というわけで昨日は第2回のこもれびホールの稽古。
今年は平均年齢、若い。めちゃくちゃ若い。
その若い声が稽古場にあふれかえっている。
ワークショップで「自分のよいところを教えて下さい」と子どもたちにお願いすると「いいところなんてありません」という応えが返ってくることがある。
心が痛くなる。
どういう大人がそんなことばを教え込んだのだろう。
そして時には「いいところは~~ができるところです」と「スキル」をあげる子がいる。
たしかにピアノが弾けたりするのは「すごいね!」と対応する。
そして「よいところ」はなにもできなくたってあるはずだと思っている。
日本だと「それは甘やかしていることになる」と言う人もいる。
「誉める」と「甘やかす」の区別もつかないのは、自分たちが誉められたことがないからだろう。
「誉める」のは難しいもんな。
「ここが違う」「ここが駄目」「ここができていない」は、時には必要な指摘だが、それを言い続けることが「ためになる」と自分もかつて思っていた。
そして、それを20年続けていたら舞台はすかすかに痩せたものになってしまった。
子どもは空恐ろしいくらい自分の鏡。
それも自分のマイナスな部分が増幅される鏡だ。
そうやって教えてくれているのだと思う。
今年は平均年齢、若い。めちゃくちゃ若い。
その若い声が稽古場にあふれかえっている。
ワークショップで「自分のよいところを教えて下さい」と子どもたちにお願いすると「いいところなんてありません」という応えが返ってくることがある。
心が痛くなる。
どういう大人がそんなことばを教え込んだのだろう。
そして時には「いいところは~~ができるところです」と「スキル」をあげる子がいる。
たしかにピアノが弾けたりするのは「すごいね!」と対応する。
そして「よいところ」はなにもできなくたってあるはずだと思っている。
日本だと「それは甘やかしていることになる」と言う人もいる。
「誉める」と「甘やかす」の区別もつかないのは、自分たちが誉められたことがないからだろう。
「誉める」のは難しいもんな。
「ここが違う」「ここが駄目」「ここができていない」は、時には必要な指摘だが、それを言い続けることが「ためになる」と自分もかつて思っていた。
そして、それを20年続けていたら舞台はすかすかに痩せたものになってしまった。
子どもは空恐ろしいくらい自分の鏡。
それも自分のマイナスな部分が増幅される鏡だ。
そうやって教えてくれているのだと思う。