たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

だから言葉にする?

2012-03-19 01:56:20 | Weblog
 「じゃぁ、どんな感じなのか、前から知ってたんだ?」
 『いや、そういうわけじゃないっすけど、まぁ、だいたい、こんなんかなーってのは、あるじゃないですか。』
 「うーん、私ね、実際に観えないモノを扱うのが苦手で、ちゃんと見えないと、モチベーションが湧かないんだよねぇ。」

 生まれてから死ぬまでユーグリッド空間に生きているから、目に見えないモノの存在を信じて、そこに情熱を注ぐことは非常に難しい。
 大学専門課程のレベル以上で数学をやるときには、抽象概念を自分の頭の中で明確にイメージできる特殊能力があることも非常に大切であると思う。実際には存在しない、イメージが重要な、数学の概念のなかで、高校生レベルでわかるのといえば、複素数(というか二元数)だけど、あれは、まだまだイメージがしやすいほう。簡単なほーだけど、、でも、例えば、なぜ複素数については不等式を用いれないのか、明確にイメージ出来る人は稀少だと思う。

 そして、抽象概念だと思っていた複素数は、量子力学で扱う、波動関数を記述するための数字であることがわかった。これは、誰も上手くは説明できない。波動関数を二乗したものは密度になるけど、その波動関数を複素数で表すことによって「偶然」、理論上も実際上も、上手くいく。偶然、現象を記述することができるのだ。だから、それ以上の説明は、この世の誰もできないのだ。
 さらに言うと、ユーグリッド空間をより一般化したヒルベルト空間も、目に見えないものだけど、無限次元のヒルベルト空間は、量子力学を記述する上で、非常に重要な数学概念であった。

 だから、目に見えないからって重要じゃないわけじゃない。ちゃんと、目に見えてることに寄与している。

 え?10のマイナス10乗のオーダーの距離を扱う量子力学そのものだって、実際には観えないじゃないか、って?
 その通り、だから、そういうことをやるためには、実際には観えていないモノの存在を信じる力が必要だってこと。わけのわからない実験装置から得られる波形や数値だけを見て、そこに実際にあるんだ、ってことを実感する力が、どうしたって、必要になってくる。

 こういうことは、実は、多くの理系はすごく苦手だ。ほとんどの理系は、自分の研究内容やテーマや学科を、自分の気持ちに飲みこみながら理解していってるわけじゃないから、即物的だからこそ出来る、ってケースがほとんど。だから、目に観えないモノを扱うことが苦手だな、って感じるのは、きちんと飲み込もうとしている証拠で、むしろ正解に近いと思う、まだ、能力がないってだけで(笑)。
 ちなみに、目に見えないことでも、その存在を信じることが出来る人は、むしろ、芸術方面に多い。

 ただ、俺は、理系に対して、まぁ別にそれで構わないと思っている。その稀少性があるからこそ、俺がそのなかでやっていけるような気もするしね。

 自然科学に関してだけじゃなくて、全ての人が、目に見えないものの存在を信じようとする力が必要なシーンがあると思う。それは、神とか幽霊とか、そういうことを言ってるわけじゃなくて、そこに確実に存在している、なんらかの想いや気持ちや願いを、くみとろうとするような力が重要なシーンがあるってこと。
 誰かのはもちろん、自分のも含めて、決して目には見えない、何らかの気持ちを理解しようとすることが大事だってことね。

 目に見えないモノに対して、そこに確実に存在しているはずだ、って想いながら頑張る姿は、他の人には、どうしたって滑稽だしバカみたいにみえる。だって、例えば、みんなが遊びに行ってる間、一人で意味のわからない装置と向かい合って実験しているようなもんだから。
 そんなのは当然で、百も承知で、滑稽を超えても、前に進みたい、何かを確かめたい、何かを得たい、って想う気持ちが行動に寄与していくことが大事なんだと思う、、俺にはね。

 そ、ずーっと言ってるけど、俺だけが能力をつければイイと思っている。俺の周囲にいる、重要人物の中で、誰も、能力があることもないことも、評価の基準には入らねーんだよ。
コメント
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