たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

気持ち-感情間相互作用

2012-03-08 02:48:49 | Weblog
 自分の気持ち以上の行動をすることが努力だと思うから、俺は、そういう意味での「努力」は、あんましたくない。
 気持ちを行動にしようとするとき、忠実に気持ちと同じベクトル(大きさと方向性)だけ行動するってのは、珍しいほうなのかな。もちろん、すぐに結果に現れるものしか頑張りません、ってほど重症なお子ちゃまなわけじゃなくって、自然現象を理解したいから論文読んだり書いたりすることは必要で、そのためには英語が必要だから、英語を勉強する、くらいはやるんだけどさ。

 つまり、気持ちと同程度分だけ、その大まかな方向性についてのみ、頑張りたいな、ってのが、基盤にある。

 だけど、実際に具現化される行動は、その殆どが、気持ちの表面的な部分を示す「感情」に寄与している。
 だから、非常に重要なシーンでは、手っ取り早い即物的な自分の感情に騙されず、きちんと本来の気持ちを想い出して、それを感情に映してから、行動する必要があって、想いが強ければ強いほど俺は中途半端な行動や楽観的な行動はとりたくないから、逆にめんどくさくなってきちゃったりして(笑)。さらに、行動に選択肢がある、って観点も重要で、選択肢がそこまで多くは無いことを周囲にバレたくはなかったりもするから、また、気持ちとウラハラな行動になっちゃったり。

 で、その要らない関数を除去するために、自分自身に対して、今できることを一つずつ、って心の中で唱えながら、伝えたりするんだよね。そうすると、少しずつ、気持ちと同じような行動がとれていくのかも、っという感覚の一端くらいは、やっと掴めたつもり。
 気持ち相応の行動は、めちゃくちゃしたいんだし、こっち側、頑張らないとね。

 ただ、その時、その瞬間に、リアルタイムで、直接、気持ちに響いてきたようなことを、大切にしたいこともあって、イヤだなって思ったりしたことや嬉しそうな表情を感じとったことを、誤魔化さないでいたい、ってこともあるんだよね。
 イヤな気分になったのに、一晩寝れば忘れたり、簡単な冗談を言えば、さっきのことがチャラになる、なんてことや、逆に、ちょっと否定されただけで、あの嬉しそうな表情や声色は完全に消えてしまう、なんて薄っぺらいこと、少なくとも俺には絶対に無いことで、実はなんやかんや、みんなもそうなんじゃないか、って思ってる。

 こういうことは、俺が期待したいって勝手に想ってる「気持ち」にも依存しているのかもしれない。
 でも、たとえ、そうだとしても、期待していて、その期待が裏切られて、ボロボロに泣き崩れるんだとしても、そっちのほーが、期待しないように頑張って、期待はずれで自分の感情や気持ちが無難になるよりも、遥かにイイことだと俺は思うから、これまでもこれからも、そうしていくつもり。

 存在してしまっている「期待」の気持ちに対してすら、誤魔化さずに、感情を介しながらも、向き合っていくことが、楽しくなりつづけるためには大切なんだと思うし、すべての期待や想像できる理想はかなり現実に近いものだと思う。

 何に価値があるのか、何が面白いのか、何が楽しくって、どうすれば、その楽しいことがずっと続くのか、最後まで、2人で、みんなで、考えて、行動していけたらな、と、勝手に期待している。

 (一年ぶりの、相互作用シリーズ!)
コメント
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