が本当にいて、そして当然日本が負けたことも知らない。
 アウシュビッツの入り口には「歴史を知らないものは繰り返す」とある。子どもたちを連れて行ったとき、このために君たちを連れてきたんだよ、と伝えた。

 戦争は、階級社会(格差社会)にある種の革命をもたらす。その格差の反転に酔って「戦争は楽しかった」という人が今でもいる。(あの山の老人は今どうしていることか)その意味でも社会の中の格差が広がっていくことに危機を感じる。
 そんなことを考えていたら、今朝の毎日新聞によると東条英機が戦後「統帥権確立による軍部の下克上」ということばを使っていたという。「下克上」を狙っていたんだな、やっぱり。

 戦艦大和は大和ホテルと呼ばれていたという。戦争中でさえ食堂では一般の水兵もエビフライや肉や野菜の入ったカレーライスを食べていたそうだ。
 自分は、これを聞いて食糧難に苦しんだ旧ルーマニアで、秘密警察が地下道の冷蔵庫に肉をぎっしりつめて保管していた話や、北朝鮮の特権階級が食料を独占している話と全く同じだと思った。

 そして、こういう話が60年たたないと聞こえてこない怖さを思う。
 本土決戦に備えて血清を取るために殺されていった500頭もの馬たちの話にも涙した。かなり知ってるつもりだったが、この頃はじめて聞く話が多いような気がする。
 広島で原爆をテーマにしたプレイバックシアターでも「60年たち、はじめて話せた」というストーリーをたくさん扱った。

 子どもの頃、それは昭和40年代(1965~)、NHKの朝の連続テレビドラマには「この非国民!」と怒鳴る怖いおじさんが登場した。
 もちろん彼らは否定的に描かれていたのだが、自分は年代を計算して「あのおじさんたちがみんな死んでいるわけがない。どこに消えてしまったのだろうか、きっとその辺に隠れているに違いない」と思っていた。

 おじさんたちは隠れているだけでなく、密かにこの国の運営にも関わっていて、たくさんの大人たちにはそれは常識だった。

 「平和のための戦い」などということばの嘘。「平和」だけが唯一の道と信じている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お盆

2007-08-14 21:50:29 | 丹下一の泡盛日記
 今日は、若葉台の大ママ(かみさんの母親)のところに大集合。大パパ(かみさんの父親)の初盆。
 かみさんは長女で、次女は赤ん坊の時に亡くなっている。三女は四国で参加できず、四女、五女のファミリーが集まった。(通常は、一つ繰り上げて勘定している。つまり三女が次女に。四女が三女に)

 それぞれの亭主たちも集まり、わいわいとビール♪ 大ママの料理に「くう♪」。大ママ曰く「娘たちの誰一人として仕込みの手伝いに来なかった」。。。。
 それでも孫たちに囲まれ、こないだの台湾の思い出話なども出て幸せな時間♪

 子ども(大ママには孫)2人は娘1に連れられてプールへ。マンションのすぐ裏に公営プールがあるのだ。ベランダから見ているうちに三女の亭主の水着を借りて自分も。
 今年初プールだぞ。わいわいと楽しむ。三女の小さな息子を背中に乗せて泳ぐ。これやってみたかったんだ。岸田理生さんの台詞にあったから。
 三女の娘も抱き上げて水に放り投げる。きゃあきゃあ言って喜んでる。かわいいねえ。「こういう時間は娘1,2,3とは無かったからな」なんて考えもふとよぎる。

 こうやってファミリーで過ごす時間が、こんなにもゆったりとくつろげるときであることもちょっと驚きだが、この一日は実に深いいい時間だった。

 仏壇(かみさんが選んでうちから贈った)の中の中央にいる大パパの位牌に手を合わせながら、ついついこの場にいない娘2のことをお願いしていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のんびり昼ビール

2007-08-13 22:16:58 | 丹下一の泡盛日記
 今日はちょっとのんびりした日。昨夜早く寝たおかげで休養充分。そして、ゆっくりと起きてかみさんと犬散歩。午前中だけ津久井さんが出社。

 奥飛騨セミナーで出会った方たちにメール。岐阜大の林先生から素敵なお返事をいただいた♪

 外出して銀行や買い物。んで、午前中で仕事は終わり。かみさんも出かけて、犬たちと一緒。なんとなくお昼ご飯にビール♪ お昼ごはんは、そば。揚げ玉と三つ葉、納豆、大根おろしと。
 くう、ビール旨い。2本飲んでしまった♪

 お昼寝してから、かみさんを駅まで迎えに行き、横須賀に買い物。プレイバッカーズの印刷用の紙を大量に買ったのだが、ついでにTシャツなんかも♪

 帰宅して二人で晩ご飯。油断するとどうでもいい食事になりそうで怖い。黒胡麻豆腐、焼いた油揚げに刻みねぎたっぷり、目玉焼きとチーズのせたカレー。ビール。
 これからこんな二人きりの晩ご飯が続くんだねえ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無事帰宅

2007-08-12 21:39:03 | 丹下一の泡盛日記
 夕方の便で無事帰宅。夢たまご塾の皆さま本当にお世話になりました。幸せな時間でした。

 富山空港を飛び立った飛行機は新潟から茨城を回って羽田へ。新潟沖からずっと富士山を見ていた。裾の角度が微妙に変化していく。大きくなってきたなと思ったら羽田だった。

 帰宅してシャワーを浴び、なつかしの富山空港で手に入れた黒作りでかみさんとビール~日本酒。今回のたまご塾ではたくさんの出会いもあり、それをちゅーちゅーかみさんに報告。
 先日のジェイカレッジもそうだったが、今回の講師陣の話も皆実に刺激的だった。世の中にはまだまだ素敵で面白い人たちがいる♪

 山のようなメールをチェックして、もうぱやぱやなのでベッドに入ります♪

 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢のたまご塾飛騨アカデミー

2007-08-10 10:23:23 | 丹下一の泡盛日記
 昨日、娘2から無事着いたとメール。一安心。
 晩ご飯は、たらこのスパゲティとソーセージとクレソンとビール。たらこは娘2の好物で、宴会で出そうと用意してあったが、出す前にみんな満腹になってしまった。

 かみさんと二人だけだと食生活のレベルがすごく落ちる。体調不良のかみさんにもうちっとましなものをと今朝はちゃんとつくった。ベーコンエッグにマフィン、トマト、野菜ジュースにコーヒー、そしてお茶。

 今日の午後のフライトで富山から奥飛騨に入る。懐かしいルート。神岡で開催されている「夢のたまご塾飛騨アカデミー」の講師の一人として参加、演劇ワークショップを担当する。http://www15.ocn.ne.jp/~hdac04/
 神岡町は、たまご塾を立ち上げた石橋さんが以前主催した民話の語りの仕事で何年も通った。

 石橋さんは大学で地質学を学んだ後、米国籍の石油採掘調査の会社に就職。シンガポール支社勤務となった。その後、西アフリカのジャングルに派遣され、石油を採掘して採算が取れるかどうかを調査する仕事に従事した。
 ナイジェリアから西へたくさんの国があるが「あの辺は全部行った」そうだ。とにかく「石油が出る国はほとんど行った」。

 アフリカの頃は、独身でジャングルの中で仕事ばかり。お金はたまる一方で、週末になると一番近い空港に行き、その場でどこに行くか決め、ロンドンやマドリードなどヨーロッパの都市で過ごし、日曜日の最終便で戻る、という繰り返しだったそうだ。

 ベネズエラでは、フライトに遅刻し乗り遅れたその飛行機が目の前で爆発墜落する事故を目の当たりにした。同僚の方が亡くなった。

 中米の宿舎のデッキの下は沼で、ワニが来た。食べ残しを投げるとバクバク食べるのでかわいかった。

 英語はもちろんスペイン語もOKな石橋さんが、世界中を巡った後帰国。国内を旅していて奥飛騨に「出会って」しまった。神岡町で結婚。飛騨春慶塗の職人になるための修行をでっちからやった。
 その間はもちろん無給。春慶塗の古い技法、古春慶を復活させるために古い資料を買い集めたこともあって何千万円かあった貯金は無くなってしまった。

 そして、今では春慶塗の職人としても知られるだけでなく、過去の経験を生かしてアメリカから来る英会話の教師たちのよき相談相手だったり、飛騨アカデミーの世話人だったり。
 神岡小町といわれた美しい奥様との間の結晶の娘さんは大学で音楽療法を勉強している。

 今夜は久しぶりの神岡。今から楽しみだ♪
 *写真は春慶塗のペーパーナイフ(石橋さん作)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎原爆忌

2007-08-09 15:29:52 | 丹下一の泡盛日記
 昨夜は妙にビールもすすまず。アクアビットにフレッシュ・オレンジ・ジュースと炭酸水を入れて飲んだ。
 尋常でない暑さの中、成田から戻るとき大渋滞に巻き込まれたり、そのまま三浦半島の中華屋に向かい、ついでに祖父母の墓に参ったり。そんなことしてたから暑さ負けしてるのかもしれない。

 今日は長崎原爆忌。長く手を合わせる。長崎には2年住んだ。2年前のお正月には家族で訪問。亡くなった柔道の先生の奥様やジュニアオーケストラの先生と再会。大歓迎を受けた。
 長崎に着いてまず最初に子どもたちを新しい原爆記念館に連れて行った。自分が昔、旧記念館で見てショックを受けた無脳症の子どもの写真はなかった。子どもたちにはどう見えたのだろう。
 
 自分が住んでいたのは1971年から72年にかけて。その頃の小学校の同級生のお父さんやお母さんはほとんどが被爆者。中学校の担任の先生が自分の被爆体験を語ってくれたのを思い出す。
 また親友Kのお父さんの額には大きな傷があった。長崎には傷のある人がたくさんいた。

 原爆の投下は人類に対する犯罪だと思っている。原子力の開発は、科学の発達とともに当然の流れとして「しょうがない」ことだと思う。その技術をどう使い、どう使わないかが人類に問われているのだ。

 戦争ではしばしば戦闘員が非戦闘員を殺戮する。丸腰の相手を武器を持ち訓練を受けたプロが殺すのだから楽なもんだ。原爆はそんな手間もはぶいてしまった。

 アメリカは銃と欺瞞で先住民たちの土地を奪い今の国を築いた。その結果、今自分たちが銃に苦しめられるようになっていると思う。
 アメリカが原爆を最初に人類に対して使用したことと、核実験による多くの被爆者や劣化ウラン弾の被害で苦しんでいる人たちがいること(当初はどちらも「なぞの病気」とされていた)と無縁ではないような気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする