たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

環境のせいにしましょう

2014-01-24 02:10:15 | Weblog
 どんな環境であったとしても、自らのエネルギーを持ってして、自己実現していけるくらいの実力がなければ、強く生きてはいけない。環境が悪い、なんてーのは甘えであって、劣悪な環境下やどうしようもないくらいヒドイ状況や呼吸するのさえ厳しい条件を強いられているのであっても、真理の追求をやり遂げられないなら、少なくとも研究者として、半人前なのだと私は思う。

 だから、悪い環境に身を置いていると感じるなら、その事実そのものを尊く想うことが大切だ。
 そういう気持ちの一つひとつに気がつけば、一度こもってしまった心を取りはらって、再起していくことができる。どんな環境であっても、そこに身を置くこと以上に、その環境を作ることのほうが遥かに難しいことは、とうの昔に、私が経験したことだ。だからこそ、この程度の苦難なら乗り越えていって欲しい、と願っているのだ。

 しかし、精神的負荷があるthresholdを超えてしまえば、再起不能となってしまうという論理を検討してみたことはありますか?

 もはや本来のやる気に満ちあふれた自分を閉じ込めてしまうしか術がない、という状況は、実際には存在する。確かに最終的には、どんな状況でもやっていけなきゃダメだけど、そう思えるだけの気力を奪われ続けている時間依存性を考慮せずに、理想論だけ押し付けるのは乱暴すぎやしないですか。
 それにね、その時間、その瞬間、確実にイヤな気持ちになるようなところを、わざわざ選ばなくてもイイでしょ。例えば、いじめを容認してしまい改善が観られない環境にわざわざ身を置いて、そこで論理を発揮するなんて、気持ちにとってよくないし、実は論理にとってもよくないのだ。

 もう一度、あの頃の輝かしい汗を戻すためには、自発的な何かを期待していてはいけない。
 手を差し伸べる側は、切先を相手に向けてしまった分、いま、自分自身に切先を向けることを恐れちゃダメよね。そんなんじゃ、戻せない!

 俺がまだ観たことない本来のあなたに戻すためなら、俺は、何にだってなるし、何だって実行する。そのための能力が足らないなら、能力をつけて実行し、必ず、基の状態を引き戻す。

 堂々たる宣戦布告は、物理現象、特に、再起不能を超える非平衡状態遷移へのチャレンジ。
 これは、俺と物理現象の勝負。

 まずは環境のせいにすることから。そこから始めてみたらイイと思う。
コメント
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