たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

in situ問題解決したい気持ちの根源

2012-07-02 03:10:38 | Weblog
 RNAだけで構築された生命の系をRNAワールドと呼び、それが過去に存在したという進化仮説をRNAワールド仮説と呼ぶ(Walter Gilberd,Nature,319,1229-1232,2009)。RNAこそが生命の起源である、ってのが、進化論や生命起源を研究している研究者にとっての常識であり、RNAワールド仮説を大前提として話が進む論文も珍しくない。
 まぁ、さ、本当によく考えて欲しいんだけど、そんなのタイムマシンみたいなもんがなきゃわかんないじゃん、絶対。これだから生命系や化学系ってのは、座標ってのをちゃんと考えてないって思われちゃうんだよ。時間依存性が存在している限り、それは連続的に遡る以外に知る術は無いはずなのに、RNA分子にこういう性質がありましたー、ってやったところで、それはあくまで、生命らしさ、とか、ありえた生命、とかの一部を記述しているだけであって、RNAが生命の起源である、とか、大昔RNAワールドが存在していてそれが進化していって現在の我々になった、とか言えるわけではないのだ。

 どんなことだってそうだけど、現在観られる性質を羅列していって、だから、ほら、やっぱり大昔は何々があったっぽいでしょ?、って言うことはできない。あった可能性のみしか記述できない。
 それでもその存在を信じると言い切るなら、はっきり言うが、それは自然科学ではない。それは思想や哲学といったものに分類される。残念ながら、ただ単純に信じる者は救われない、ってのが自然科学の特色なんでね。

 こうやって新しい言葉を作って楽しんでる研究者は、研究者という決められた枠組みの中で生きていくためだけに研究しているに他ならないのだと思う。研究できる内容だから研究する。それがどういう意図を持っているかを正確に自分の中に飲み込もうとしているなら、RNAとタンパク質からできる自己複製系をRNPワールドって言おうよ!、とかわざわざ作らないと思う。
 まぁ、RNAワールドって最初に言った人は、そういうつもりじゃなかったんだろうけどね。

 生命起源を知る、っという最終目標を達成するためには、あるひとつの分子から色々な性質や情報を抽出してくるという方法をとっていても時間の無駄だ。
 もっともっと、分子から生命系を構築することに気を取られてないで、現在観られている生命系そのものの性質を知る必要があるし、自己組織化されている部分を引き算していって何が残るのか、ってことを調べたりしたほうが、最終目標に近い実験系であると思う。

 一つの系のなかで、本来そこに存在しているべき本質的なモノを見破ろうとするためには、時間軸を逆に辿って点をプロットしていくか、論理的に起こらないモノを排除していって残ったモノを観察するか、の二択だ。
 現実的に主には後者だ。When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth.

 ただし、それは物理的な事柄しか記述しえない。よって排除していくべきは物理現象に限るが、その排除されてしまった物理現象の中に、物理学では規定できない重要な何かが潜んでいる可能性もある。
 だから物理現象とそうでないような現象を比較する必要性がある。それによって物理現象ではありえない、論理的にオカシイことが見つかった時に、初めて、学問や考え方などが進捗するのだと思うし、さらに言うと、それこそが学問の論理性を日常生活にあてはめた時に役に立つことだと思う。

 本来あるべき場所で(in situ)はなく、その外の枠に行った時に、やっとその本来の場所の問題点の解決方法に気がつき始めるから、俺には賢さが足りないなっと思うのだ。
 それを繰り返して行くことで、数々の本来あるべき場所から姿を消すことになっているけど、それに逆行することは、現在の本来あるべき場所を否定することにもなるので、なかなか難しいところだ。

 それを遥かに超えるほどの絶対的な楽しい信頼関係をずっと望んでいるけれど、勝率は悪い。言葉に騙される人は多いし、俺自身もそれに負けてしまうし、実質的にも精神的にも問題解決できないことも多い。
 ただ、難しいからこそやる価値があるわけで、それで妥協してしまうなら、普通じゃん。
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