狭い分野の中にいる人ほど、その狭い分野のなかで成り立っているルールや習慣を理解してくれ、と要求する。
よーするに、他のことは専門外なので知りません、ということを主張したいようなのであるが、これはもっと正確に言う必要がある。自分は視点が低く、頭が悪いことを考慮してくれ、と言っているに等しい。
世の中には、習得するのに時間がかかるもの、と、習得するのに時間がかからないもの、の2種類がある。技術習得(料理、飛行機の操縦、飼育管理、楽器などなどの実際に現実世界に対して具現化することが必要な専門的な内容)についてはよく知らないが、単純に学問として"学ぶ"という視点に立てば、習得するのに時間がかかるものは、"哲学","数学","物理学"くらいだと思う。あとは、"まともに"高校を出ていれば、かなり長く見積もっても1年もあれば、学べるだろ。
ここで、"学ぶ"ということの定義をしておかなくちゃいけない。ここで俺が言ってる"学ぶ"というのは、覚える、暗記する、ということではない。そんなGoogleの部分集合的な能力を得て、この時代に何をしようというのだ?"学ぶ"というのは、自分が理解できない内容に対して、自分の思考力を高めることで、理解できるようになる、ということである。この"学ぶ"という経験をしておかないと、"慣れる"ということと"学ぶ"ということが区別できなくなってしまうから、なんやったら、高校や大学時代を通じて、これだけは一度自分で経験しておいてくれ、というものだと思う。
(数学で練習問題を沢山解いて慣れてくると、後からだんだん理解できるようになってくる例があるように、必ずしも"慣れる"ということと"学ぶ"ということは完全には乖離しないように思われる。だが、いくら計算問題を解いてもマイナスとマイナスをかけるとプラスになることは理解できないだろう。そういう意味では、"慣れる"と"学ぶ"が等しいかもしれない?と思う例は思考の道の途中で起こっているケースが殆どであり、最終的に何かをマスターするという意味では絶対に"慣れる"と"学ぶ"は違う。ここを考えずに、とにかく計算を繰り返してきてしまった者が、マイナス同士のかけ算の新参者である中学生が、調子にのって、この質問をしたときにイライラしてしまうのは、実力不足の現れだろうと思う。ちなみに、マイナスかけるマイナスがプラスになることについては、こちらをどうぞ。)
"学ぶ"ということを繰り返すことで、得られることは大きい。最大のメリットは、視点が高くなる、ということである。
あらゆるモノを見聞きして色々な経験をすることが大事、というのは半分はウソである。それは視野を広くする方法であって、たいして役には立ちません。読書家が全員頭が良いわけではないことからもわかるように、その問題に対してよく考究できてないうちに、どんどん新しいことを目の当たりにして、また同じ問題に直面しても、あー、これは私の能力じゃ理解できないからー、と繰り返していても、新たな智慧や価値観が得られるわけがないでしょう?
そうじゃなくて、上から見下ろす、ということが必要なのです。自分の足で町を歩くよりも、高いところから町を見た方が、どんな様子かわかりますし、どこにおもしろそうなことが転がっているのか、すぐにわかります。イメージとしてはそういう感じ。
この「視野を広げるのではなく、視点を高くしよう」という意識はすごく大事で、「視点を高くするためには、賢くならなくちゃいけない」と思っていると、普段から目に入るものが変わるし、読むべき本が変わるはずです。重要なものが目に入るようになって、自分にとって思考力を高められるような本を選ぶことができます。
で、狭い分野のルールや習慣が、大事なことなのか、くだらないことなのか、自分で判断がつくようになるし、その分野が発展していくのか消え去るか、そのような予見も自分で行えるようになります。世の中のほとんどの人は、習得するのに時間がかかる"哲学","数学","物理学"なんかを必要としないのだから、だとすれば、なるべく早く高い視点に登ってしまって、間違ってしまっているのならさっさと切り替えて、より正しそうな場所に行き、また登って確認する、ということを繰り返し意識しているだけでも(この意味で、あらゆるモノを見聞きして色々な経験をすることが大事、は半分正しい)、安全だと勘違いしているリスクをとって、無駄な努力をすることを避けられると思います。
これは、混乱期を生き抜く現代人には、必須になってきてしまうかもしれません。
そう思うと、大変だなぁー、と思います。なんか他人事だけど笑
よーするに、他のことは専門外なので知りません、ということを主張したいようなのであるが、これはもっと正確に言う必要がある。自分は視点が低く、頭が悪いことを考慮してくれ、と言っているに等しい。
世の中には、習得するのに時間がかかるもの、と、習得するのに時間がかからないもの、の2種類がある。技術習得(料理、飛行機の操縦、飼育管理、楽器などなどの実際に現実世界に対して具現化することが必要な専門的な内容)についてはよく知らないが、単純に学問として"学ぶ"という視点に立てば、習得するのに時間がかかるものは、"哲学","数学","物理学"くらいだと思う。あとは、"まともに"高校を出ていれば、かなり長く見積もっても1年もあれば、学べるだろ。
ここで、"学ぶ"ということの定義をしておかなくちゃいけない。ここで俺が言ってる"学ぶ"というのは、覚える、暗記する、ということではない。そんなGoogleの部分集合的な能力を得て、この時代に何をしようというのだ?"学ぶ"というのは、自分が理解できない内容に対して、自分の思考力を高めることで、理解できるようになる、ということである。この"学ぶ"という経験をしておかないと、"慣れる"ということと"学ぶ"ということが区別できなくなってしまうから、なんやったら、高校や大学時代を通じて、これだけは一度自分で経験しておいてくれ、というものだと思う。
(数学で練習問題を沢山解いて慣れてくると、後からだんだん理解できるようになってくる例があるように、必ずしも"慣れる"ということと"学ぶ"ということは完全には乖離しないように思われる。だが、いくら計算問題を解いてもマイナスとマイナスをかけるとプラスになることは理解できないだろう。そういう意味では、"慣れる"と"学ぶ"が等しいかもしれない?と思う例は思考の道の途中で起こっているケースが殆どであり、最終的に何かをマスターするという意味では絶対に"慣れる"と"学ぶ"は違う。ここを考えずに、とにかく計算を繰り返してきてしまった者が、マイナス同士のかけ算の新参者である中学生が、調子にのって、この質問をしたときにイライラしてしまうのは、実力不足の現れだろうと思う。ちなみに、マイナスかけるマイナスがプラスになることについては、こちらをどうぞ。)
"学ぶ"ということを繰り返すことで、得られることは大きい。最大のメリットは、視点が高くなる、ということである。
あらゆるモノを見聞きして色々な経験をすることが大事、というのは半分はウソである。それは視野を広くする方法であって、たいして役には立ちません。読書家が全員頭が良いわけではないことからもわかるように、その問題に対してよく考究できてないうちに、どんどん新しいことを目の当たりにして、また同じ問題に直面しても、あー、これは私の能力じゃ理解できないからー、と繰り返していても、新たな智慧や価値観が得られるわけがないでしょう?
そうじゃなくて、上から見下ろす、ということが必要なのです。自分の足で町を歩くよりも、高いところから町を見た方が、どんな様子かわかりますし、どこにおもしろそうなことが転がっているのか、すぐにわかります。イメージとしてはそういう感じ。
この「視野を広げるのではなく、視点を高くしよう」という意識はすごく大事で、「視点を高くするためには、賢くならなくちゃいけない」と思っていると、普段から目に入るものが変わるし、読むべき本が変わるはずです。重要なものが目に入るようになって、自分にとって思考力を高められるような本を選ぶことができます。
で、狭い分野のルールや習慣が、大事なことなのか、くだらないことなのか、自分で判断がつくようになるし、その分野が発展していくのか消え去るか、そのような予見も自分で行えるようになります。世の中のほとんどの人は、習得するのに時間がかかる"哲学","数学","物理学"なんかを必要としないのだから、だとすれば、なるべく早く高い視点に登ってしまって、間違ってしまっているのならさっさと切り替えて、より正しそうな場所に行き、また登って確認する、ということを繰り返し意識しているだけでも(この意味で、あらゆるモノを見聞きして色々な経験をすることが大事、は半分正しい)、安全だと勘違いしているリスクをとって、無駄な努力をすることを避けられると思います。
これは、混乱期を生き抜く現代人には、必須になってきてしまうかもしれません。
そう思うと、大変だなぁー、と思います。なんか他人事だけど笑