たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

気持ちが冷めたら上手くいくなんて空しい

2016-06-21 00:44:53 | Weblog
 何をしていても虚無感が漂ってしまう原因は、本質的なテーマに対してきちんとアプローチできていないからだと思う。
 ある意味、完全自由な環境に対して、ほとんど久しぶりに"反応"だけすることにしてみた弊害がでてきているのかもしれない。ぐいぐい来るものに対しては付き合い、そうでないめんどくさいことは徹底的に無視or放置することに決めて以来、ラクはラクだけど、何かが足りないという気持ちは強くなった。

 周囲に迎合したり、周囲にとっての無難を選び続けていくと、確かに失敗しないし、叩かれることもないし、ラクだし、傷つかない。叩かれたとして、陰で馬鹿にされたとして、誰とでも交換可能な、どーでもいい人たちや、何かと人の粗を探して馬鹿にすることにしか毎日の楽しみを見出せない人たちは、俺の"周囲"ではない。"周囲"とは、彼ら彼女らが、このページを見ているなんて周囲に言えないのだが、細々と生きながらも、どうにか希望を見出そうとしている人たちだ。この層の人数を増やすために、この層に対して耳障りの良い言葉を投げかけていれば、そりゃ絶対数は増える。
 だけど、それをすればするほど、こちらが本当の本当に伝えたい人は、去っていく。そういう人から、いなくなってしまう。こちらからの提案に対して、そっちが選んでるわけでしょ?、って最終ラインを確認して強がりながらも、これがめぐりめぐって最終目標になるのだ、といくら自分の心に力説しても、結局のところ、空しい現状に、一人泣いているのかもしれない。

 そう思ったら、すべてをほったらかしたくもなってきた。
 「気持ちが冷めてきたくらいが物事が上手くいくようになっていく」という法則が、あらゆる事柄に適応できるのだとしたら、空しすぎる。だったらいっそのこと、他人事として片付けたくなってくる。冷笑できたら、どんなにラクか。ずっと、思考回路のどこかでは考えていたことだ。

 だから、言ったじゃん。長くはないって。
 自分の気持ちは自分でも認識しきれないし、矛盾している感情に気がつきながらも、今は"ラク"に"反応"することをやめられない。

 想いの容量が溢れるその前に、器そのものを広げようとしなくちゃなぁ、どうにか。
コメント
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