たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

年齢以上の器と能力を得るためには

2012-03-01 03:16:18 | Weblog
 スイスの心理学者ユングによれば、外的な心の機能は以下の4つにわけることができる。

 「感覚」…何かがあることを教える
 「思考」…何であるかを教える
 「感情」…価値を伝える
 「直観」…予知的に未来を伝える

 これらに区分することによって、周囲から入ってくるデータや事実と意識内容の相互作用のシステムがより明確になるとユングは言っています(ref ユング分析心理学)。俺の定義とは少し違うけど、まぁ、かなりユングの言葉の定義を採用して使っています。

 何を重要にするかは人それぞれだけど、何かを創作したり、誰もやっていないことをやろうとする場合には、その価値を考えることが大事だと思うから、そういう場合は、「感情」を大切にしたらよいと思う。

 だから、(研究テーマ設定を中心とした)研究活動では、「感情」が最も大事なのさ。
 どうしても、周りのデータに対して、何であるか?を考え続けてしまうことが研究だから、自分が何が出来るか?、を考えがちになっちゃうんだよね。で、これが多いから、つまんない研究してるヤツが多くなる。そうじゃなくって、感情、つまり、どんなことを研究したら価値があるか?、ということに重きを置いた時に、次の決定材料として、思考が出てくるのはイイとしても、自分は何が出来るか?、もしくは、所属している研究室や分野で何が出来るか?、などと狭い範囲で考えるべきではなく、人類は何を出来るか?、という視点に立つべきだと思う。じゃないと、感情に重きが置けてないことになっちゃう。
 そういう風に考えて、まったく新しい能力をどんどん得ようとしないんだったら、普通に働くか、教員でもしてたほうが、超賢いと思うぜ?こういうことを一切考慮せず、(他人からの評価が高い)研究になるから、って理由だけで、研究しちゃうのは、大変すぎる分、愚の骨頂だと思う。っま、何かの武器を得るため、ってんなら、良いんだけどさ。

 俺にとって研究や自然科学よりも大切な「創作」「誰もやっていないようなこと」として、自分がまだ経験してこなかった、今後経験する予定も無い、悩みや問題点に対して、実質的にも精神的にも解決策を出し続ける能力を得る、という課題がある。

 その能力を得る価値がある、ってのは自明として、目標達成のための次の決定をするために、研究と同様に、例えば「思考」を2位の重要度にしたとすると、その悩みの状況や根源が何であるかを明確に把握すること、というように考えられるが、種々のゆらぎが大きすぎると思う。
 もちろん、多くのコミュニケーションをとるとか、相手に対しての思考を停止させないとか、そういうことも大事だけど、意外と、自分自身の悩みについて、しっかりと誤魔化さないで思考することは大事な気がする。それこそ、なかったことにする、などという風にしないで、重要度1位の「感情」に、この悩みにどれほどの価値があるのか?、っと訊いてみて、立ち向かう、ってのは、自分自身の問題点であれば、ゆらぎを正確に把握できるため、相手のまったく異質な悩みを解決する上で、非常に重要な理論を与えてくれる。

 こう考えてみると、かなり間接的に作用する「思考」は、誰かとインタラクションする上では、思ったよりも、役に立たないのかもしれない。
 っとすると、「直観」に頼ることが必要なのかな、って思うのだ。論理性なく未来をピンっと予知できる「直観」も誤魔化さないでいたい。

 ここはユングに共感できないところだけど、「直観」は不思議な力でも神秘的な力でも無い。俺は、「思考」と「感覚」の集大成、極めたモノ、みたいなんが、「直観」と呼ばれるモノに活きてくるのだと思う。
 それが、あんまりにも不確実に出てくるから、神秘的に観えるだけで。

 研究についてもそうだけど、縁があったかどうか、って「直観」も大事。それと、忘れがちだったけど、白衣着たい!、とかの「感覚」が寄与してる即物的なことも大事。「思考」と「感覚」だけになっちゃってるのは、どんなに賢くてもバカだから、気をつけなきゃだけど。
 あの4つってのは、すべて必要なのだけど、価値、つまり「感情」に関しては、誤魔化しちゃいけないと、俺は思うんだよね。

 っま、自然科学は二の次。まずは、4つ全部を駆使しながら、必ず、もっと器の広い、深い、心を得られるようになりたいと思う。
 それについてきちんと努力し続けないと、ホンモノが言葉として得られたとしても、一過性のモノとなっていってしまうと思う。

 どーでも良いけど、この記事、たぶん、読み返さないやつだな(笑)。
コメント
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