たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

Familyの定義

2011-01-28 00:50:49 | Weblog
 何か特異に行動するときに、まず始めにしなきゃなことは、自分の身を最大限に守ることだ。

 行動はいきなり起こさないと、誰かに妨害される可能性が高い。環境によっては、下手したら、殺される可能性すらある。だから、むしろ、現状に満足している風に振る舞ったり、義務を(「自分のなかの」でイイから)満点でこなしていくことが大事になる。
 その上なら、特異になっても誰も文句は言わない(言えない?)し、連続的に変化していて、いきなりサチらせることによって、ビックリさせる効果にもなる。

 そうそ、こういう手法をバラすことが、結構好きだったりする。それは、俺が、こんなにバラしても、俺にしかできないし、タネを知られても簡単には止められない、と本気で思っているくらい、傲慢だから。
 「特異」に関してはね。

 結局、俺は、人間関係の戦いの最前線で、勝ち抜いてきてるわけじゃないから、連続的に成り上がる手法が、とても苦手だ。
 最前線まで行かないことも多いし、行っても、勝つか負けるか、という間際のところで、俺のほうから試合放棄、その後、別のもっと実質的に価値のある試合に参加することをし続けてきてしまっている気がする。(過去記事2007/11/29「相対的負けは絶対的勝ちかもしれないことを、忘れないでっ!」をcheck!)

 【じゃぁ、なんで、そこで、わざわざ負けるようなこと、言ってきたの?】
 『そっちのが、後々になって、余計にムカつくかなーって。向こうはその瞬間は気分イイだろうけど、時間変化させて、俺が相転移できてしまえば、そのギャップで腹立たしくなるはずだし、その怒りをぶつけるべき相手である俺は、もう、そこにはいない。だから。』

 敵には徹底的なのだ。それくらいのこと、されてきてる相手なら。

 ただ、そこで一緒に戦ってきた仲間に対しても、裏切り、になってしまうのは、ちょっとイヤだな、って思ってる。
 だけど、最後の最後、瀬戸際になったときは、いつも自分一人だし、そうじゃない部分ではこれからもずっと仲間なんだから、まぁ、お互いさま、って感じじゃん?、っと勝手に納得している。

 もちろん、最後の最後、瀬戸際まで、付き合ってくれる仲間が、もっと、どっかにいるって信じているけど。

 (上の記事で、一日のアクセスが200を超えてビックリ!、って書いてあるけど、今や、当然のように、200は軽く超えているなぁ。皆さま、ありがとうございますm(__)m)
コメント
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