泡 盛 日 記

演劇人(役者・演出家)丹下一の日記です。

ロシア人が少し好きになった

2019-10-02 20:23:20 | 丹下一の泡盛日記

望んだ通りにたくさんの「体験」を抱えて眠り、早めに目が覚める。
最高だ。
まだまだこの土地との体験を身体が欲している。
かよさん(宗像佳代)に声をかけて一人でお散歩へ。

5日目になりキリル文字にも馴れてきた。
「ハバロフスク」と自然に読めるようになった。
かつて日本軍の満州進出への拠点があったというこの地の歴史に思いを馳せる。
かよさんとの朝ご飯は、昨日のカフェへ。
戻るとアーシャが待っていた。
アーシャ、いつも時間前に来てくれる。
主宰のリュドミラさんの運転で空港へ。
途中、墓地の前を通る。手を合わせる。


空港についてしまうと、あとは事務的にあっという間に成田へ。
どうしてこんなに時間が短いのか、と身体が不思議がっている。
ロシア、というかロシア人が少し好きになった5日間。
これからもう少し振り返らないとな。
家に帰ると「心」を心配した相方がご飯とお風呂を用意して待っていてくれた。
焼いたシャケでウォッカがんがん、ぶっ倒れるように眠る。
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もう一つの教会へ

2019-10-02 19:28:49 | 丹下一の泡盛日記
月曜日、まだまだ続く一日。
ウラジオストクに飛ぶイゴールとジェリーとハグをして別れて。
アーシャに連れられて「もう一つの教会」へ。



ロシア正教は、もちろんイスラムと兄弟なので、
女性は入る時に髪を覆う必要がある。
かよさんは自分のマフラーで真知子巻き。
イコンはポーランドでたくさん見て来たが、ここのも凄い。
アーシャ、「彼(夫)がここでプロポーズしてくれたの♪」と教えてくれた。
この頃こういう話がスイートで幸せになる。
じいさんホルモンが出ているに違いない。

その後、アーシャがハバロフスク出身者の戦没者慰霊碑に誘ってくれた。
巨大な建造物に革命からアンゴラ紛争、アフガン戦争などで亡くなった方達の名前が刻まれているモニュメント。
ワルシャワと同じ「永遠の火」が燃えている。
日本人墓地をご一緒した彼女の回答でもあるのだろう。
そして一緒にロシアレストランで晩ご飯。
長い、そしてたくさんの体験をした一日だったけど、
本当にそれが嬉しい。
日本を留守にいている間、お仕事メールはたくさん頂いている。
宿の台所でそのお返事を書きながら、ウォッカの水割りを舐めつつこの週末の振り返り。
遠い記憶もたくさん蘇る。

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日本人墓地へお参り

2019-10-02 19:15:10 | 丹下一の泡盛日記
月曜日は実質最終日。長い一日になった。
というのもかよさん(宗像佳代)と一緒に行動していて、
本当に助かるのは、お土産などのショッピングに費やす時間がほとんどないことで。
土地の歴史や文化に触れる時間だけに集中できることだ。
もし行きたいところが違うのなら、勝手に行動すればいい。
なので常に「てんこ盛り」になる。
その情報量の多さも受け入れることができるのが嬉しい。

午前中、前夜の「偵察」で目をつけておいたカフェにご案内。
ご満足いただき、市内散策へ。
大通りをアムール川に向かって歩き、有名な二つの教会の内の一つへ。

その後、ロック酒場(夜来たかったなあ)のメニューにあった「ギョウザ」、
あれ餃子じゃないの!
を食べてもらい、自分はサーモンステーキ。
急いで宿に戻るとアーシャが待っていた。
アーシャはハバロフスクチームの「姫」。
車で市内観光に、とアレンジされていた。
実は、ハバロフスクに自費で来たのは日本人墓地にお参りしたかったからで。
それは口に出しては言わなかった。
勝手にタクシーで、と思っていたのだけど、かよさんも「行きたい」と。
アーシャに頼み、場所を確認して連れて行ってもらった。

この墓地の「歴史」がもう一つわかっていない。
これからの課題の一つだ。
市内に戻り、イゴールとジェリーに合流。
ウクライナ料理屋へ。

メニューを見ながら話すうちに「ムーンシャイン/Moonshine」というお酒が話題に。
アーシャがうちのお父さんも作ってる、とかストーリーたくさん。
コーヒーだけのつもりが、ここまで聞いちまったら、と注文。
イゴールが「ムーンシャインはものすごく強いから食べ物と一緒に飲まないと胃をやられるぞ」と強く助言するのでウクライナ風ジャガイモの炒め物と。

これがこの店の自家製ムーンシャイン。
旨い!
そして強すぎ。
台湾の58度の酒よりも強いな。何度かはわからないけど。
台湾のジェリーとシェアしたけど、彼もちょっと舐めるくらいだった。
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ハバロフスク市内へ

2019-10-02 18:26:20 | 丹下一の泡盛日記
日曜日、大会無事終了後、車でハバロフスク市内へ。
なんせ夕方に着いた空港から会場に直行で、どこがどこやらわからないままだった。
主催チームが仕事場と宿泊所で使っている団地の部屋に。

こういう台所、ポーランドを思い出して懐かしい。
台所には、やっぱりロシア式湯沸かし機/サモワールが!


そしてベッドはなく、ソファに寝る。
これも普通のことで。
晩ご飯を食べにいこうとしていたら、まあ、色々とあって、
こんなガールズと知り合いになった。

ちなみに全員小学生なのだった。。。。
最初に声をかけてくれたVちゃんがiPhoenの翻訳アプリを駆使して
手助けたくさん。
おかげで助かりました。
キノコのクリームスープにありついて大満足。
その後、いつものように一人で市内をお散歩。


CDショップに入ったのだけど、一瞬、ロシア語が読めるようになったのかと思ったぞ。

スラブ圏にいるせいか、凄い勢いでポーランド語が思い出されてくる。
そして、使ってもここでは全く通じないのだった。
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極東会議DAY 3(最終日)

2019-10-02 15:45:59 | 丹下一の泡盛日記

土曜日の夕方、ウスリー川の川辺で参加者全員で記念写真。
思っていた写真撮影とは違い、ドローンでの撮影。
時代はどんどん変化していくなあ。


とにかく風景が大きい。
日曜日は会議最終日。
二日酔いの頭を抱えて参加した午前中のワークショップは、
地元ハバロフスクのチームの代表で今回の主催者でもあるリュデュミラさんのもの。
プレカンファレンスのかよさん(宗像佳代)のワークを踏まえて
「ゆっくり動く」というものに変更されていた。
招かれてストーリーに参加。
プレイバックシアターだから即興なんだけど、
自分がテラーズ・アクターに選ばれ、二人セットになる役に
前日背後から「愛」をささやいてくれたターニャが選ばれる。
どこかそういうエネルギーが作用するのは、いつも通り。
自分は英語で演じたのだけど、演技の基本がかなり違うようで、
ゆっくりの動きが新鮮だったらしく「強いエネルギーを感じる」とか
「全身にアクティングのエネルギーが満ちている」てなフィードバックがたくさん。
素直に喜ぶ。
そして、終了後ターニャが英語を解さないことも判明。
そこそこ英語で台詞を吐きながら芝居していた。
なのにあれだけぴったりと添ってくれるなんてすごい、と改めて驚いた。
パフォーマートしての力はとてもある人たちなのだ。
その後、弱者のためのプレイバックシアターを展開しているチームのワークショップへ。
知らずに参加して、大きな感銘を受けた。
そして、閉会式。
インスピレーションをくれたミーラと。

感謝を伝えたい人にカードを手渡すという時間があり、
たくさんのハグとともに何通ものラブレターを頂いた。
また宝物が増えてしまった:)


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極東会議DAY2 その2

2019-10-02 15:35:56 | 丹下一の泡盛日記
2日目の午後、立ち位置と関係性を考えるワークショップへ。

「ミザンセーヌ」なんてことば久しぶりに聞いた。
演劇用語を使うことからわかるようにモスクワから来た講師は演劇学校の先生でもある。
この辺が「演劇の授業」がない日本とは根底からあり方が異なっている。
プレイバックシアターのワークショップというよりはほとんど「演劇」の授業だった。

自分も参加。
ロシア語の台詞が「私のこと愛してる?」「愛してるよ」というものだったので、
日本語で。
そして、背後に立った女優が「愛してるわ」とロシア語でささやいてくれたときのエネルギーが素敵。
いかんいかん、演技を忘れそうになる。
というかその瞬間だけは信じられる。
さすがだよなあ。
台詞だけでなく身体の切れも素敵な人が多い。
さすが「演劇の国」だ。
夜は、地元ハバロフスクとウラジオストクのグループの公演に。


ワークで背後からささやいてくれたTちゃんの演技もチェック:)


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極東会議DAY2

2019-10-02 07:22:18 | 丹下一の泡盛日記

極東会議2日目。
朝食は朝8時から。
相部屋のモスクワからのイゴール、台湾のジェリーは講師で参加している。
ベッドは二つしかなく若いジェリーが「僕はソファーで」と。
有り難い。
そして、譲られるお年頃になったのか、とも。
9時からの「朝礼」で身体を動かして10時からはイゴールのワークショップに参加。
テーマは「エッセンス」。

思いのほか英語を話す人が少ない。
なので、小グループに別れるときは、英語を話す人と組むことになる。
モスクワから来た年配の男性イリヤとウラジオストクのカンパニーメンバーのミーラと3人で身体を動かしたり、振り返りの討論したり。
お互いのストーリーのエッセンスを一言で、の時、
ミーラが自分のストーリーのエッセンスを「リアリティ」と。
これがちょっと衝撃的で。
到着した夕方のあの空の色の「意味」が突き刺さった。
というのもハバロフスクまで来た「下心」は、この地の日本人墓地にお参りすることで。
今まで様々に読んできたソ連の抑留者たちの記録に生身の身体で少しでも触れてみたいと思ったからだなのだ。
この一言で今まで読み込んで来たレポートの「ことば」たちが身の内に蘇って来た。
ミーラ、ありがとう。
彼女には何のことだかさっぱりわからなかったと思うけど。
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ロシア極東地域プレイバックシアタ—大会開幕

2019-10-02 06:59:08 | 丹下一の泡盛日記
今回はハバロフスクで開催されたロシア極東地域のプレイバックシアタ—大会への参加が目的。
かよさん(宗像佳代)が講師で招かれたのでついていった。
もちろん自費参加で会費も支払うのだけど、ちょっとそれ以外の下心もあり。
全天を染めた夕日を見ながら「ああこの色なんだ」と思い出していた。
前夜は主催者やモスクワから来たイゴールや台湾のジェリーとも再会。
中華屋で乾杯の嵐:)

ここは町の中心部から車で30分はかかる家族連れが遊びにくるような「保養所」。
子どもも楽しめるたくさんの施設や宿泊所、体育館やワークショップや会議のための空間。
そして、いくつものレストランが点在している。


目の前はアムール川、かとおもったら支流のウスリー川で。
その合流地点の近く。
以前、大ウスリー島と小ウスリー島が中露の国境紛争の争点になっていたのは記憶に新しい。
昼からランチを挟んで6時間、かよさんのプレカンファレンス・ワークショップ。
6時間! というのも現地で初めて聞いた。
なんせどんなところにとまるのかも、会場がどこかも知らされていないのだもの。
その場で6時間のワークショップを組み立ててしまうかよさんもすごい。

自分は「音響」で卓前に。
持参した音源がものすごく役立った。
そして、キーボードで「さくら」を弾いてお手伝い。
「さくらさくら」が好きでよく弾いていた。
以前香港のワークショップでも役立ったのだけど、こんな小さなことが海外ではとても役立つことがあるのだった。

夜、オープニングセレモニー。
ようやく誰が誰なんだかわかり始める。
かよさんは2年前に教えにいったウラジオストクのカンパニーと再会。
自分は全員が初顔だ。

先住民のダンスで盛り上がる。
アイヌの秀さんの親戚かと思ったぞ。
遠い昔、血がつながっていたに違いない。
ただしここには「太鼓」があるのが興味深い。
終了したのは22時過ぎ。
部屋に戻りシャワーを浴びてそのままベッドへ。
酒も飲まずに爆睡。
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ハバロフスクへ

2019-10-02 06:20:40 | 丹下一の泡盛日記

というわけで26日(木)は成田空港へ。
成田から飛ぶのはものすごく久しぶり。
ここからして20年前のポーランド往きを思い出していたのかもしれない。
ルーブルも初めて見た。
「まともに」ロシアに行くのは初めて。
大変けしからんことに機内で「ロシアの国法により機内は禁酒」とアナウンスが。
2時間半のフライトなのであっという間に着陸。

入国する時に「もちこんじゃいけません」リストが表示されていた。

銃はわかるんだけど手裏剣やヌンチャクも駄目なんだ!
持っていなくてよかった。
例によって入国までに時間のかかること。
そして、お迎えの人に連れられて外に出たら、

大きく広がる空が真っ赤に染まっていた。
これが本で何度も読んだ夕焼けか!
この色は忘れられないなあ。
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