たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

スイミー達の強さ

2013-09-02 02:10:55 | Weblog
 人と人との関係性は、繋がれば繋がるほど、無能で意味の無いモノになりやすい。
 一人ひとりに対してそれぞれの気持ちが純粋なことを感じても、集団化してしまえば、まるで本性を現したかのように自分(達)勝手になってしまうような状況は、よくあることだ。

 それがわかっているから、定期テストの前や何かの勉強をするときは、一人でやったほうがコスパーが良い。
 誰かと、もしくは、仲間で、深夜~早朝にファミレスとかで、定期テスト直前に対策するなんて、バカみたい?みんなで対策してるんじゃなくて、なぁなぁになって、だべって、関係無い話になったりして、いつまでも試験範囲の内容にならない、ってなっちゃうのが、関の山でしょ??

 そういう経験と、そういう教育の仕方を(こちら側が)しているから、もう、みんなでやらなくちゃいけないテーマ(研究)が降りかかっているのに、きちんとした集団化の仕方ができない。というよりも、きちんと集団化して、全員で勝ち、それぞれでも勝つ、っというやり方を知らないのだ。
 大学以降ってのは、いわゆる、お勉強するところではないんじゃない?褒められたり、認められたりが無いなら勉強しないってなったり、それら褒められることが一切なくなっても、それ以前からの履歴で、ただ真面目になってることから抜け出せず、こうやって我慢することこそが研究や仕事では必要、なんて手っ取り早い論理化をしてることから、どうにかこうにか抜け出さなくちゃね。じゃなきゃ、どんどん優しさが失われてっちまうぜ?

 確かに、ヒトも他の生物も、集団化してしまうと、一個体としては弱くなりやすい。
 しかしそれは、信頼関係という絶対的なラインを無視した集団化の仕方をしたら、バカになるというだけだ。目には見えないきちんとした繋がりも持たずに、集団化すれば、バカになって当たり前だ。

 きちんとした信頼関係さえあれば、集団化ほど巨大なパワーを持つ生命現象はない。
 一個体としては小さいスイミー達の群れが、一匹のとんでもなくデカいマグロにも勝てるように。小学校二年生の国語の教材であるスイミー。真面目すぎて忘れてしまっているかもしれないけど、日本の教育でだって、集団化の本当の意味での強さとその条件を、確かに教えてくれているんだよ?

 俺は、スイミーのようにはなれない。だけど、スイミーの特性を見出して、それを全体の目として自己実現させるだけの思考力は十分にある。
 現実には、どうしたって一人にならなきゃ得られない、思考力も存在する。それが必要とされる瞬間には、すぐに必要な種としてisolateできるのが、本当の意味での信頼関係だ。

 ≪K君、悪いんだけど、ここで2人にならせてもらってイイ?≫
 『もちろん、大丈夫。』【K君がイイなら、僕は。】
 ≪ありがとう。でも、これも、、すごいことだよね。≫
 『え?どういうこと??』
 ≪いやいや、だって、こいつと2人で喋りたいから、、って、なかなか言えないぜ?≫
 『まぁ、俺も、2人ともに、そういうこと言うことあるし、、それだけ信頼してるってことだよ。』
 ≪そうだけど、当たり前になっちゃってるけど、スゴイよね。≫
 【キモいから、そろそろやめろよ。笑】
 『確かに。笑』≪だな。笑≫

 俺の最大の武器は仲間。ただのバカげた集団化ではなくて、信頼関係のある仲間が、いくつかの集団として、確実に存在していることだ。
 まぁ逆に言えば、この仲間たちのためにも、ただ集団化してるだけで強くなっている気になってる100以上の総数くらいなら、俺一人で、簡単に勝てなきゃいけないんだけどね。

 Aグループの能力(集団化の能力)とCグループの能力(一人でコツコツと思考力を高める)を共存させれば、どんな問題だって、乗り越えていける。スイミー達の強さを、現実で、確かに発現していけるのだ。

スイミー Every Little Thing
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