たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

余裕の振る舞い

2011-01-20 02:57:28 | Weblog
 『んー、この論文には、こういう風に書いてあるんですが、同じなはずなのに、こんなんもあってですねぇ。。ちょっと混乱して、わかんなくなってきちゃいまして。』
 「まずね、ひとつ大切な確認をしておくけど、、世界中で、この系の正しい理解をきちんとしながら、研究をしてる人間は、ほとんどいないだろうと思う。ぶっちゃけ、どんなに偉く見える人がどんなことを言っても、それが正しい保証はどこにもないよ。だから、君は君の考え方を持たないと。」

 他人に言われる前から、どこかでは、わかっていたはずなのに、自信が持てず、行動が伴っていなかった。自分の思考を信じ切れなかった。
 ここで指摘された後くらいから、俺は、「自分の思考力が、知識の無さ以外で、負けることは、決して無い」っと思い込むように決めた。

 そういえば、さらに、もっと前に、同じような事を、別の方もおっしゃっていた。

 「何故、僕らは、物理学、いや、自然科学をやっているんだと思う?」
 『いえ、、』
 「それはね、正しいことを正しい、って確実に言えるようになるためだよ。」
 『!?』
 「自然科学は、そのままだったら、何も面白く無い。正しいことを正しいって言う修行のために、素粒子でも、物性でも、やる意味がある。」
 『でも、正しいことでも、言い方によって負けちゃうことってあるじゃないですか。』
 「それは、まだまだ賢くなれてないということだよ。だって、理詰めで正しかったら、表現手法に依らず、正確に話せば、必ず納得させられるはずだろ。」

 どんなに立場が低くても、どんなに口下手でも、ホントに正しければ勝ててしまうのが、理系科目の良いところ。
 小学生でも、大学教授に勝てる可能性があるのが、自然科学の世界なのだ。

 普段の生活の中で、俺が、中高生に、自然科学の枠の中で一番教えたい部分が、この辺りだ。
 だから、たとえ、こっちが、計算ミスとか書き写し間違いとか、くだらないことでも、ちょっとでも負けたら、引っ込みがつかなくなる前に、『あー、ごめんなさい。あなたが正しかったです。やっぱ賢いなー。』っと言っておきたい。

 それが、(表面的には)上の立場の、正しい、余裕の振る舞いだと思っている。
コメント
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