たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

理系の敵は理系?

2014-01-27 01:32:38 | Weblog
 いまの日本では、よく知ろうともせず、その世界を覗いてみることもしないのに、人類には無価値なものだ、と決めつけることで、それらを理解することができない無能さを隠すことが推奨されている。

 これらの行為は、お互いに壁を作ってしまい、扉を開いていないことに起因している。

 こういうことがenhanceされているのが、理系の構造だ。
 すべての研究のタイトルが長すぎること、多くの企業の研究施設が地方にあること(よく、実験するから研究所は都内には置けない、というイイワケを訊くが、それはオカシイ。ならば、東京大学は、なぜ都内に存在出来ているのだろうか?)などで、実際に示されているように、前提知識無しでは理解できないくらいに細分化されてしまい、よその人が何もわからなくても業界や分野のなかで完結していればイイ、と考える理系が多数になってしまった。

 一般化することを恐れすぎて、知らないこと、その人にとって高級過ぎて理解できないことについて「細かい」と揶揄して、その世界を覗きもしないバカに「意味があるのか?」「役に立つのか?」と言わせるようなシステムそのものに問題がある。

 その世界に飛び込んでいるならいざ知らず、何も知ろうとせず、もしくは何も理解しようとすらしていないヤツに、それらの必要不必要を語る権利は無い。
 はっきり言ってしまおう。統計的に、多くの文系に理系を評価する権利は無いし、多くの理系が自分以外の他分野の理系の研究を評価する権利を、残念ながら、有してはいないのだ。

 しかし、その構造を理系みんなで守ろうとしている。理系の敵を理系に定めておけば、ラクだからね。女の敵は女、のように感じる瞬間が多いのと同じで、早い話、理系も悪いのだ。
 だから、他のゼミや、他分野のセミナー、よその研究室のミーティングになってしまえば、意見をまともに言えないことを自ら理解している、壁に閉じこもってばかりの理系崩れやダメな集団を「有能」扱いするんでしょ?

 「それでも構わないんですよ。だって、そういう構造でも、一定数、優秀な研究は浮き上がってきますから。」

 バカが。数打ちゃ当たる、セレンディピティーをハナっから期待する構造が、こんなところにも根付いているとは。そのせいで、(言葉のまま)死んでいる人間が、どれだけいるか。
 人殺しの構造を推進している社会構造、それがこの日本という国の現状なのかもしれない。

 もしも俺が教員になってしまうことになったら、俺は、理系教員でありながら、自分の生徒を理系にさせないような教育を中高生に施す。
 だって、自分の生徒を、死なせたくはないからね。そして、俺はそれに本気で取り組む。俺がそれに本気で取り組めば、日本から可哀相な理系を一人も生み出さないようにできるだろう。それが何を意味するか、わかりますよね??

 このまま理系同士で壁を作り続ければ、(少なくとも)日本の研究は、必ず崩壊する。
 嘘だと思うなら、いまの日本の音楽の世界を観てみろ。こんなにも凋落し、その勢いはとどまることを知らない。壁を作り続け、分野のなかでなぁなぁな評価をし続け合っている無能な理系は、ヘビメタしか聞かない!、アカペラしか認めない!、と決めつけているマニアックな音楽ファンと、何もカワラナイんだぜ?

 それを食い止めるためには、自然科学の研究の未来を明るく、楽しく、みんなで創っていくためには、「壁」ではなく「膜」を意識し、他分野に恥ずかしがらずにどんどん足を運ぶ気持ちが、一人ひとりの気持ちのなかに創発されることが大事。

 非常に当然だが、「壁」つまり孤立系を作れば、動的な構造はいずれ破綻する。数学的にはエルゴード性が、物理学的には等重率の原理が、それらを定めている。非平衡と掲げているわりには軽率ですね、そんなこともきちんと理解できていないんですね。これは比喩ではありませんよ?
 この問題の発生は、あなたが壁を作ったときから必然であり、それを取り除くことが問題解決の第一歩なんですよ。

 他を完全にシャットアウトする「壁」ではなく、物質のやりとりをセレクションする「膜」を取り入れ、そのシステムを高く評価することこそが、理系の敵が理系ではなくなる唯一の方法であると、俺は思う。
コメント
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